「畝本検事総長談話」大炎上の背景にある検察の「全能感」と“法相指揮権問題”
1966年に静岡市内で一家4人が殺害された強盗殺人放火事件(「袴田事件」)の再審で、9月26日に静岡地裁が言い渡した無罪判決に対して、検察は、控訴期限の2日前の10月8日に控訴を断念することを発表した。その際に公表した、畝本直美検事総長の談話(以下、「畝本総長談話」)に対して、弁護団が抗議の声明を出すなど、厳しい批判が行われており、SNSのX上でも批判の投稿が「炎上」し、「検事総長」がトレンド入りした状態が続いた。
畝本検事総長に対する直接の批判は、検察として控訴を断念して無罪判決を受け入れているのに、検事総長として「本判決は、その理由中に多くの問題を含む到底承服できないものであり、控訴して上級審の判断を仰ぐべき内容であると思われます。」などと、控訴断念と矛盾する意味のことを発言し、検察の公式見解として公表していることに向けられている。
弁護団は声明で、控訴を断念して袴田氏の無罪を確定させておきながら、袴田氏を犯人視する談話をするというのは、名誉毀損になりかねないとしている。検事総長に対する批判がここまで「大炎上」していることの背景には、今、衆議院総選挙で最大の争点となっている「自民党派閥政治資金パーティーをめぐる裏金事件」で、殆どの国会議員が処罰されず、納税もしないままに終わったことに対する不満があるのではないだろうか。
しかも、石破新内閣の発足によって就任した牧原秀樹法務大臣は、10月11日の定例会見で、弁護団から「無罪になった人を犯人視している」と批判が出ていることについて、
と述べて、検事総長を擁護したとのことだ。
しかし、「判決内容への言及」は、その結論が「控訴すべき事案」というもので、「不控訴の判断理由の説明」とは真逆であるからこそ批判されているのである。「不控訴理由の説明に必要な範囲の論評」だというのは全く通らない。牧原法相は、旧統一教会との関係が衆院本会議や記者会見で追及され、選挙支援を受けていたことや、教団や関連団体の行事に少なくとも10回出席したことを認めており、そのような問題を抱える法相が、凡そ理由にならない理由で畝本総長談話を擁護したことで「検事総長批判」にさらに燃料を投下する結果になりかねない。
検察に対する批判・不信は、2010年の村木厚子氏に対する冤罪事件と証拠改ざん事件以来の深刻さだ。
畝本総長談話には、どういう問題があるのか、牧原法務大臣はどう対応すべきだったのか。それらを検討するためには、改めて、検察という組織が本来果たすべき職責、そして、法務大臣と検察との関係について、根本的に考え直してみる必要がある。
検察の「権限行使」について、誰が責任を負うのか
憲法第65条第1項では、「行政権は、内閣に属する」と規定されており、内閣は行政権の行使について国会に対して連帯して責任を負うとされている(内閣法第1条第2項)。
検察権も行政権の一つであり、検察庁も法務省に属する行政組織である。検察権の行使についても、内閣が国会に対して、そして最終的には国民に対して責任を負う。そして、国民を代表する国会で選ばれた内閣の一員として、検察権の行使について責任を負うのが法務省の長たる法務大臣である。
刑訴法上、検察官が公訴権を独占し、訴追裁量権を持つ日本の刑事手続において、刑事事件に関して検察が極めて強大な権限を有しており、日本の刑事司法の下では、検察の判断は、事実上、裁判所の司法判断に近いものとなっている。それだけに、「司法権」の行使に直結する検察の権限行使については、裁判官の独立と同様に、検察官個人としての独立性と、検察組織としての独立性が尊重されている。が、内閣の一員である法務大臣と、内閣から独立して「法と証拠に基づいて権限行使を行うこと」を使命としている検察との関係については、微妙な問題がある。
それは、検察官の権限行使には他の官庁にはない特殊性があるためである。検察庁法1条の「検察庁は検察官の行う事務を統括するところとする」との規定、および個々の検察官が行う意思決定は国家が行う意思決定とみなされることから、個々の検察官は、独立して検察事務を行う「独任制の官庁」とされ、検察庁がその事務を統括すると解されている。他の行政官庁のようにそのトップである大臣の有する権限を、各部局が分掌するという一般の官公庁とは性格が大きく異なるのである。
つまり、検察官は、担当する事件に関して、独立して事務を取り扱う立場にあるが、一方で、検察庁法により、検事総長が「すべての検察庁の職員を指揮監督する」(7条)、検事長・検事正が管轄区域内の検察庁の職員を指揮監督する(8条、9条2項)とされ、検事総長・検事長・検事正は、各検察官に対して指揮監督権を有し、各検察官の事務の引取移転権(部下が担当している事件に関する事務を自ら引き取って処理したり、他の検察官に割り替えたりできること)を有している。それによって「検察官同一体の原則」が維持され、検察官が権限に基づいて行う刑事事件の処分、公判活動等について、検察全体としての統一性が図られている。つまり、主任検察官個人の権限行使に対して、上司の決裁によるチェックが行われ、事件の重大性によっては、主任検察官が、所属する検察庁の上司や、管轄する高等検察庁や最高検察庁等の上級庁の了承を得た上で権限行使が行われる。
法務大臣の指揮権
そのような検察の権限行使と法務大臣との関係について、検察庁法14条は、
「法務大臣は、第四条及び第六条に規定する検察官の事務に関し、検察官を一般に指揮監督することができる。但し、個々の事件の取調又は処分については、検事総長のみを指揮することができる。」
と規定している。
同条本文は、検察官としての権限行使に関して、一般的に法務大臣の指揮監督に服することを規定している。つまり、事件処理の一般的な方針、法令解釈等については法務大臣が個々の検察官に対して直接指揮監督を行うことができる。しかし、但し書で、個々の事件の取調又は処分、つまり「検察官としての権限行使」については、法務大臣が行う指揮の対象を検事総長に限定しているため、法務大臣が個々の検察官を直接指揮監督することはできず、検事総長に対して指揮を行い、検事総長に部下の検察官に対する指揮を行わせることによってのみ、法務大臣の指揮を個々の検察官の権限行使に反映させることができるとされている。「検察の権限行使の独立性」を確保することと、法務大臣が、行政権に属する検察権の行使について内閣の一員として主権者たる国民に責任を負う原則との調和を図っているのである。
法務大臣が個々の事件について個々の検察官を直接指揮することができるとすると、検事総長、検事長からの指揮を受けている場合、どちらに従うべきかについて混乱を来すことになる。そこで、法務大臣の指揮は、個々の検察官に対する指揮監督を通じて個々の事件について最終的な決定権者の立場にある検事総長に対して行うようにすることで、個々の事件の捜査・処分についても法務大臣の権限が及ぶこととされているのである。
法相指揮権が「封印」される契機になった造船疑獄
検察庁法上は、指揮権の行使の範囲についての制約はない。しかし、少なくとも、一般の刑事事件に対しては、検察官の権限行使の独立性を確保することが、刑事事件について「法と証拠に基づいて適切に処理すること」だとされており、実際上、そこに法務大臣が介入する必要はないし、敢えて介入した場合には、政治的意図による不当な干渉という批判を招くことになる。
1954年の造船疑獄で、佐藤栄作自由党幹事長の逮捕を差し控えるよう犬養法務大臣が指揮権を発動したことで、当時の吉田茂首相の自由党政権に対する世論の批判が急激に高まり、首相退陣に追い込まれることとなった。
「政治的圧力によって、正義を実現しようとした検察捜査の行く手が阻まれた」とのマスコミや世の中の認識があり、それが、「検察の正義」は神聖不可侵のもので外部からの圧力・介入は断固排除すべきという、戦前の「統帥権干犯」のような考え方につながった。
しかし、実際には、この事件についての法相指揮権発動の真相は、そのような単純なものではなく、政治家と検察との間に様々な思惑と駆け引きがあったことが、史料や関係者証言から明らかになっている(『指揮権発動』渡邉文幸著、信山社)。
それ以降、法務大臣の指揮権は、検察庁法に規定されていても、実際に行使することは許されない「封印されたもの」のように理解されることとなった。
しかし、法務大臣の指揮権が問題となるのは、そのような政治と検察の対立場面だけではない。検察の「法と証拠に基づく判断」には限界もある。世の中の様々な事象に関して発生する刑事事件の中には、検察が「法と証拠に基づいて判断すること」だけでは適切な対応が期待できないものもある。その場合は、検察の判断に委ねるだけではなく、法務大臣の指揮権による対応を検討することが必要となる。ところが、造船疑獄での指揮権発動以降、事実上「封印」されてしまったため、法務大臣の指揮権が検討されるべき場面でも、実際に活用されることはなかった。
外交上の判断と法務大臣の指揮権
法務大臣の指揮権が検討されるべき典型例が、外交上の判断が必要になる事件に対する捜査・処分である。
事件が外交問題に密接に関連し、捜査・処分によって外交上の影響が生じる場合、検察が、外交上の影響をも含めて判断して捜査・処分を決定することは適切ではない。その判断が適切ではなかった場合の責任を検察が負うことはできないからである。検察には外交の専門家はいないし、外交関係に関する情報もない。外交上の判断は、外務省を所管官庁として、内閣が国民に対して責任を持って行うべきであり、個別事件の捜査・処分においてそのような外交上の判断が必要な場合には、内閣の一員である法務大臣が総理大臣との協議の上で、検察に対して指揮を行うことが必要となる。
このような場合には、検察の側で、外交上の判断が必要な事件と判断した段階で法務大臣に報告し、その指揮を仰ぐべきである。捜査・処分に関して外交上の判断が必要な刑事事件というのは、検察が外部の介入・干渉を受けることなく独立して判断すべきという「検察の組織の独立性の枠組み」だけで対応することになじまない事例の典型である。
このような理由で指揮権を発動すべきであった事案として、2010年9月に起きた尖閣諸島沖での中国船の公務執行妨害事件がある。
中国船船長の釈放を決定した際の会見で、那覇地検次席検事が「最高検と協議の上」と述べた上で、「日中関係への配慮」が釈放の理由の一つであることを明らかにした。この事件での船長の釈放、そして、結果的に不起訴処分となることについて、検察が組織として外交上の判断を行ったかのように説明したのである。
しかし、検察官が訴追裁量権の行使に当たって考慮できるのは、当該刑事事件の情状や犯罪後の更生の可能性に関連する事情であり、外交上の配慮は、刑事訴訟法248条の訴追裁量権で考慮すべき事項に含まれるとは考えられない。
国の行政組織の役割分担と責任の所在という観点から考えたとき、外交問題は外務省が所管し、その責任を負うのは外務大臣であり、国として最終的には内閣総理大臣が責任を負う。検察が外交上の判断を行ったとすれば、権限を逸脱したものである。
検察が船長釈放について外交関係に配慮したかのような説明を行ったことに対して、当時の仙谷由人官房長官は「了とする」と述べ、「官邸側の意向を受けて検察が釈放を決定したのではないか」との疑いの指摘に対しても、外交関係への配慮も含めてすべて検察の責任において釈放の判断が行われたように説明した。しかし、外交上の判断の責任は内閣にあるのであり、犯罪の成否や情状評価等の処罰の必要性の判断という刑事司法上の判断を行う権限しか有しない検察に押し付けようとするのは許されないことである。
この中国船船長釈放問題については、検察が内閣側に政治的に利用された面がある。しかし一方で、このような、法務大臣の指揮権によらなければならない典型事例において、検察官の訴追裁量権の枠内で判断するかどうかという問題に対して、検察内部で十分な議論が行われたようには思えない。そこには「検察の正義」を絶対視し、いかなる場合においても、刑事事件の処分は検察内部で誰からの干渉も受けずに決めることに拘り、「法相指揮権」の完全否定を支持するマスコミや世の中の論調がある。その背景には、前述した造船疑獄での法務大臣の「指揮権発動」に対する誤解があるのである。
検察不祥事への対応と法相指揮権
事案の性格上、検察内部だけで判断することでは適切な判断が期待できない場合もある。
公務員による職権濫用などの罪について、検察官の不起訴処分に不服がある場合に、裁判所に事件を審判に付すよう請求できる「付審判制度」がある。これは、公務員職権濫用罪等の特定の公務員犯罪は、警察官・検察官が職務熱心の余り、その行為が違法と評価する程度に達していた場合に、検察官はその行為の結果の恩恵を受ける立場にあり、利害関係を有するため、本来であれば起訴すべき警察官の職権濫用行為を公平中立に起訴するとは想定できないという考え方に基づくものである。
最近では、プレサンスコーポレーション事件での大阪地検特捜部の検察官の取調べでの恫喝暴言の特別公務員暴行陵虐事件で大阪高裁が付審判開始決定を出した。このような事件について、検察の組織だけに委ねていたのでは起訴はあり得なかった。
刑事事件が、検察官個人の犯罪にとどまらず、検察の組織自体の不祥事に発展した場合、他の検察官・上司が共犯者となる場合の背景・原因に組織自体の問題が存在することも考えられる。このような場合、「検察の組織としての独立性の枠組み」で処理することでは公平中立な判断を期待できないことは一層明白である。
2010年に表面化した大阪地検の証拠改ざん事件等の不祥事の際、当時の柳田稔法務大臣が検事総長に対して「厳正な対応」を指示した。この対応は14条本文の一般的指揮権によるものとされているが、同条但し書きの指揮権の発動もあり得る事態だったとも考えられる。
そして、2011年に、東京地検特捜部が小沢一郎衆議院議員に対する陸山会事件の捜査の過程で、石川知裕氏(陸山会事件当時の小沢氏の秘書・捜査当時衆議院議員)の取調べ内容に関して特捜部のT検事が作成して検察審査会に提出した捜査報告書に、事実に反する記載が行われていた問題で、2012年6月27日、最高検察庁は、虚偽有印公文書作成罪で告発されていたT検事、特捜部長(当時)など全員を、「不起訴」とした。
この事件は、検察が組織として決定した小沢一郎氏の不起訴を、東京地検特捜部が、虚偽の捜査報告書を検察審査会に提出し、検察審査会を騙して「起訴すべき」との議決に誘導して覆した「特捜部の暴発」とも言える不祥事だった。
これに対して、当時の小川敏夫法務大臣は、不起訴処分の前に、検事総長に対して指揮権を発動して厳正な対応を求めようとしたが、野田佳彦総理大臣に止められたと、退任時の記者会見で明らかにしている(拙著【検察崩壊 失われた正義】毎日新聞社:2012)。
この時の検事総長は、私が検察官の現役時代の最も尊敬する上司であった。元特捜部長で特捜部の内実も知り尽くした検事総長ですら、この歴史上の汚点とも言える「検察不祥事」に対して厳正に対応することはできなかった。そのことは、検察の組織的不祥事に対する検察内部の対応の限界を示している。法務大臣の指揮権で対応すべき典型事例だったと言うべきだろう。
袴田事件再審判決への控訴と法相指揮権
では、袴田事件再審判決に対する検察官の控訴という「権限行使」について、どう考えるべきか。
この事件は、強盗殺人事件という、本来は、検察が、「法と証拠」に基づいて判断すべき刑事事件の典型例である。袴田氏を無罪とした一審判決には、「5点の衣類」のねつ造、当初の刑事裁判を担当した検察官に対する「ねつ造された証拠を公判に提出して冤罪を作り上げた」かのような事実認定が、証拠に基づく合理的なものと言えるかなど、検察官にとって許容できない事実認定の問題がある。検察が「法と証拠」だけで判断するのであれば、控訴申立以外に選択肢はないように思えた。
もともとは、典型的な刑事事件であったが、58年もの年月の経過により、もはや刑訴法に基づく刑事裁判として真相解明を行って解決する範疇を超えた事件になっている。再審判決は、捜査機関のねつ造を、従来の刑事訴訟による事実認定の枠組みを超えた強引な認定で無罪の結論を導いたが、それは、検察にとって「法と証拠」に基づく認定としては到底受け入れられるものではなかった。
一方で、事件発生から既に58年、袴田氏は88歳、これまで袴田氏を支えてきた姉のひで子氏も91歳。年齢を考えると、これ以上、再審の審理が長引くことは社会的に許容されない。しかも、再審判決の「5点の衣類」のねつ造を認めた事実認定を控訴審で覆せる可能性は十分にあるとしても、では、「袴田事件冤罪」が、これ程までに国民の共通認識になっている以上、控訴審で最終的に有罪判決が出される可能性があるかと言えば、ほとんどない。新聞各紙も社説で検察官控訴断念を強く求めており、実際に検察官が控訴を申立てた場合、検察組織が猛烈な社会的批判に晒されることは想像に難くない。
となると、強盗殺人という被害者・遺族がいる犯罪である以上、「法と証拠」に基づく検察の判断として不控訴の判断はあり得ない。
畝本総長談話の
というのが、検察としての「法と証拠」に基づく判断という趣旨なのであろう。それを検察として公言するのであれば、検事総長としても、それを貫き、控訴申立を行うしかなかった。
という、社会的観点から「不控訴判断」をするのであれば、検察の判断とは切り離して行うしかない。
その解決の方法は、法務大臣が、指揮権に基づいて、検事総長に不控訴を指示することしかなかったのである。
誤った畝本総長談話の背景にある検察の「全能感」
検事総長談話として公表するものである以上、畝本総長だけの見解ではなく、少なくとも、最高検が組織として判断した内容であろう。なぜ、そのような誤った判断を行ったのか。
そこには、検察の組織において、「法と証拠に基づく判断」の限界が正しく理解されず、あらゆることが検察の権限内で解決可能であるような「全能感」に支配されていることに根本的な問題があるように思われる。
そして、本来、そのような「検察の権限行使の限界」に関して、行政権の行使の主体である内閣との唯一の接点として重要な役割を果たすべきなのが法務大臣だ。しかし、歴代の法務大臣のほとんどは政治家であり、捜査権限を有する検察に対して物を言うことに腰が引けていたため、本来の職責を果たして来なかった。
昔、私が、検事任官数年目の若手検事だった頃、当時国連アジア極東犯罪防止研修所所長だった大先輩の講話を受ける機会があった。その中で「検察も国のシステムの一つであることを忘れてはいけない」という話を聞き、目を見開かせられる思いをした。
検察も行政機関である以上、「国のシステムの一つ」であるのは当然のことなのであるが、検察官の仕事をしているうちに、刑事事件の捜査処理という刑事司法の世界を通して物事を考えるようになり、検察を中心に世の中が動いているという「天動説」のような発想になっていく。
外交上の判断が中心となった尖閣船長釈放問題で、法務大臣の指揮権という話にならなかったのも、今回の畝本総長談話で、「法と証拠に基づく控訴すべきとの判断」と、「社会的観点からの不控訴の判断」を検察が同時に行うかのように公言するという、致命的な誤りを犯してしまったのも、「法と証拠に基づく判断」の限界が正しく理解されていないことが根本原因であるように思える。
「検察も国のシステムの一つである」
そのあまりに当然のことを前提に、「法と証拠による判断」には一定の限界があることを踏まえて、法務大臣の指揮権の在り方を考えてみる必要があるのではなかろうか。