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なぜ日本人はアメリカの本当の姿を理解できないのか、英語の「誤訳」から始まるアメリカの「誤解」

中岡望ジャーナリスト
(写真:アフロ)

最初の深刻な誤訳は「アメリカ独立戦争」である

 筆者は20年に渡って大学で「アメリカの政治思想」を教えてきた。授業の最初に必ずする質問がある。それは「アメリカ独立戦争」は英語で何というのかという質問である。ほぼ学生全員が「American Independence War」と答える。それ自体は間違いではない。だがアメリカの歴史の教科書や歴史の文献のなかで「Independence War」という単語は、皆無とは言わないが、ほとんど使われない。

 では、アメリカの独立を表現する英語は何か。それは「American Revolution(アメリカ革命)」である。アメリカの独立は、アメリカ人にとって「革命」なのである。個別の戦闘ではなく、独立に至るすべての過程を含めた表現が「アメリカ革命」なのである。単にイギリスの支配や重税を逃れるために、アメリカはイギリスから独立する決断をしたわけではない。イギリスからの独立が「アメリカ革命」であることを理解しない限り、アメリカの政治や社会の本質は理解できないのである。これが最大の「誤訳」である。

 もちろん直接的な原因は、1763年のフレンチ・インディアン戦争でイギリスが北アメリカで覇権を確立し、植民地に対する支配権を強化したことにある。また、戦争で悪化した国家財政を改善するために植民地で「砂糖法」や「通貨法」「宿営法」「印紙法」などを相次いで導入し、植民地に資金的負担を求めたり、“自治権”を脅かしたことも独立の背景にある。

 ただ、そうした利害損得から独立を求めたわけではない。アメリカは“崇高な理念”に基づき独立を求めたのである。独立に際して、アメリカは世界に対して“独立の正当性”を訴えた。「独立宣言」(1776年)を起草したトーマス・ジェファソンは、独立宣言の中で次のように書いている。少し長い引用になるが、当時の植民地の人たちが、独立をどう考えていたかを知るうえで役に立つので紹介する。「人類の歴史において、ある国民が他の国民と結びつけてきた政治的な絆を断ち切り、自然の法と自然神の法によって与えられる独立平等の地位が必要となったとき、その国の人々は自分たちが分離せざるを得なくなった理由について公に明言すべきであろう」と書いている。

 では、独立に際して、アメリカはどのような独立の根拠を提示したのか。当時、ヨーロッパでは「王権神授説」に基づき王と教会が権力と富を独占し、市民の権利と自由を圧迫していた。そうした発想を根底から覆したのが、イギリスの哲学者ジョン・ロックの思想である。彼は「自然法」を主張し、「人間には神によって与えられた奪うことのできない権利」、すなわち「自然権」があると主張し、王と教会の支配を克服する論理を展開した。

 「独立宣言」には「我々は、以下のことを自明のことと信じる。すべての人間は生まれながらにして平等であり、創造主によって生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられていること。こうした権利を確保するために、人々の間に政府が樹立され、政府は統治される者の合意に基づいて正当な権力を得る」と書かれている。まさにロックの自然権に基づく文章である。ロックは神によって人間に与えられた自然権を「生命」「自由」「財産」と規定したが、ジェファソンは「財産」に代わって「幸福の追求」という表現を使っている。

■ アメリカ人の意識の根底にある“政府性悪説”

さらに重要なことは、「独立宣言」はロックの理論に基づき国民の「革命権」を主張していることだ。「独立宣言」の中に「政府が(統治される者の)合意に反するようになったとき、人民は政府を改造または廃止し、新たな政府を樹立し、人民の安全と幸福をもたらす可能性が最も高いと思われる原理をその基盤とし、人民の安全と幸福をもたらす可能性が最も高いと思われる形の権力を組織する権利を有する」と書かれている。ロックの「革命権」をそのまま敷衍した表現である。

 ロックは、政府の役割を国民の財産を守ることにあると主張した。ロックは労働価値説を展開し、政府は国民の労働によって生まれた価値や財産を守る役割があると主張した。それは「夜警国家論」であり、政府の役割は極めて限定的なものであった。その考えは、トーマス・ペインの『コモンセンス』でも主張され、国家は“必要悪”と考えられた。『コモンセンス』は、アメリカの独立運動の契機となった本である。ペインは「政府はたとえ最上の状態においても、やむをえない悪にすぎない。そして最悪の状態においては耐え難いものとなる」と、政府性悪説を展開している。また第4代目のジェームズ・マディソン大統領は、「人間がすべて天使なら政府は必要ない」と書いている。初期のアメリカ人は、政府を重視していなかったのである。

 アメリカ人の意識の根底に常に存在するのは、こうした反政府観であり、現在も保守派の根底にある思想である。それが「革命権」と結びつき、反政府運動が繰り返し起こって来た。古くは南北戦争であり、2021年1月6日の議会乱入事件などである。武力によって国家を覆すという考えは、独立宣言の中に見られるのである。

 アメリカのイデオロギー闘争は常に政府の役割を巡って行われる。保守派は小さい政府を主張する。その背後には、大きな政府は個人の自由を抑圧するという伝統的な発想がある。これに対してリベラル派は、社会問題などを解決するために政府が積極的な役割を果たすことを主張する。単に小さい政府と大きい政府の対立だけでなく、国家と個人の関係に関する基本的な考え方の相違が存在している。これは建国以来変わらぬアメリカ政治の状況である。

■ 「名誉革命」から、「アメリカ革命」と「フランス革命」への系譜

 「独立宣言」ではイギリス王政批判も展開している。「現在のイギリス王政の統治は、度重なる不正と権利侵害の歴史であり、そのすべてがこれらの諸邦に対する絶対専制の確立を直接の目的としている」と主張している。アメリカの独立の狙いは、イギリスの絶対王政を拒否し、植民地の権利を確立することにあった。これは、なぜアメリカ人がイギリスからの独立を「革命」と考えたかを理解するうえで役に立つ。

 1688年にイギリスで「名誉革命」が起こり、「権利の章典」が制定された。これによって王に対するイギリス市民の権利は保障されるようになり、議会の決定は王の権限より優先すると考えられるようになった。「権利の章典」の中には「人身の自由の保障」や「議会の同意のない課税の禁止」などが規定されている。

 イギリスのような絶対王政は市民の権利を抑制する。それは権力が集中することの必然的な結果である。アメリカは、肥大化した政府は必ず市民の自由を抑圧すると考えた。それが3権分立の主張へと発展する。3権分立の考えは、モンテスキューの思想でもあったが、アメリカの統治形態の基本となる。

 そうした流れの中でアメリカの独立は、単なるイギリスからの独立ではなく、新しい思想を現実に移す試みでもあった。「独立宣言」は、「市民の自由と権利」に基づく「建国の理念」を表現したものである。「アメリカ革命」はやがて「フランス革命」へと受け継がれていく。フランス革命では「自由」「平等」「博愛」の理念が掲げられた。そうした思想的な流れを受けたアメリカの独立である。だからこそ、「アメリカ革命」なのである。「アメリカ独立戦争」という表現の中には、そうした思想性は含まれていない。

 もうひとつ付け加えると、ジェファソンは「独立宣言」の中でイギリス王政の奴隷政策を批判する文章を書いていた。だが最終的に、その文章は削除された。建国の父たちは、奴隷貿易を中止すれば、奴隷制度は自然に消滅すると考えていたからだ。憲法制定の際に、アメリカは奴隷貿易を1815年に禁止すると決めていた。奴隷貿易を禁止すれば、やがて奴隷制は消え去ると考えていた。その結果、アメリカは奴隷制度を長期にわたって温存することになった。それが、長い期間にわたってアメリカ社会に深刻な影を落とすことになる。奴隷制度の廃止後、解放黒人に対する人種差別という新たな問題を生み出した。

■ 最も深刻な誤訳は「アメリカ合衆国」である

 誰が、いつ「アメリカ合衆国」という表現を用いるようになったのか分からない。日本人がアメリカを理解できない最大の要因は、この誤訳にある。その訳をつけた人物は「アメリカは民主主義国」であるということを過度に意識したのであろう。それが「合衆国」という訳になった。英語は「the United States of America」である。正確に訳せば、「合州国」である。アメリカは13の植民地が協力して独立を勝ち取った。国家体制は州の「連合体」である。最初の憲法である「連合規約(Article of Confederation)」の第一条に「本連合体はthe United States of Americaとする」と書かれている。

 連合規約の第2条は「各州は、連合に明確に移譲すると規定されていない主権と自由、独立を維持し、すべての権力と司法権を維持する」と書かれている。この表現は現在の憲法にも引き継がれている。憲法修正第10条に「この憲法ががっ連合に委任していない権限または州に対して禁止してない権限は、個々の州または国民に留保される」と規定されている。要するに連邦政府に委任された権限以外は州政府の権限に留まるのである。この規定によって連邦政府に対して厳しい制約が課され、基本的な権利は州に属すると規定されているという主張が生まれた。その結果、連邦政府と州政府の間で連邦政府の権限を巡る争いが頻繁に起こっている。過去に州政府が連邦政府の法律を無効化(nullification)するケースもあった。現在でも州司法長官が連邦政府の政策が州権を侵害しているとして、頻繁に訴訟が起こされている。また保守派や極右は、国家統治は州政府を主体とし、連邦政府は縮小すべきだと主張している。

■ 連合規約が規定する“国の形”―現在も生きている「連邦主義」

連合規約では、連邦議会は13州の代表によって構成され、各州は1票の投票権を持つと規定されている。連合規約を改正するには全州一致が条件であった。当時の政治体制は、連邦議会が行政機能も果たしていた。連邦政府が設立され、大統領制が導入されるのは、憲法制定後である。連邦議会には課税権はなく、常設軍を持つ軍事権も認められていなかった。連邦議会は13州の「連合体」でしかなかった。その最大の任務は州間の紛争の処理にあった。ちなみに連合規約で規定された連邦会議は、大陸会議の延長線上に設立されたものである。

 アメリカの国家形成の過程は他国と異なる。多くの国はまず政府が樹立され、その後に議会が設置される。だが、アメリカでは連邦議会が設置され、当初は議会が行政と司法の機能も果たし、政府と最高裁は憲法制定によって設立されるという過程を経ている。憲法は、最初に議会、次が大統領、最後に司法に関する規定が書かれている。最大のスペースが割かれているのは議会に関する規定である。

 州を主体とするという考え方は現在でも引き継がれ、「連邦主義(Federalism)」と表現されている。現在でも各州は独自の憲法や州法、裁判制度を持っている。選挙制度も州ごとに異なっている。アメリカの保守派は、連邦政府に対する根強い不信感を持っており、政策は州政府を中心に行うべきだと主張している。大統領選挙も州単位で行われる。通常、有権者が投票して大統領を選ぶ。だがアメリカでは、州が大統領を選ぶ制度となっている。各州で選挙し、最高の得票を得た候補が、州に割り当てられた選挙人全て獲得する。これは「勝者総取り(Winner Take All)」と呼ばれている。獲得した選挙人の数で大統領の当選が決まる。有権者の投票で勝利しても、選挙人の数で負ければ、当選できない。すべて州が基本なのである。

 州の独立性は強い。アメリカの映画を見ていると、犯罪者を追跡していたパトカーが、犯人が州境を越えると、それ以上の追跡をせず、引き返すシーンがある。警察組織も州によって異なる。そのため州をまたいで行われる犯罪を捜査する機関として「連邦調査局(FBI: Federal Bureau of Investigation)」が設立された。所得税も消費税も相続税も州によってまったく違う。所得税のない州もある。州は独自の軍である「州兵(national guards)」も持っている。「合衆国」と訳したことで、多くの日本人はアメリカの政治機構の本質を理解できなくなってしまった。

■ 「政教分離」の英語表現と、その意味は何か

 「政教分離」は誤訳ではないが、多くの誤解を生んでいる。学生に「政教分離」の意味にについて質問すると、多くの学生は「政治と宗教の分離」と答える。だが、正確な表現は「州と教会の分離」、すなわち「separation between state and church」である。分離されているのは、「州政府(state)」と「教会(church)」なのである。

 アメリカの憲法修正第1条に「連邦議会は“国教”を定めて、自由な宗教活動を禁止する法律」を定めてはならないと書かれている。憲法批准に反対する連邦主義者は、憲法を批准する交換条件として、憲法修正条項に「国教の禁止」あるいは「宗教の自由」の規定を盛り込むように要求した。この背景には、イギリスで王政が英国国教会を設立し、宗教改革を求める清教徒を迫害した背景がある。植民地でも州政府と教会が結託し、清教徒の流れを汲む異端派を弾圧した。たとえばヴァージニア州は英国国教会を州の宗教と定めていた。そうした背景の中で、バプティストを中心とするプロテスタントは「国教」の設立を禁止する条項を盛り込んだ憲法修正第1条の承認を要求した。憲法推進派は、この要求を受けいれた。

 憲法批准に反対するヴァージニア州出身のジェファソン(後の3代目大統領)とマディソン(後の4代目大統領)は州政府と教会の分離を主張するバプティストやプレスビタリアンに同調し、州政府が特定の宗教を支援するのは不適切だと考えていた。また課税などを通して人々に特定の宗教に強制的に帰依させるのは自然権である宗教的自由に反するとも主張した。憲法修正第1条を起草したのはマディソンである。

 また、連邦議会が「信教の自由」を受け入れたのは、「宗教問題を連邦政府から外せば、連邦政治で宗教が問題にならないという判断があった」からである(マーク・A・ノール著『神と人種』岩波書店)。すなわち宗教問題の政治化を阻止する狙いがあった。だが憲法修正条項の規定にもかかわらず「14州のうち5州がキリスト教会牧師を税で優遇し、それら5州に加え7州が公職につくために宗教テストを続けた。教会と州政府との分離を実行したのはヴァージニア州とロード・アイランド州のみであった」。ノールは「アメリカ的な政教分離は完全な信仰の自由を保障しなかった」と書いている。

 当初の政教分離は、州政府と英国国教会の分離を意味した。現在においても州政府と教会の関係は論争の対象になっている。特に特定のキリスト教宗派が運営する学校や病院に対する州政府による資金的援助や税優遇の合憲性を巡って裁判で争われている。

 ちなみに憲法修正第1条には、「信教の自由」のほかに、「言論・出版の自由」「集会の自由」「政府に対する請願権」も盛り込まれている。ちなみに1791年に成立した修正条項第1条から第10条までを「権利章典」と呼び、アメリカ民主主義の基本とされている。

■ 「キリスト教国家」アメリカの現実

 事実、アメリカは憲法の規定に従い、「国教」を定めていないが、実質的に「キリスト教国家」である。2020年に行われた宗教に関する国勢調査では、人口の70%がキリスト教徒であった。どの宗教にも属さない割合は23%に過ぎない。

 単にキリスト教徒が多数派であるから「キリスト教国家」であるというのではない。キリスト教を無視して政治を行えないのが、アメリカの現実である。キリスト教の思想は、社会生活だけでなく、政治においても大きな影響を与えている。その典型的な例は大統領就任式に見られる。歴代大統領は、就任式直前に教会で礼拝を行うのが慣習となっている。さらに宣誓式では、聖書に手を載せて、憲法第2章第1条第8項に規定されている宣誓、すなわち「私は合衆国大統領の職務を執行し、全力を尽くして合衆国憲法を維持し、保護し、擁護することを誓う」という文章を読み上げる。聖書に手を置かずに宣誓した大統領はジョン・クインシー・アダムス大統領とセオドーア・ルーズベルト大統領の二人だけである。オバマ大統領は2冊の聖書に手を置き、宣誓している。1冊はリンカーン大統領が所有していた聖書であり、もう1冊はマーチン・ルーサー・キングが所有していた聖書である。

 憲法には規定されていないが、ワシントン大統領は、宣誓の後に「神よ、どうか私を助けてください(so help me, God)」という言葉を付け加えた。その後、歴代の大統領はワシントン大統領の例に倣い、同じ言葉を付け加えている。ただセオドーア・ルーズベルト大統領は唯一の例外である。

 1938年以降、アメリカの硬貨には「In God We Trust」という標語が刻まれている。また1957年以降、紙幣にも同様な標語が印刷されている。また1956年には、この表現が国の標語としても使われるようになっている。「In Gold We Trust」の誤記ではないかという皮肉も聞かれるが、社会的に「神を信頼する」という強い意識が存在している。

 アイゼンハワー大統領は1954年に「宗教活動基金(Foundation for Religious Action)」を立ち上げている。その狙いは、「市民が片手に聖書を持ち、他方の手に国旗を持つ」ようにすることであった。同大統領は「至高の存在(the Supreme Being)を認めることが、最も基本的なアメリカ主義の表現である。神の存在なくしてアメリカの政府の形は存在しえない」と語っている。最高裁は10月1日に審理を始める。最初の審理を行う際に、最高裁は「神よ、合衆国と、この誇り高い裁判所を救い給え」と発言する。レーガン大統領は、アメリカは「丘の上の都市」と表現したが、それは丘の上に神の国を建設するという意味であった。州政府と特定の宗教の結びつきを否定したとしても、それは神の否定を意味するわけではない。多くのアメリカ人は、アメリカは神の意思で作られ、アメリカは特殊な“使命”を与えられていると考えている。それが「アメリカ例外主義」の根底にある考え方で、アメリカの外交政策にも影響を与えている。

 キリスト教徒は神の存在を信じている。筆者は長い間、アメリカ政治を見続けてきたが、共和党の大統領予備選挙の最初の公開討論会で、立候補者に対して「あなたは神の存在を信じているか」という質問が行われたシーンを何回も見ている。

■ 共和党の最大の支持基盤である「エバンジェリカル」

 キリスト教の中で最大の宗派は保守的な「南部バプティスト連盟(Southern Baptist Convention)」である。南部バプティストは極めて保守的で、聖書は神の言葉であり、聖書に従って生きるのが正しい生き方だと信じている。彼らはエバンジェリカル(福音派)やキリスト教原理主義者とも呼ばれ、すべての法律は聖書、具体的には「十戒」に依拠すべきであると主張している。刑法も民法も十戒に基づいて制定されるべきというのが、彼らの考え方である。

 2022年6月24日に最高裁は女性の中絶権を認めた1973年の「ロー対ウエイド判決」を覆し、中絶禁止を合法化する判決を下した。その背後には、エバンジェリカルの主張がある。聖書は中絶を禁止していると彼らは主張している。2000年の共和党の政策綱領の中には「いかなる状況のもとでも中絶を禁止する」という政策が盛り込まれた。2000年の大統領選挙で当選したブッシュ大統領は、自らを“生まれ変わったキリスト教徒(born again Christian)”と呼んでいた。「ボーン・アゲイン・クリスチャン」はエバンジェリカルを意味する。共和党とエバンジェリカルとの間に、レーガン大統領時代から密接な関係が存在する。エバンジェリカルは共和党の最大の支持層を形成し、共和党を通して宗教的な要求の実現を図っている。共和党は、エバンジェリカルの要求を政治的に実現する“宗教政党”になっていると言っても過言ではない。

 中絶問題は、その最大の焦点であった。南部バプティストは、歴代の共和党大統領に最高裁が女性の中絶権を認めた「ロー対ウエイド判決」を覆すために中絶反対派の判事を最高裁判事に登用することを繰り返し求めてきた。南部バプティストの支援を得て大統領選挙に当選したトランプ大統領は、中絶に反対する保守派判事3名を指名し、9名の判事のうち6名が保守派判事になり、「ロー対ウエイド判決」を覆す判決につながった。

 ちなみに、最近の反中絶運動は、その論拠に胎児の人格性を上げている。胎児を「まだ生まれていない子供(unborn child)」と表現し、人格性を持つ胎児を中絶することは、殺人と同じであると主張するのが普通になっている。

 アメリカ社会はリベラルな方向に進んできた。女性の中絶権の容認や同性婚の合法化、性的少数派の権利の拡大などが社会的に受け入れられ、伝統的な宗教的価値観を主張するエバンジェリカルは劣勢に立たされてきた。そうした中でエバンジェリカルは共和党と手を組むことで、巻き返しを図っている。

 日本でも旧統一教会と自民党議員の関係が問題になっている。政治と宗教の癒着の問題は、アメリカだけでなく、日本でも存在しているのである。

■ 今後の最大の課題は「宗教的自由」である

 エバンジェリカルが最近、最も強く主張しているのは「宗教的自由(religious liberty)」である。彼らの主張する宗教的自由は、自らの宗教的信念に反することを“拒否する自由”である。宗教的自由を巡る係争として最も有名なのは、コロラド州で起こされた訴訟である。同性婚のカップルが、ケーキ店に結婚ケーキを注文した。だが、店のオーナーは、宗教的立場から同性婚に反対であるという理由で、その注文を断った。これに対して同州の市民権団体が、オーナーを違法であると訴えた。裁判は最高裁まで争われた。2018年6月に最高裁は、原告の訴えはケーキ店オーナーに対する敵意に基づいたものであると訴えを却下し、オーナーの勝訴となった。この時、争われたのは「宗教的自由」であった。ただ、被告は勝利したが、最高裁は宗教的自由に踏み込んだ判決を下さなかった。

 それ以降、現在に至るまで、エバンジェリカルは自らの宗教的信念に反する行為を忌避する権利があると、様々な裁判で争っている。たとえばエバンジェリカルの医師や看護婦が中絶手術や避妊手術を拒否するのは宗教的自由からであると主張している。彼らは中絶禁止に留まらず、既に合憲判断が下されている同性婚に関しても最高裁判決を覆すことを狙っている。さらに性的少数者の権利の抑制、公立学校における聖書研究会の合法化などを狙っている。アメリカは宗教的対立で分断されているのである。

 最近、「キリスト教ナショナリズム」という言葉が頻繁に使われるようになっている。キリスト教ナショナリストは、連邦政府はアメリカがキリスト教国家であることを宣言すること、政教分離を廃止すること、学校における礼拝や聖書輪読会を認めることなどを主張している。アメリカの政治と社会は宗教とは切っても切れない関係にある。

■ アメリカには「南北戦争」という言葉はない

 アメリカ社会を理解するうえで「南北戦争」は極めて重要である。「南北戦争」は、アメリカの「第2の独立」と呼ばれている。だがアメリカには「南北戦争」という言葉は存在しない。これも学生に質問すると、正確な答えは返ってこない。英語では「The Civil War」という。

 すなわち、英語では「内乱」という言葉が使われている。アメリカが2つの国家に分離し、争われた戦争である。それを「南北戦争」と表現したことで、内乱の本質が見えなくなり、日本では「奴隷解放戦争」と教えられることになる。「The Civil War」は奴隷解放のために戦われたのではなく、南部諸州が「南部連合(the Confederation)」を結成し、連邦からの「分離独立」を目指す戦争だった。

 連邦に州として参加するには連邦議会の承認が必要であった。憲法第4章第3条第1項に「連邦議会は新しい州がこの連邦に加入することを認めることができる」と書かれている。アメリカは拡大を続け、新しい土地は「準州土(territory)」となり、そこでの行政実績に基づき、連邦への加入を申請する。議会が承認したとき、準州は州となる。連邦からの離脱を求めた南部連合は、連邦への加入は“自発的”に行われたもので、連邦からの離脱も可能であると主張した。

 南部諸州は奴隷州であり、北部諸州は自由州であった。連邦議会は、勢力バランスを図るために、新しい州の加盟を認める際、奴隷州と自由州を同じ数にする政策を取った。奴隷制度を認めるかどうかは、州の権限に属し、連邦政府は介入できなかった。

 なぜ南部連合は連邦からの離脱を求めたのか。それは、まず経済的な問題があった。南部は農業地域で、農産物をヨーロッパに輸出していた。他方、北部の州は産業や金融が主要な産業であった。南部と北部は、まず関税政策で対立する。北部は産業育成のために関税の引き上げを主張した。他方、関税引き上げはヨーロッパ諸国の報復的な関税引き上げを招き、南部の主産品の農産物の輸出が困難になると反対した。この対立は建国以来ずっと続いてきた。

 また南部の州と北部の州の間には国家観の違いもあった。南部諸州は農業や中小企業が主体の地域で、州政府をベースとする連邦主義を主張した。これに対して製造業や金融が栄える北部諸州は、海外における利権を守るために強力な政府が必要であると主張した。農本主義的な南部諸州と近代化が進む北部諸州の間には文化的な違いもあった。奴隷制度に関して言えば、北部諸州は自由州、南部諸州は奴隷州であった。奴隷制度は、南北の間に存在する多くの違いのひとつに過ぎなかった。

 奴隷解放は内乱の直接的な原因ではなかった。リンカーン大統領は奴隷解放主義者であったが、武力によって奴隷を解放する意図は持っていなかった。就任演説でリンカーン大統領は「私は奴隷制度に直接的にも、間接的にも干渉する意図はまったくもっていない。私は干渉する権限もないし、干渉する気もない」と語っている。要するに奴隷州を選ぶのか、自由州を選ぶのかは州の権限であって、連邦政府に干渉する権利はないと南部諸州の分離独立の動きを牽制している。

 南部諸州が南部連合を樹立したのは、リンカーン政権が奴隷解放政策を取ったからではない。南部の奴隷州のなかの4州(ケンタッキー州、ミズリー州、メリーランド州、デラウエア州)は南部連合に参加していない。とすれば、この戦争を奴隷州と自由州の闘いであると決めつけるのは誤解の元である。

 また、奴隷解放宣言が出されたのは戦争が始まって2年後である。しかも奴隷解放宣言の対象になったのは南部連合に加わった州だけで、連邦に留まった奴隷州には適用されなかった。リンカーン大統領は戦争が終わってから「奴隷解放宣言」を出すつもりだった。正式に奴隷制度が廃止されるのは1865年に憲法修正第13条が批准されてからである。批准に関して言えば、27州が批准に賛成したのに対して、4州(ミシシッピー州、ケンタッキー州、デラウエア州、ニュージャージー州)は批准に反対している。

 憲法修正は4分の3の州が批准すると成立する。憲法修正で奴隷制度は正式に廃止されたが、南北の対立は終わったわけではない。連邦軍による南部支配が終わると、南部連合の有力者は州政治に復活した。これを「南部復古(Southern Redemption)」という。南部では、奴隷制度に代わる「解放奴隷に対する人種差別」、すなわち「黒人差別」が強化された。「ジム・クロウ法」によって投票権も制限された。教育も分離された。黒人に投票権が保障されたのは1965年の「投票権法」の成立によってである。

 現在でも少数ではあるが、南部の分離独立を主張するグループは存在する。彼らは現在でも南部連合の旗を掲げて政治活動を行っている。南部と北部の基本的な対立構造は何も変わっていない。「南北戦争」という言葉を使うと、こうした構造的な問題が見えてこない。

■ 「不法移民」という用語がもたらす大きな誤解

 アメリカにとって「移民問題」は深刻な問題である。日本のメディアは、この問題について「不法移民」という用語を用いている。「不法移民」という言葉には「犯罪者」という意味合いが含まれてくる。英語は「illegal immigrant」である。だが、アメリカで「illegal immigrant」という表現が使われるのは稀である。トランプ大統領のように移民をレイプ犯と呼び、移民規制を主張するような場合を除いて、「不法移民」という言葉が使われることはない。

 多くのアメリカのメディアは「undocumented immigrant(書類の揃っていない移民)」や、「unauthorized immigrant(正式な許可を得ていない移民)」といった表現を使うことが多い。こうした言葉のニュアンスは極めて重要である。日本では、こうした違いを意識することなく、無神経に「不法移民」という言葉が使われている。そのためアメリカ社会における移民問題の本質が見失われてしまっている。

 アメリカは移民がいなくては存在できない社会である。アメリカでも出生率の低下が見られ、ますます移民労働への依存が高まっていくだろう。アメリカの観光産業を支えているのは移民労働である。レストラン業界やホテル業界は移民労働に依存している。

 トランプ大統領は移民を保護する「聖域都市(sanctuary city)」に圧力を掛け、移民保護を中止させようとした。もともと「聖域都市」は、逃亡奴隷を保護するために作られたものである。現在では、聖域都市は正規のルートで入国できなかった移民に対して市民としての生活や権利を保護する活動を行っている。こうした事実を抜きにしてアメリカの移民問題を議論することはできない。

 日本のジャーナリストも無神経に「不法移民」という言葉を使っている。その意識の背後に、不法移民=犯罪者という決めつけがある。そのため不法移民と呼ばれる人々の人権が侵害されても問題にすらしないのである。言葉には、その背後に多くの意味が含まれている。

 間違った翻訳や言葉を使うと、本当の事実と意味を見失う結果になる。また言葉の背後にある社会的、政治的な状況を見落とすことにもなる。

ジャーナリスト

1971年国際基督教大学卒業、東京銀行(現三菱東京UFJ銀行)、東洋経済新報社編集委員を経て、フリー・ジャーナリスト。アメリカの政治、経済、文化問題について執筆。80~81年のフルブライト・ジャーナリスト。ハーバード大学ケネディ政治大学院研究員、ハワイの東西センター・ジェファーソン・フェロー、ワシントン大学(セントルイス)客員教授。東洋英和女学院大教授、同副学長を経て現職。国際基督教大、日本女子大、武蔵大、成蹊大非常勤講師。アメリカ政治思想、日米経済論、マクロ経済、金融論を担当。著書に『アメリカ保守革命』(中央公論新社)など。contact:nakaoka@pep.ne.jp

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