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密着番組の波紋も受け、河瀬直美監督は五輪映画をどう導くか。強烈な時代性を持つか、美しくまとまるか

斉藤博昭映画ジャーナリスト
国立競技場を視察するバッハ会長をカメラで収める河瀬直美監督(写真:長田洋平/アフロスポーツ)

2021年に開催された東京オリンピック(以下、東京2020)は、日本選手に多くのメダルをもたらして、会期中は盛り上がった。しかし同時に、開催の賛否や、コロナによる基本、無観客など、競技以外で過去の大会とはまったく違う側面も際立った。そのためか、大会後の盛り上がりとしては、過去の現地開催時と比べると、参加選手の活躍のわりに少なかったように思える。コロナの社会状況もあってお祭りムードに違和感もあるし、今後のオリンピックの意義が問われる側面もあったりと、時代とともに変化が生まれていると感じる。

そんな東京2020の“特別”な状況を、映画としてどう残していくか。現在、6月の公開に向けて、公式記録映画が製作中である。

オリンピックの公式記録映画といえば、1964年の大会を題材にした、市川崑監督の『東京オリンピック』は、翌1965年に公開され、観客の動員数が2000万人以上といわれ(映画館のほか、学校や公民館などでも上映された)、まさに社会現象となった。開会式や競技などの記録というより、芸術性を重視した作りが当初、担当大臣など“お上”の方々から反発を受け、市川監督が落としどころを探るなど波紋を呼んだが、結果的に現在も語り継がれる名作となった。

今回の東京2020で総監督(指揮)を任されたのは、河瀬直美。カンヌなど海外の映画祭での実績もあり、現在の日本映画を代表する一人なのは間違いない。コロナによる1年の延期など、東京2020は競技以外の部分が記憶に残る大会でもあり、それをどのように後世に残すのかに注目も集まっている。ある意味で、市川崑監督の時代とは大きく異なり、むしろ高いハードルが待ち構えているのは明らかだ。

その河瀬監督による『東京2020オリンピック(仮)』の舞台裏を追ったドキュメンタリー番組「河瀬直美が見つめた東京五輪」が昨年(2021年)末に、NHK-BSで放送され、一部で波紋を呼んだことは、年明けからいくつかのニュースでも報道されていた。

最も批判を受けたのは、五輪の反対デモに参加したという男性を映した場面に「じつはお金をもらって動員されていると打ち明けた」と字幕が出たことで、そのような事実があったかに対する疑問がSNS上にもあふれ、結果的にNHK側が、一部に不確かな内容があったことを発表する事態となった。

「雇われていた」人たちが、五輪を反対していたのか? 映画にもそのような内容が盛り込まれるのでは……と、番組を観た人が感じたのは無理もない。

もうひとつ、番組中の内容で取りざたされたのは、河瀬監督の次のような言葉だった。

「日本に国際社会からオリンピックを7年前に招致したのは私たちです。そしてそれを喜んだし、ここ数年の状況をみんなは喜んだはず。だからあなたも私も問われる話。私はそういう風に描く」

これに対し、国民全体が招致を喜び、それゆえに誰もが問われる、というのはどうなのか。反対した人も多数いたではないか、いうことでSNSでは反発の声が上がった。

たしかに招致決定の頃は、安倍首相(当時)の「アンダーコントロール」などへの反発はありつつも、世間的に寛容なムードはあった。「私たち」が「喜んだ」というのも大ざっぱに言えば間違いではない。河瀬監督の思いとしては「喜んだ人が、この現実をどう問われたか」なのだと解釈できる。

ただ、個人的に番組を観て気になったのは、河瀬監督とIOC(国際オリンピック委員会)バッハ会長との親密ぶりだ。もちろん公式記録映画の監督なのだから、そこに繋がりがあるのは納得できるものの、やたらとその関係が強調され、実際に映画に協力した別の監督にその仲の良さを指摘されるシーンも出てきた。

やはり公式映画なので主催側の意向に沿った作品になる、という予感も漂う。それは映画として当然の成りゆきだろう。ただ、このバッハ氏との関係と、前述のデモ参加者の字幕なども結びつき、「そちら側の映画になる」イメージが強くなってしまったのは事実である。

公式記録映画に求められるものは何か? 主催者側に特別の許可をもらって、他の媒体ではキャッチできない瞬間もとらえるメリットとともに、そこで起こったことを収めることだ。そのうえで「映画」としての意義は、そこで起こった事実が、その時代にどんな意味を持ち、未来にどんな影響を与えるか、を伝えること。

東京2020は、明らかに特殊な状況でその時代を象徴しており、しかもさまざまな問題があぶり出され、オリンピック自体の意義が大きく問われた大会でもあった。単なる公式記録以上の何かが求められているのである。それは河瀬監督も十分承知しているから、前述の「問われる」コメントで表現したのだろう。作品から発せられる、「強い主張」は何か? その主張が今は批判されたとしても、未来にアピールするものがあるのではないか。

ただ、現代において、こうした巨大な組織の下で、映画作家がどこまで自身の主張、テーマを強調できるかは不確かだ。この映画は、東宝というメジャー会社で配給され、幅広い観客層を視野に入れているので、突出したテーマ、方向性は抑えられてしまうのではないか。結果的に、当たり障りのない、美しくまとまった作品になるのか。それはそれで、現代の観客に求められているものかもしれないが、NHKなどの「オリンピック総集編」と大差なかったら残念でもある。カンヌ国際映画祭への出品も視野に入っているということで、1本の映画としてテーマ性、社会性、時代との関係が浮き彫りになることを、河瀬監督には期待したい。

1965年、『東京オリンピック』が国民的映画になった時代とは違い、この公式記録映画はそこまで圧倒的なヒットとなることはないかもしれない。ただその仕上がりによっては未来の映画に影響を与えるポテンシャルも秘めている。こうして炎上的にニュースになることも、作品への注目に寄与してほしいと感じる。

公式記録映画監督、就任時の河瀬直美監督
公式記録映画監督、就任時の河瀬直美監督写真:アフロスポーツ

映画ジャーナリスト

1997年にフリーとなり、映画専門のライター、インタビュアーとして活躍。おもな執筆媒体は、シネマトゥデイ、Safari、スクリーン、キネマ旬報、VOGUE、シネコンウォーカー、MOVIE WALKER PRESS、スカパー!、GQ JAPAN、 CINEMORE、BANGER!!!、劇場用パンフレットなど。日本映画ペンクラブ会員。全米の映画賞、クリティックス・チョイス・アワード(CCA)に投票する同会員。コロンビアのカルタヘナ国際映画祭、釜山国際映画祭では審査員も経験。「リリーのすべて」(早川書房刊)など翻訳も手がける。連絡先 irishgreenday@gmail.com

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