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吉本興業の「理屈」は、まっとうな世の中には通用しない

郷原信郎郷原総合コンプライアンス法律事務所 代表弁護士
(写真:アフロ)

7月20日、振り込め詐欺グループの宴会に参加して金を受け取ったとして謹慎処分を受けた、「雨上がり決死隊」の宮迫博之氏と「ロンドンブーツ1号2号」の田村亮氏の2人が記者会見を開いた。引退を覚悟して、謝罪会見をしたいと会社に伝えた際に、吉本興業ホールディングス(以下、「吉本」)の岡本昭彦社長から「会見したら、全員連帯責任でクビにする」と言われたと明らかにしたことで大きな波紋が生じている。今日(7月22日)午後2時からは、岡本社長の記者会見が予定されている。

この問題の背景には、吉本という会社と芸能人との契約関係や報酬の支払いをめぐる問題がある。それらの問題について、同社の大崎洋会長が、Business Insider Japan(以下、「BI」)のインタビューで吉本という会社の考え方を詳しく述べている(【闇営業、契約書なし、安いギャラ、宮迫の今後…吉本・大崎会長が答えた60分】)。芸能界という特殊な世界で、芸能人を育て、その能力を引き出す芸能事務所の事業の特殊性を強調しているが、大崎氏が言う「吉本の理屈」というのは、法的に多くの問題があるだけでなく、今の世の中には、全く通用しないものである。

今日、岡本社長が記者会見で述べることも、そのような「吉本の理屈」に基づくものであろう。しかし、その「根本的な誤り」を正さなければ、吉本という会社が日本の社会で「まともな会社」として存続していくことはできないだろうと思う。

岡本社長記者会見の焦点

今日の岡本社長の会見での最大の注目点は、宮迫氏らが、早い時期に、記者会見で、真実をありのままに話したかったのに、吉本の岡本社長から「記者会見をしたら、全員連帯責任でクビにする」と言われていたと会見で述べたことの真偽と、吉本側の対応の是非だ。

岡本社長は、会見を予告する動画で「昨日のような会見をタレントに開かせてしまったことが大変心苦しい」と述べていることからすると、宮迫氏らが会見を開いたことに対して、何らかの「否定的発言」をするものと思われる。考えられるのは、(1)宮迫氏らが会見で明らかにした岡本社長発言自体の否定、(2)岡本社長発言を認めた上で、その正当性を主張し、それを理解せずに会社の方針に反して会見を開いた宮迫氏らの行動の批判、の二つである。

予告動画での発言からすると、岡本社長は、(2)の方向で説明するのであろう。

そこで「岡本社長発言」が正当であることの理由として主張するのは、「宮迫氏らに会見を開かないように言ったのは、吉本のためではなく、芸人である彼らを守ろうとした」ということだろう。

確かに、反社会的集団のイベントに参加し、報酬を受け取った疑惑が表面化した後、宮迫氏が「会見をしたい」と言った時点で、すぐに会見を行えば、説明の混乱、非難の炎上を招き、宮迫氏らがかえって窮地に追い込まれるおそれがあった。そういう意味で、岡本社長発言は、宮迫氏らを守るためであった、という説明には一定の合理性がある。しかし、宮迫氏らには、問題を起こした個人としてどのように対応するのか、ということに関して、個人としての考え方がある。一時的には混乱を招いても、嘘をついている状況を長期化させることは、一生悔いを残すと考えたというのは、個人の考え方として理解できる。

しかし、ここで問題になるのは、吉本という会社には、所属する芸人のマネジメントを行い、その芸人の利益を守る立場にあると同時に、吉本自体に、芸能事務所という事業を行う会社としての利害があり、両者が相反する可能性があることである。

芸人が自由に発信するのを制約しない?

BIのインタビューで、大崎氏は、謹慎処分を発表した際のプレスリリースの宮迫氏のコメントに批判が集中したことに対して、事務所としてチェックはできなかったのかと質問され

個人がそれぞれ自由に発信するのが、芸人のそのものです。そこを制約するのは、吉本らしくない。コントロールするのは、逆に問題があるのではと思っています。

と答えている。

しかし、そこで言っている「個人の自由な発信を制約しない」という会社の「建前」と、「会見したら、全員連帯責任でクビにする」という岡本社長が宮迫氏らに言ったとされていることとは全く正反対だ。その発言が、大崎会長の意向と無関係に行われたとは考えにくい。

そこには、吉本の芸能事務所としての立場と建前があり、その建前と、芸人個人の利益を守るマネジメントの立場との間で、どのような姿勢で対応したのか、という点が問題になる。

大崎会長の発言のとおりだとすると、宮迫氏らが個人として早期に世の中に説明責任を果たしたいと思ったとすれば、その意思は尊重されるべきであった。ところが、そうならなかったところに、個人の利益と会社の利益との典型的な「利益相反」があるのである。

「安いギャラ」と「会社を通さない営業」

その「利益相反」が、さらに顕著に表れるのが、芸人に対する報酬の支払いだ。

BIのインタビューで、大崎氏は、「闇営業の背景には、芸人たちの報酬が安いことがあるのではないか」との指摘に関して、    

ギャラが安いことと、犯罪を起こすことはなんの関係もない。お金持ちは、犯罪を犯さないのかというとそんなことはない。

と述べている。

しかし、今回の問題は、「芸人が犯罪を起こした」ということではない。会社を通さずに営業を行い、報酬を受け取ったことに関して、その相手方の「反社会性」のチェックができていなかった、というコンプライアンス問題だ。ギャラが安いからといって、自ら犯罪に手を染めるかといえば、ほとんどの人間は、それはやらない。しかし、ギャラが安いために、会社を通さない営業(後述するように、大崎氏は、そのような会社を通さない営業を、会社として容認していたと述べている)を行わざるを得ず、そこでは「反社チェックというコンプライアンス対応」は個人としては十分に行うことができない。そういう意味では、「安いギャラ」が一つの要因となって、今回のような問題が起きた側面があることは否定できない。

大崎会長は、「安いギャラ」について以下のように述べている。

10組の漫才師が出て、上の3組の名前で800人がいっぱいになったとする。若い子の名前でイベントに来た客はいなくても、プロとして舞台に立ったんだから、1円でも払ってあげようという意味での250円。250円もらえてよかったなと、ぼくは思う。

交通費が500円かかって、250円では赤字だったとしても、800人の前で自分たちの漫才を3分できれば、たとえ1回も笑いが取れなくても今後の芸の役には立つでしょう。

芸は、人生をかけて何十年も積み重ねて完成するもの。修行時代に、先輩のおかげで舞台に立つ経験をしてもらう。ギャラの額の問題ではないと思ってます。

吉本は、このように、芸を磨くこと、その芸を多くのお客さんに観てもらってこそ価値が出るのだから、ギャラの額は、その場を提供する吉本側の「お心次第」で決めてもよいという考え方だ。

しかし、有名な芸人でも無名の芸人でも、吉本の興行に出演した場合には、興行主の吉本との間の「出演契約」に基づき、吉本に対価を請求できる。そういう意味では、出演する芸能人は「債権者」であり、吉本は、その対価を支払うべき「債務者」だ。両者は、利害が対立する契約の当事者である。その一方の吉本が、圧倒的な「優越的地位」の下で、報酬も明示しないで出演を依頼し、その対価を、「債務者」のお心次第で決めることができるなどというのは、まともな会社が行う「契約」として、あり得ない。

本来、興行を行うことを事業とする会社であれば、出演させる芸人については、キャリア・芸のレベル・人気度・集客力等を評価し、それに応じた相応の報酬額を合意し、興行にかかるコストを確定させた上で、興行を行うのが当然であろう。その上で、収益が上がるかどうかは、会社の責任である。

このように、利益相反が生じる関係であるからこそ、合意の段階で契約内容を明確化して、各当事者が、それぞれどのような義務を負うのかを明らかにしておかなればならない。会社としての利益と芸能人個人の利益との間で利益相反が生じ得る場合には、利益相反を防止するために、両者の立場を分けることを合意する必要がある。

そういう意味では、このような契約関係について、契約書で、契約内容を明確化しておくことが不可欠なのである。

口頭での「契約」の是非

大崎会長は、

芸人、アーティスト、タレントとの契約は専属実演家契約。それを吉本の場合は口頭でやっている。民法上も、口頭で成立します。

と言い切っている。

確かに、契約締結の形式は「契約書」に限らず、口頭でも成立する。例えば、小売店で商品を買うのも「売買」だが、商品を選択して代金を払うことで売買契約は完了し、その後に契約の履行が生じる余地がないので契約書は不要だ。また、業者が作成している「料金表」を確認した上で業務を発注し、業務終了後に請求書を受領して支払うという場合には、特に契約書を交わさない場合も多い。契約の内容と対価の関係が明確で争いが生じる可能性が低いため、契約書を作成する必要性も低いからだ。

しかし、吉本と芸人の関係は、それとは全く異なる。「契約書」を作成し、契約内容、対価を明確にし、利益相反が生じないようにしておく必要がある場合の典型だ。まさに、「契約書のない契約」による「闇」だといえる。

芸能事務所とタレントの契約と労働法上の問題

芸能事務所とタレントとの契約関係は、仕事のマネジメントをするという面においては「専属マネジメント契約」が一般的なようだが、実態として芸能事務所とタレントとの間に「使用従属関係」があり、労務の提供に対して賃金が支払われる関係であれば、雇用契約とみなされ、労働基準法9条に定める労働者としての保護を受けることになる。この場合、労働基準法により、就業規則を定めることや、労働条件通知書の交付が義務付けられる。

吉本とその傘下の6000人にも上るという芸人との関係は、一部の有名芸能人以外は、「使用従属関係」が認められる可能性がある。それは、今回の宮迫氏らの問題で用いられた「闇営業」という言葉に表れている。吉本所属の芸人が「会社を介しての仕事しか受けてはならない」という義務を負っているとすると、芸人の仕事はすべて会社の使用従属関係の下で行われていると認定され、雇用に該当するので、労働条件通知書を交付しないことが違法とされる可能性が高い。

そのことを意識しているからか、大崎会長は、BIのインタビューで、以下のように述べている。

闇営業という言葉を、今回のことで初めて知りました。要は会社を通さない仕事で、ぼくが入社したときからあって、いまもある。

そもそも「闇営業」という言葉もなく、会社を通さない仕事は自由に行えるというのである。そうだとすれば、芸人は労働者ではなく、個人事業者であり、事業者として自由に営業を行うことができ、吉本側からは制約を受けないということになる。

しかし、仮にそうだとすると、その「個人事業者としての自由な営業」の相手方の「反社チェック」を行うことは事実上不可能であり、今回のような問題の再発を防止することは難しいということになる。

日本の芸能事務所をめぐる法律上の根本問題

今回のような問題が発生した背景に、日本の芸能事務所とタレントの関係が、芸能活動に関するサポート業務を包括的に引き受けているという構造がある。それは、両者の関係の「一体化」を招き、「契約の当事者」という認識を希薄化させることになっている。

芸能事務所とタレントとが一体化していることで、タレント側は、芸能事務所側に生殺与奪の権利をすべて握られ、出演の対価の決定もすべて芸能事務所側に握られている構図になっている。このように明らかにタレント側に不利な構図であっても、外部的な問題が発生せず、タレント側がそれに甘んじている限り、特に問題が具体化することはない。しかし、今回のように、タレント個人が、反社会的集団・犯罪集団等との関わりを持ったとされることで社会的非難を浴びるという局面になり、個人の利害と芸能事務所の利害とが相反しかねない関係になると、その「一体的関係」の下で、利益相反を防止するための措置すら明確ではない曖昧な契約関係の問題が一気に具体化することになる。

組織も個人も社会から複雑多様な要請を受け、それに応えていかなければならない「コンプライアンス」が重視される世の中では当然のこととも言えるのである。

タレントに仕事の斡旋を行うエージェントと、日常的なサポートを行うマネジメントが分化しているアメリカでは、かねてから、エージェントに関する法律も定められてきたが、日本は、この領域については、ほとんど「無法地帯」であったと言っても過言ではない。

吉本は、日本を代表する芸能事務所であるとともに、一つの大手企業である。それだけではなく、2019年4月20日には、安倍晋三首相が吉本新喜劇の舞台に上がり、新喜劇の芸人たちと歓談し、それを大手メディア各社が「ニュース」という扱いで全国に報じるなど、一国の首相ともつながりを持っている。

上場企業ではないといっても、それだけ大きな社会的影響を持つ企業なのであるから、その事業運営の適正さ、公正さが強く求められることは言うまでもない。

吉本の代表である岡本社長、そして、大崎会長には、吉本という会社が、江戸時代の「置屋稼業」のような事業から脱却し、タレント・エージェンシー企業として、契約の適正化・明確化を実現することが求められている。

郷原総合コンプライアンス法律事務所 代表弁護士

1955年、島根県生まれ。東京大学理学部卒。東京地検特捜部、長崎地検次席検事、法務省法務総合研究所総括研究官などを経て、2006年に弁護士登録。08年、郷原総合コンプライアンス法律事務所開設。これまで、名城大学教授、関西大学客員教授、総務省顧問、日本郵政ガバナンス検証委員会委員長、総務省年金業務監視委員会委員長などを歴任。著書に『歪んだ法に壊される日本』(KADOKAWA)『単純化という病』(朝日新書)『告発の正義』『検察の正義』(ちくま新書)、『「法令遵守」が日本を滅ぼす』(新潮新書)、『思考停止社会─「遵守」に蝕まれる日本』(講談社現代新書)など多数。

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