【中世こぼれ話】あまり知られていない「三種の神器」。その本来の意味を改めて考えてみる
最近知ったのだが、現代版の「三種の神器」とは時短家電のことで、(1)食洗器、(2)お掃除ロボット、(3)衣類乾燥機のことを意味するという。ところで、本来の「三種の神器」とは、いったいどういうものだったのだろうか。
■「三種の神器」とは?
改めて「三種の神器」とは、どのようなものか確認しておこう。『国語大辞典』(小学館)を紐解くと、「三種の神器」には、次のような説明が施されている。
(1)皇位のしるしとして、代々の天皇が伝承する三つの宝物。八咫鏡(やたのかがみ)、草薙剣(くさなぎのつるぎ)、八坂瓊曲玉(やさかにのまがたま)をさす。天孫降臨に際して、天照大神から授けられたものとする。みくさのかむたから。
(2)家庭生活、日常の社会生活などで貴重なもの三種類のたとえ。
(1)が本来の意味であるが、(2)についてはもはや「死語」になりつつあるのが現状ではないだろうか。戦後、電気洗濯機、電気冷蔵庫、電気掃除機が「三種の神器」と称して喧伝されたが、のちにテレビ、クーラー、自家用車などに姿を変え、今や「三種」では収まらないくらいである。
世の中が便利になるにつれ、「三種の神器」と称するほどありがたいものは、姿を消しつつあるのかもしれない。しかし、(1)の意味で使用される「三種の神器」は、現在に至っても、その価値を失わない貴重なものである。
「三種の神器」について、もう少し詳しく説明をすることにしよう。
■「三種の神器」は皇位継承の証
「三種の神器」は、歴代の天皇が皇位継承の証として受け継いだ宝物であり、八咫鏡・草薙剣・八坂瓊曲玉の三つのことをいう。しかし、「三種の神器」の表記は、古くは統一されていなかった。養老4年(720)に成立した正史『日本書紀』には、「三種(みくさ)の宝物(たから)」と記されている。
中世に至っても、実際の史料では、「三種の神器」という言葉が固定化されていたわけではない。たとえば、鎌倉初期の公家で摂政・関白を務めた九条兼実の日記『玉葉』では、「三神」「三ケ宝物」「三種宝物」という言葉が使用されており、それぞれ「三種の神器」を意味するものだった。
もちろん、兼実の『玉葉』だけではなく、ほぼ同時代の記録を見ても、神器という言葉は一般的ではなかった。
鎌倉時代初期の公家・吉田経房の日記『吉記』や鎌倉時代初期の天台座主・慈円の著した『慈鎮和尚夢想記』『愚管抄』においても、「三種の神器」の語は使われておらず、「三種宝物」と記されている。では、神器とは、本来どのような意味を持ったのだろうか。
■神器は中国で使用されていた言葉
神器とは、もともと中国で使用されていた言葉であり、さまざまな意味を持っていた。たとえば、六国史の一つ『日本後紀』大同4年(809)4月戊寅に記述のある「天下神器」という語は、『老子』に記載された「天下神器」が出典であると指摘されている。この場合は、「貴重なもの」という意味で使用されている。
また、中国の歴史書『漢書』に見える神器は、皇位そのものを示しているといわれている。たしかに、六国史の『続日本紀』『日本後紀』『日本三代実録』には、神器の言葉が用いられているが、鎌倉期においては未だ定着してなかったのである。
ちなみに、平安時代の官人・斎部広成が著した歴史書『古語拾遺』(大同2年・807成立)には、八咫鏡・草薙剣を「二種神宝」と呼んでいる。
しかし、なぜ二種に限定されているかは、諸説があり一致をみない。三種の神器の名称が一般的になるのは、概ね南北朝期(14世紀)からであると言われている。つまり、用語が普通に使われるまでには、史料に登場してから、6百年余りの年月を要したことになる。
「三種の神器」には深い歴史があり、言葉が定着するに至るまで、長い年月を要したのである。