【チョコレートの歴史】大衆消費の時代がやってきた!カカオの歴史と共に見る甘味の革命
19世紀から20世紀初頭にかけて、チョコレートはその製造技術の発展とともに大衆の手に届く存在へと変貌を遂げました。
1828年、オランダのコエンラート・ヨハネス・ファン・ホーテン氏は、カカオの加工方法を革命的に改良します。
カカオリカーからカカオバターを分離し、粉末化することで、より軽やかな口当たりのチョコレートを安価に生産できる技術を特許化しました。
この一歩により、かつてはエリートの嗜好品だったチョコレートが、庶民の食卓にも登場するようになったのです。
この時期、チョコレート業界をけん引したのは、信仰心厚きクエーカー教徒たち。
彼らは「チョコレートはアルコールの代替品」という理念を掲げ、J・S・フライ・アンド・サンズ、キャドバリー、ロウンツリーズといった名だたる企業を興しました。
1847年には、フライズがカカオバターを砂糖と混ぜ合わせる技術を確立し、世界初のチョコレートバーを誕生させたのです。
この進展により、チョコレートはより多様な形で人々に愛されるようになりました。
また、スイスもこの甘味革命の舞台として名を馳せました。
19世紀にはフランソワ・ルイ・カイエが国内初のチョコレート工場を設立。
1875年にはダニエル・ピーターが粉ミルクを使用したミルクチョコレートを発明し、さらに1879年にはロドルフ・リンツが滑らかな質感を生む「コンチング」技術を開発。
この一連の革新は、世界のチョコレート文化を形作る礎となりました。
同時期、カカオの生産は南アメリカからアフリカへと移行しました。
ポルトガルの植民地サントメやプリンシペでは、奴隷労働が事実上の「合法的手段」によって続けられ、西アフリカは一大生産地へと成長。
しかし、この労働環境に疑念を抱いたキャドバリーなどの企業は、プランテーションをボイコットし、新たな供給地としてガーナを選びました。
この決定は、カカオ産業全体の変革を促す一因となったのです。
こうして、1880年から1914年にかけてチョコレートの消費は爆発的に拡大。
飲むチョコレートから食べるチョコレートへと主流が移り、1890年代のアメリカでは消費量が400%以上増加したといいます。
西洋の文化に深く根付いたチョコレートは、やがて世界中でその存在感を高めていったのです。
甘味の革命は、今なお私たちの日常にその名残を残し続けています。
歴史をひもとけば、チョコレートという甘い物語の背後には、技術革新と人々の情熱が隠されているのです。
ソフィー・D・コウ&マイケル・D・コウ著、樋口幸子訳(1999)『チョコレートの歴史』河出書房新社