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なぜ黒人差別がひどいアメリカなのに黒人大統領オバマが誕生したのか。世界共通の4つのポイント。

今井佐緒里欧州/EU・国際関係の研究者、ジャーナリスト、編集者
オバマ氏は5月、バーチャル卒業式の開会式宣言を何百万人もの高校生におくった。(写真:ロイター/アフロ)

アメリカで、黒人差別に反対する運動は、一向に収まる様子はない。

一過性の抗議ではなくて、大きな公民権運動に発展する可能性も出てきた。

でも、日本人には今ひとつピンとこない所があるのではないか。

歴史を見れば、黒人が差別を受けてきたのはわかる。でも、前の大統領バラク・オバマ氏は黒人だった。そんなに差別がひどいのなら、なぜアメリカで黒人大統領が生まれたのだろうか。

重要な4つのポイント

一言で「黒人」といっても、ニュアンスがあるのが日本ではわかりにくいと思う。

「オバマ氏は、白人アメリカ人の母と、黒人のケニア人留学生の父との間に、ハワイで生まれた」

ここに大変重要な4つのポイントがある。

まず、父親が「ケニア人」であること、そして「外国生まれの留学生」であったことだ。

黒人奴隷貿易というのは、アフリカの西側、つまり大西洋側の地域から黒人が新大陸に送られてきたのだ。ケニアというのは、東側にある。一般的にこの国は、奴隷貿易のイメージをもたれていない。

それから外国人という点だが、日本にも例がある。韓国からやってきた留学生と、日本で生まれ育った韓国籍の人とは、日本社会での受けとめられ方が違うのと同じ感覚である。

次に、母親がカンザス州出身の白人であることだ。

アメリカの慣習では、たとえ半分でも彼は「黒人」の範疇に入ることになるのだが、でもやはり白人の母をもつことは大きい。「ハーフ」(最近はミックスという)であることが、双方の架け橋になっているのだ。

更に言うのなら、母親は伝統的にアメリカの「エスタブリッシュメント」とされるイギリス系である(先祖をたどると、他にもスコットランドやドイツ、ウェールズやスイスが入るということだ)。

最後に、オバマ氏はハワイ生まれである。

ハワイは本土から遠く離れ、まるでのんびりした外国の保養地のように愛されている場所である。実際、彼は本土以外で生まれた、初めてのアメリカ大統領である。いわば「オバマ氏は、外国ではないが、外国のようなところで生まれた」のである。

つまり一言で言うのなら、オバマ氏は黒人であっても、アメリカの奴隷貿易の歴史とは無関係とされたのだ。

両親は、ハワイ大学のロシア語講座で知り合った。父親は奨学金を得た留学生だった。その後ハーバード大学で経済学修士号を取得した、大変優秀な人物だ。

しかし二人は離婚、父親はケニアに戻り、財務省の上級経済アナリストとしてケニア政府に勤務した。幼いオバマ氏は、母親のもとでアメリカで育った。

あえてもう一つの要素を挙げるのなら、両親二人とも――特に父親のほうが――オバマ氏が大統領になった時には既に亡くなっていたこともあるかもしれない。

1971年ハワイで。10歳の頃のオバマ氏と父親。Wikipediaより。
1971年ハワイで。10歳の頃のオバマ氏と父親。Wikipediaより。

「少しずつ」受け入れられる

このような受け入れられ方は、アメリカだけではない。

フランスの「ミス・フランス」に選ばれた女性の出身についても、興味深い例がある。この例を見ていくと、黒人が社会で地位を獲得していく段階は、国は違っても共通点が多いことがわかる。

ミス・フランスで、褐色や黒い肌をもった美しい女性が選ばれたのは、まずはフランスの海外県や領土出身の人だった。

フランスは、今でもカリブ海やインド洋などに海外領土をもっている(ほとんどが島)。これはフランスの(過去の)栄光を示すものである。

フランスが人種差別を克服する上で「肌の色が異なる彼らだって、フランスの領土に生まれたれっきとしたフランス人である。だから差別するな」という論法が非常によく使われた。これは一般に説得力があった。ただ、これは植民地をもたないアメリカには関係がない。

特筆するべき存在は、2000年に「ミス・フランス」に選ばれたソニア・ロランさんだ。

フランス人の父と、ルワンダ人の母の間に、ルワンダで生まれた。その後一家はフランスに移住した。彼女はやはり「ハーフ(ミックス)」だし、ルワンダはフランスの植民地ではなかったし、彼女は外国生まれである。(ルワンダはドイツ→ベルギーの植民地)。

つまり、彼女はフランスの植民地の歴史とは関係がない人物だったのだ。この点、オバマ氏と同じであると言えるだろう。

だからこそ二人とも「史上初のアフリカ系」という地位を勝ち得たのに違いない。

その後2014年、褐色の肌をもつフローラ・コクレルさんが「ミス・フランス」となった。

彼女は、フランス人の父と、アフリカのベナン人の母との間にフランスで生まれた。

彼女は「ハーフ」ではあったが、ベナンはフランスの植民地であり、かつフローラさんはフランスで生まれている。この点、オバマ氏やソニアさんとは異なる。

このように少しずつ、差別の壁が取り払われていったと言える。

フローラさん。オルレアン地方選出。Wikipediaより
フローラさん。オルレアン地方選出。Wikipediaより

架け橋の苦難と希望

このように、人種差別は少しずつ解かれていくものなのだろう。一足飛びにというのは難しい。

ただ、「大きな架け橋」となった彼らは、決して生きやすかったわけではなかった。人生も心も。

オバマ氏は幼少期でわずかに残っている思い出を語っている。「父は、私の周りの人々とはまったく違って見えた。父は松脂のように黒く、母はミルクのように白く見えた」。その後は、自分がもつ多民族の遺産を、社会的認識と調和させるのに苦労したということだ。

ミス・フランスに選ばれたソニア・ロランさんもフローラ・コクレルさんも、大人になる前の葛藤は、大変なものだったに違いない。

選ばれた後も、ソニアさんは「私の時代は、今のようにネットが発達していなかった。2700通ほどの侮辱の手紙を受け取ったわ。玄関マットにはフンの山が置かれていたり、扉にタンが吐かれたりした」と語っている。

フローラさんは、ソニアさんよりも14年後に王座の地位を勝ち取った。社会は進歩していたが、それでもやはり差別的な悪口がネットで飛び交った。それに、人種差別主義者とまではいかなくでも「ミス・フランスは白人であってほしい」と願う人は多い。

雑誌のインタビューで「このような反応に傷つきましたか」という質問をされて、彼女は「あまり興味を持たないようにしています。つまらないことのために気分を害するのは無駄だもの」「ミスを返上したりしないわ。私のあるがままを好きじゃない人はいる。彼らに私の選出を汚させたりはしない」と述べた。

このように語ったフローラさんは、当時19歳である。なんてしっかりしているのか。今までの苦労が見えるようだが、苦労は人間を壊すかつくるかどちらかで、彼女は「つくる」ほうを自分で選択したのだろう。

オバマ氏だって「私は黒人だけど、黒人奴隷の子孫ではない。一緒にするな」というアイデンティティをもつことは不可能ではなかったはずだ。でも彼は、そういう人間にならないことを選択した。人は生まれは選べないが、心は選択できる。

成功する者は、本当にごく一部である。そしてパイオニアの彼らには、「社会を変えてほしい」と願う、すべての人々の期待を一身に背負うという重責が伴う。

こうして社会は、少しずつ進歩していると思う。1世紀以上前なら、彼らはまともな教育を受けることすら難しかっただろう。

トランプ大統領の登場は、オバマ大統領の時代に対する反発や揺り戻しだと思う。でもきっと、揺り戻しが収まった後のアメリカは、以前よりも良くなっているに違いない――楽観的かもしれないが、激しく主張して何かを勝ち取ってゆくアメリカの自由さを見ていると、そう思えるのだ。

欧州/EU・国際関係の研究者、ジャーナリスト、編集者

フランス・パリ在住。追求するテーマは異文明の出会い、平等と自由。EU、国際社会や地政学、文化、各国社会等をテーマに執筆。ソルボンヌ(Paris 3)大学院国際関係・欧州研究学院修士号取得。駐日EU代表部公式ウェブマガジン「EU MAG」執筆。元大使のインタビュー記事も担当(〜18年)。編著「ニッポンの評判 世界17カ国レポート」新潮社、欧州の章編著「世界で広がる脱原発」宝島社、他。Association de Presse France-Japon会員。仏の某省機関の仕事を行う(2015年〜)。出版社の編集者出身。 早稲田大学卒。ご連絡 saorit2010あっとhotmail.fr

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