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<朝ドラ「エール」と史実>「私の魂は底知れぬ泥ぬまの中に」三浦環の“危なっかしい”留学と恋愛の真相

辻田真佐憲評論家・近現代史研究者
三浦環の像(写真:GYRO PHOTOGRAPHY/アフロイメージマート)

朝ドラ「エール」は、やはり戦争の話をできるだけ避けるようです。

今週の後半、ドラマでは、双浦環のパリ時代が描かれました。声楽家をめざして留学し、画家の今村嗣人と恋仲になるという話です。この今村は、名前からして、藤田嗣治がモデルかもしれません。

ただ、史実は大きく違います。モデルの声楽家・三浦環は、ドイツに留学していますし、そのときすでに結婚していました。しかも、第一次世界大戦がすぐに勃発して、三浦夫妻はまもなくイギリスに逃げ出さなければならなかったのです。

そのときのドタバタは、三浦の自伝に書かれていて、かなり読み応えがあります。

たとえば、日本大使館にコンサートのことで相談に行ったときのこと。

大使館の御意見をうかがおうと思って大使館に参りましたところ、貼出しがありまして、ベルリンにいる日本人はきょうのうちにベルリンから逃げておしまいなさい、それもドイツ人に知れないように逃げなさい。日本とドイツの戦争は今日明日中に迫っているというのでびっくりしてしまいました。

出典:三浦環『お蝶夫人』

「そんな張り紙で」と思いますが、通信手段が限られていた当時、これしか方法がなかったのでしょう。

そしてベルリンから脱出する汽車は、ドイツの兵隊や脱出する日本人などで「非常に混雑して便所まですし詰めの有様」だったそうです。

ちなみに、そのなかには、旧加賀藩当主の前田家を継ぐ前田利為や、のちに首相になる林銑十郎の姿もあったといいます。

「薄気味の悪い」手紙で再婚?

じつは、三浦環には、古関裕而・金子夫妻と同じくらい、「手紙」にまつわる強烈なエピソードがあります。

三浦環は、はじめ軍医の藤井善一と結婚するものの、声楽家として大成するために離別。しばらくして再婚したのが医師の三浦政太郎なのですが、そのきっかけが手紙だったのです。

幼なじみで、かねてより環を恋慕していた政太郎は、その離婚後、「こんどこそは」と手紙攻勢をかけてきました。ただ、その内容にいささか問題がありました。

その手紙がまた物凄いのです。今度こそあなたが私と結婚してくれなかったら私は死んでしまうとか、私はあなたが藤井さんと結婚したことを知ってから、私の魂は底知れぬ泥ぬまの中にひきずりこまれたようだとか、薄気味の悪い厭世的な文句が書き連ねてあるのです。

出典:前掲書

これは危なっかしいですね。

もっとも、この作戦(?)が功を奏して、環が「私のために死なれちゃ大変」と手紙を返し、ふたりは結婚にいたるのですが。

このエピソードを重ねたほうが、古関夫妻との関係も生きてきたかもしれません。

「船頭可愛いや」にも見逃せない改変が

三浦環の関係では、これまでも気になった点がありました。それは「船頭可愛いや」についてです。

ドラマでは、はじめ「げた屋の娘」藤丸が歌ったものの売れず、つぎに大御所の双浦環が歌ったので爆発的に売れたとされます。

ところが、これが史実とぜんぜん違うのです。というのも、1935年リリースの音丸版「船頭可愛いや」は、単独でしっかり売れているからです。

そもそも三浦環版「船頭可愛いや」は、1939年にリリースされていますから、時代がまったく違います。

そのうえ、三浦版「船頭可愛いや」は売れなかったようです。

日本コロムビアには、レコードの製造数を一部記した貴重な資料が残っているのですが、そこには、本当に微々たる数字しか記されていません。一種の記念盤と考えるべきでしょう(その資料の詳細はややマニアックなので、拙著『古関裕而の昭和史』をご覧ください)。

フィクションだとは言いながら……

いずれにせよ、朝ドラは史実を踏まえながらもけっこう改変していますし、なかでも戦争色はできるだけ減らす方針のようです。

もちろん、朝ドラはフィクションですから史実どおりやる必要はありません。ただ、これだけ史実と絡めている以上、「戦争だけ都合よく排除」は不誠実といわれても仕方ないでしょう。

果たして軍歌はどれくらい正面から描かれるのか。「戦時歌謡」と言い逃れされてしまうのか。だんだん心配になってきました。

評論家・近現代史研究者

1984年、大阪府生まれ。慶應義塾大学文学部卒業。政治と文化芸術の関係を主なテーマに、著述、調査、評論、レビュー、インタビューなどを幅広く手がけている。著書に『ルポ 国威発揚』(中央公論新社)、『「戦前」の正体』(講談社現代新書)、『古関裕而の昭和史』(文春新書)、『大本営発表』『日本の軍歌』(幻冬舎新書)、『空気の検閲』(光文社新書)などがある。

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