なぜ、フランスの研究所職員が、伝説の日本人女性アスリートたちの映画を?その制作の裏側に迫る
どういう存在かは知らないが、「東洋の魔女」という言葉は、いまの若い世代であっても、どこかで一度は耳にしているのではないだろうか?
過去のオリンピックを振り返るような番組では必ずといっていいほど触れられ、大河ドラマ「いだてん」でもクローズアップされたので、覚えがある人も多いことだろう。
「東洋の魔女」とは、賛否ある中で今夏決行された2度目の東京オリンピックからさかのぼること57年前、1964年の東京オリンピックで見事に金メダルを獲得した女子バレーボール日本代表のこと。
「鬼の大松」と呼ばれた大松博文監督によるスパルタ指導によって鍛え抜かれた彼女たちは、当時、圧倒的な実力を誇り、世界から「東洋の魔女」と恐れられた。
1964年の東京オリンピックでも圧倒的な強さで勝ち進み、決勝にコマを進めると、最後は最大のライバル・ソ連代表を撃破。
その活躍は空前のバレーボールブームを巻き起こし、『アタック NO.1』や『サインは V!』をはじめとする、いわゆるアニメや漫画、映画やドラマの「スポ根」ジャンルの源泉となった。
本ドキュメンタリー映画「東洋の魔女」は、ひとりのフランス人監督が、いまや伝説となった東洋の魔女たちの実像に迫るとともに、カルチャーにまでに影響を与えた功績を解き明かす。
これまで発表したフッテージ・ドキュメンタリーで世界的評価を受けるジュリアン・ファロ監督に訊くインタビューの第三回(第一回・第二回)へ入る。(全三回)
フランス国立スポーツ体育研究所(INSEP)とは?
最後は監督のこれまでの歩みについて訊いた。
まず、前回に触れているが、ジュリアン・ファロ監督は、フランス国立スポーツ体育研究所(INSEP)に所属している。
スポーツ研究所と映像制作。いまひとつつながりを感じることができないのだが、この「INSEP」とはどういう機関なのだろうか?
「そうですよね。なかなかイメージできないですよね。
INSEPは、簡単に言うと、才能あるアスリートの強化拠点になります。
さまざまなスポーツの有能な選手の育成をしている場所です。
たとえば、昨年の東京オリンピックにも出場してメダルを獲得し、日本でもよく知られている有名な柔道家のクラリス・アグベニューやテディ・リネールも所属しています。
設立は1852年。1世紀以上の歴史がある機関で、パリのちょっと郊外、ヴァンセンヌの森の近くにあります。
それで、スポーツのトレーニング機関としてのみの研究所ではなく、教育機関でもあります。
教育機関として、スポーツに関する資料や映像を収集していて、紙からデジタルまで膨大なアーカイブ資料を揃えています。
そういった資料などをもとにしながらさまざまな研究・分析をして、たとえばあるスポーツのトレーニングの向上方法などにつなげています。
わたしは、そこの映像管理部門にいて、INSEP が所蔵する膨大な量の16ミリフィルムのアーカイブを使い、アスリートたちに焦点を当て、スポーツと映画、そして芸術の架け橋となるような映像作品を制作してきています」
所属のきっかけは大学時代に出会った教授の存在
どういう経緯で、この機関に入ることになったのだろうか?
「大学時代に出会った映画の教授の存在です。その教授がINSEPに勤めていたという縁から、働くことになりました。
わたし自身、小さいころからスポーツをいろいろやっていて、その所属したチームの中にはINSEPに入る選手もいました。
そういうことを教授が知って『映画とスポーツの架け橋になるようなことをしたらどうだ』と、学生時代にINSEPの研修に誘われたんです。
ようするに映画についても詳しいし、スポーツについても詳しい、だからこの映像部門の仕事は『適任なのではないか?』ということで、勧められて入りました(笑)。
わたし自身は映画監督を必ずしも目指しているわけではありませんでした。
映画は子どものころから大好きだったんですけれども、とくに映画に特化した学校に通ったことはない。
両親も映画業界に関係ある仕事はしていない。
映画をちょっと作ってみたいなという気持ちになることはありましたけど、実際問題として、自分で映画を作るとなるとお金が必要。
わたしにはそんな金銭的な余裕はありませんでしたから、実際は映画を自分で作るなんて考えていなかったです。
でも、INSEPでのアーカイブからドキュメンタリー映画を作るという手法を学び、特に編集技術を勉強して、自然な流れでたとえば、誰かについてのポートレート映画のようなものを作り始めました。
そこからだんだん映像制作について興味がわいて、本格的に映画を作り始めた感じです」
フッテージ・ドキュメンタリーの可能性
監督は、アーカイブ映像のフッテージ、過去の映像から、なにかを見出して物語る、フッテージ・ドキュメンタリーをこれまで発表し続けている。
そのフッテージ・ドキュメンタリーの可能性をこう語る。
「普通のドキュメンタリー映画というのは、あらかじめテーマを決めたり、撮影する対象を決めて挑むことがほとんどといっていいでしょう。
だいたいまずはテーマを決め、そこからいろいろとリサーチをはじめて、だいたいの構想を作って、最後にその内容の確認のためみたいな形で資料映像などを探す。
それが普通のやり方だと思うんですけど、わたしの場合はほぼ逆といっていい。
まずアーカイブ映像ありきから始まるんですよね。
アーカイブ映像をみていて、たとえばひじょうにオリジナリティーの高いもの、感動的なもの、あるいは美しい映像が目に入ってくる。
その瞬間に感銘を受けると、心が動かされる。そこから興味がわいて、いろいろと調べ始める。そのことの歴史とか人物像とかを。
そこで徹底的にリサーチをして、『これは映画を作るに十分価値があるものだ』と判断したときに、ようやく映画を作ろうと決心する。
だから、ある意味、アーカイブ映像のあるフッテージがわたしを作品作りへと導いてくれるといってもいいかもしれない。
さらに言えば、フッテージが、わたしにテーマを教えてくれるといってもいいかもしれない。
アーカイブ映像というのは、すばらしい可能性を秘めている。
過去の映像というのは、現代を生きるわたしたちに多くのことを教えてくれる。
現代のわたしたちが忘れかけていたことに気づかせてくれることもあれば、今へと受け継がれている歴史や文化について改めて知り、触れる機会にもなったりする。
ですから、フッテージ・ドキュメンタリーにわたしは大きな可能性を見出しています。
あと、単純に、いくらテーマがいいものでも、そこに素晴らしい映像がなければ作品になりません。
そういう意味で、すでに印象的なオリジナリティーあふれる映像が最初の段階であるというのは、心強いです(笑)。
もちろん、違う手法でこれから映画を作るかもしれないですが、現段階でのわたしの手法は、いま語った通りです。
まずは、すばらしいアーカイブ映像との出合いから始まる。
先で話したように『東洋の魔女』もまさしく残された、東洋の魔女たちのアーカイブ映像とのすばらしい出合いから始まったのです」
「東洋の魔女」
監督・脚本:ジュリアン・ファロ
撮影:山崎裕
全国順次公開中
場面写真はすべて(C)UFO Production