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西室泰三さん死去 功罪相半ば  東芝転落のきっかけをつくった人事の流れ

安井孝之Gemba Lab代表 フリー記者
亡くなった西室泰三さん(写真:ロイター/アフロ)

元東芝社長で日本郵政社長などを歴任した西室泰三さん(81)が亡くなった。財界でも活躍し、政府の要職を務めた。功績が多かった財界人だったが、経営危機に陥った東芝の転落のきっかけをつくったのも西室さんだった。

長く勤めた会社の社長を退き、公職についた数では近年まれにみるレコードホルダーだったろう。経団連副会長はもちろんのこと旧大蔵省OBの指定席だった東京証券取引所会長を務めたほか77歳で日本郵政社長に。国際経験を活かし、日米経済協議会会長を務める一方で、地方分権改革推進会議議長など政府の要職にもついた。経済関係だけではなく、第3次安倍政権のもとで議論された戦後70年談話21世紀構想有識者懇談会の座長として戦後70年談話を取りまとめた。

財界ポストのレコードホルダー

晩年は財界で話題になりそうなポストを総なめにした感がある。頼まれたら断れない性分だったかもしれないが、これだけのレコードホルダーになるには自らの経験と知識を披瀝し、それぞれの組織の中心で腕を振るえるならばそのポストを手にしたいというそれなりの欲もあったに違いない。

西室さんが社長(1996年~2000年)を務めた東芝はいまや瀕死の状態である。東芝はかつて日立製作所と並ぶ総合電機の雄で経団連会長も出した財界の名門だった。名門ゆえなのかおっとりした社風でどっしりと構えた経営陣を輩出した。その代表格はメザシの土光敏夫さんだった。

そんな社風を変えたのが西室さんだと言われた。重電部門からの社長昇格が多かった東芝で半導体部門から社長に上りつめた。90年代後半からは「選択と集中」が企業経営のキーワードとなり、不採算部門から撤退し、成長部門に集中するという大胆な事業再構築を進めているかどうかが経営者の評価軸となり、西室さんは高い評価を得た。

進めた「選択と集中」

西室さんに続く、岡村正氏、西田厚聡氏、佐々木則夫氏らは、結果をみれば良くも悪くも東芝が変わり始めた時代の経営者である。また西室さんは時代の流れを見るに敏な経営者だった。東芝が委員会等設置会社(現在の指名委員会等設置会社)に移行したのは03年。その時、社長を選ぶ「指名委員会」が設置された。日本企業としては比較的早く、西室さんは東芝会長だった。

当初の指名委員会の委員長には西室さんが就き、後任社長の岡村氏に続き、05年に社長となる西田氏も自ら指名した。東芝は従来、社長が後任社長を指名してきたが、「指名委員会」という形をつくり、会長が社長選びに関与できるようになったことで、西室さんは「院政」を築いたと言えた。

西室さんと仲が良かった社長が二人続き、西田氏が当初は仲が良かった佐々木氏を引き上げた。西室さん以降の4代の社長が過去の東芝とは異なる人事の流れをつくった。

東芝にとって不幸だったのは、同社が財界活動に積極的で、社長経験者が財界総理、経団連会長の座を射止める可能性が常にあったことだ。06年まで経団連会長だった奥田碩氏(当時トヨタ自動車会長)が御手洗冨士夫・キヤノン会長に経団連会長の席を譲る際、西室さんは有力候補の一人だった。西室さん自身も会長就任を望んでいたと当時、みられていた。

経団連会長の座を逃した西室さんはその後、さまざまな公職に就き始める。財界トップになれなかった失意を埋め合わせようとしているのではないかと見えた。

西田氏も経団連会長に手が届きそうになった時期がある。10年5月まで経団連会長だった御手洗氏の有力後継者だった。だが、会長就任にはハードルがあった。先輩の岡村氏が日本商工会議所の会頭だった。経団連、日商、経済同友会の財界3団体の二つのトップを東芝が占めるわけにはいかない。西田氏の経団連会長就任には岡村氏の日商会頭退任が必要条件だった。だが、岡村氏は退かなかった。

当時の様子を財界内部でみていた経済人はこう打ち明けた。「岡村さんが辞めると思っていたのに辞めなかった。それで最後は米倉弘昌さん(当時住友化学会長)に落ち着いた」

このとき東芝関係者が西田氏を経団連会長になんとかしようと動いた節はない。西室氏もかわいい後輩であったはずの西田氏のために一肌脱がなかった。自分がなれなかったポストに後輩がなれるよう根回しするほどの恬淡さがなかったのだろうか。

財界名門企業の不幸

そして佐々木氏。13年6月に経団連副会長になるが、その直前の1月に政府の経済財政諮問会議の民間議員にもなっていた。当時の安倍政権と関係がぎくしゃくしていた米倉経団連の後継候補として佐々木氏が急浮上した。

このころから西田氏と佐々木氏の関係が冷え込んでいく。経団連会長を逃した西田氏と有力候補となった佐々木氏。二人の関係は会見場で反論し合うまで悪化してしまった。

その後、不正会計問題が発覚し、東芝の迷走が始まった。

西田氏や佐々木氏が表舞台から姿を消し、その後の東芝の社長人事や社外取締役人事について水面下で動いたのが西室さんだった。不正会計発覚後の15年夏、室町正志会長(当時)が辞意を漏らしたが、日本郵政社長だった西室氏は室町氏を慰留した。その後の東芝社外取締役の選任でも、西室氏が経済人を回り、社外取締役就任を要請した。「自分が根回ししないと誰もできないと思ったのだろうが、東芝相談役とはいえ、日本郵政社長である西室さんが東芝人事に関与するのはおかしい」と財界関係者は当時、指摘した。

西室さんにとって、東芝をなんとか救いたいという強い思いが自ら水面下で動くという行動に向かわせたのだと思う。だが03年にガバナンス強化のために経営体制を見直したのが西室さんである。相談役の西室さんがトップ人事に関与しては「仏作って魂入れず」になってしまいかねなかった。

そこまで思い詰めていた西室さんが体調を崩して入院したのは16年2月、その後は公の場に姿を見せなかった。東芝の再建を見届けることもなく、西室さんは静かに逝った。

Gemba Lab代表 フリー記者

1957年兵庫県生まれ。早稲田大学理工学部卒、東京工業大学大学院修了。日経ビジネス記者を経て88年、朝日新聞社に入社。東京経済部、大阪経済部で自動車、流通、金融、財界、産業政策、財政などを取材した。東京経済部次長を経て、05年に編集委員。企業の経営問題や産業政策を担当し、経済面コラム「波聞風問」などを執筆。2017年4月、朝日新聞社を退職し、Gemba Lab株式会社設立、フリー記者に。日本記者クラブ会員、東洋大学非常勤講師。著書に「2035年『ガソリン車』消滅」(青春出版社)、「これからの優良企業」(PHP研究所)など。写真は村田和聡氏撮影。

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