来期順位戦で杉本昌隆八段(51)と藤井聡太七段(17)の師弟が同時にB級2組に在籍しても師弟戦はない
既報の通り、現在はC級1組に在籍している藤井聡太七段(17)がB級2組昇級を決めました。
現在のB級2組には、藤井七段の師匠である杉本昌隆八段(51歳)が在籍しています。杉本八段のクラスは、来期は変わりません。よって来期B級2組では、杉本八段、藤井七段の師弟が同じクラスに所属することになります。
ところで一部報道では、来期B級2組における師弟直接対決の可能性が伝えられていました。結論から言えばそれは誤りで、現在の規約上からは、順位戦のB級2組以下に限っては、師弟戦はおこなわれません。
この規定はちょっとややこしいので、一般的なニュース報道では間違えやすい点の一つかもしれません。
B級2組、C級1組、C級2組は総当りではなく、全部で10回戦です。組み合わせ抽選時に師弟戦を除外しても、ほぼ問題なく対戦カードを組むことができます。
一方でA級、B級1組は総当り戦です。そのため、いやおうなく師弟戦は生じます。
現在のB級1組には畠山鎮八段(50歳)と斎藤慎太郎七段(26歳)の師弟が在籍しています。そこでは前期、今期と2期続けて師弟戦があり、師匠がいずれも勝っています。
「自分の記憶では昔、B級2組以下でも師弟戦を見た」
もしそう言われる方がおられるとすれば、それはかなり年期の入った、業界事情に詳しい将棋ファンの方でしょう。実はその通りで、かつてはB級2組以下でも師弟戦がおこなわれていました。
たとえば1975年度、77年度の昇降級リーグ戦3組(現在の順位戦C級1組)では佐瀬勇次八段(後に名誉九段)-田丸昇五段(現九段)という師弟戦がありました。いずれの期も、佐瀬八段は降級点1つを抱えていて、成績不振であれば2度目の降級点を取って降級のおそれがありました。
1977年度、佐瀬八段は弟子の田丸五段に敗れたものの、最後に白星を集めて、降級どころか、1つ目の降級点を消しています。
B級2組以下の師弟戦がなくなったのは、その対戦などの後、1978年度以降のことのようです。
佐瀬名誉九段は棋士としての実績よりも、多くの弟子を育てた名伯楽ぶりが知られています。門下から輩出されたタイトル経験者だけでも、米長邦雄永世棋聖、高橋道雄九段、丸山忠久九段、木村一基王位の4人を数えます。
佐瀬名誉九段はキャリア晩年、どちらかといえばそう強くない棋士として語られることがありました。
「佐瀬門下の棋士は、順位戦で佐瀬先生と当たることができない分だけハンディがある」
そんな趣旨のジョークもあったようです。しかしいま改めて順位戦の表を眺め返してみると、1986年度、68歳までC級1組にとどまり続けたのは驚異的です。もちろん実力がなければ、そんなことはできません。
1963年、高校を卒業したばかりの米長四段のデビュー戦は王将戦予選。相手はなんと師匠でした。
前掲の規約の通り、現在では王将戦一次予選1回戦で師弟戦はありません。2018年、杉本現八段-藤井現七段の師弟戦は2回戦で実現しました。
この時は弟子の藤井七段が勝っています。
順位戦ではこの先も、両者がB級1組以上に上がらない限りは、師弟戦はありません。
一方で、直近では竜王戦3組において、師弟戦の可能性があります。
杉本八段、藤井七段ともに1回戦は突破しました。両者ともに決勝まで勝ち上がって、師弟戦は実現するでしょうか。
最近おこなわれた師弟戦で印象的なのは新人王戦記念対局、木村一基王位-高野智史五段戦でした。
この一戦では、高野五段がいわゆる「恩返し」をしたことになります。ただし弟子が師匠に勝つという意味での「恩返し」は、師匠の本音では、あまり歓迎されないようです。