さあ、夏! 高校野球・新天地の監督たち/5 日本ウェルネス信州筑北(長野) 中原英孝
甲子園通算14勝。長野のチームを率いて、もっとも勝ち星を挙げている監督が中原英孝だ。1991年春、母校・松商学園の2度目の監督で準優勝、2008年春には長野日大でベスト8という実績は、90年代以降の長野県では突出している。
14年の秋、長野日大を勇退後にお会いした。寿司をつまみながら、
「しばらくはのんびりしますよ。でも、まだまだ元気ですし、いつかは14勝から上積みするかもしれませんよ」
と聞いて別れた。それから1年ちょっと。15年9月に筑北村に創設された、日本ウェルネス信州筑北の監督として、現場に戻った。この春から、筑北野球部1期生の1年生を率いる。71歳を目前にして、指導は3校目になる。そんなベテランでも、初戦はさすがに気をもんだ。
「高野連に申請した加盟が、思いのほかすんなり認められまして。夏から参加のつもりが、春の大会から出られるようになった。ところが、試合の前日になっても試合用のユニフォームが届かないんです。前日の夜9時にようやく届いて、翌4月29日が初公式戦でした」
甲子園出場歴もある松本工との試合は1対8で敗れたが、練習試合もなしのぶっつけ本番だから無理もない。それより、エラーがらみで序盤に6失点しながら、3学年そろった相手とそこから互角の展開だから、ほめてやってもいいほどだ。
日本ウェルネスは、全国に拠点を持つ通信制の学校だ。過疎に悩む筑北村が、村おこしになればと誘致したのが、信州筑北校である。基本的に午前中は授業で、午後から練習というスタイル。寮もあるが、生徒たちの多くは長野市や松本市などからの通学生だから、通信制とはいえ、その日常は一般の高校とほとんど変わりはない。長野日大赴任当時は、生徒といっしょに寮に住み込んだ中原も、
「さすがにトシだから(笑)、松本の自宅から通っています」
部員たちはほとんど県内出身だから、きっての名将・中原の監督就任を知り、進学したケースも多い。松本シニア出身の河野健太郎主将もその一人で、
「08年、(中原監督の)長野日大のセンバツを見に行きました。体験入学のときに"絶対に甲子園に行く"と話してくれた熱さにひかれました」
と言う。確かに、熱い。「違うよお、そうじゃねえだろう!」と身振り手振りで教えるその声は、71歳にして選手のだれより大きいのだ。中原は言う。
「私の出身は、隣の池田町です。過疎に悩む筑北村ですが、もともとこのあたりは野球が盛んだし、私の母校である松商学園のOBも多いんです。村長や教育長も、野球部じゃないが松商OB。ですから、なんとか期待に応えられればと引き受けました。なにより野球が好きですし、体も元気ですからね」
持ち前の人脈、営業力で合宿誘致も
村を挙げてのバックアップも心強い。筑北村は3村による合併のため、グラウンドや体育館は3カ所ずつあるし、JR西条駅近くの校舎は統合した小学校を再利用したものだ。寮も改修中であり、いずれはゲートボール場を再利用した雨天練習場も作られる。部員が村民の農作業を手伝えば、収穫の農作物を大量に差し入れしてくれるという。
中原も、就任前から動いていた。持ち前の人脈で、大学野球部の合宿を誘致。なにしろ、夏は涼しい気候でグラウンドには恵まれているし、村内には宿泊施設も複数そろっているのだ。一チーム30人が10日間の合宿を張れば、地元にもたらすその経済効果は大きい。
そういえば中原は、若くして就任した松商学園の監督を一度離れたあと、大手自動車メーカーのセールスマンとして、何度か長野県トップになるなど、ばりばりの手腕を見せている。筑北村の営業マンとしては、もってこいかもしれない。
さあ、1年生だけの初めての夏がやってくる。
「選手たちは体力的にはまだまだで、"オマエらは中学4年生"と言っていますよ(笑)。だけど、練習量は十分ですから、1年生同士の練習試合では松商に連勝したんです。うまいヘタは別として、野球が好きなことには変わりありません。辛抱強く教えていけば、夏までには多少体もできるし、バットも振れるようになるでしょう。夏は3つか4つ勝って、強豪にひと泡吹かせたいですね」
野球部の活躍は、平日でもグラウンドに練習を見に来てくれる住民への、なによりの恩返しになる。県内きっての監督として、そしてすご腕営業マンとしての、中原の手腕に注目だ。