防御率1点台のシーズンがあるのに、2点台のシーズンはない投手たち
山本由伸(オリックス・バファローズ)は、過去4年とも規定投球回に到達し、そのうちの3度は防御率1点台を記録している。あとの1度、2020年は防御率2.20だ。
なかには、規定投球回以上のシーズンのうち、防御率1点台がありながら、2点台は皆無という投手もいる。2リーグ制となった1950年以降を調べたところ、12人が見つかった。半数の6人は、規定投球回以上が1度しかなく、その年に防御率1点台を記録している。なお、1960年の堀本律雄は防御率2.00だが、厳密には1.999…なので、1点台に含めた。2009年の吉見一起も同様。こちらは1.996…だ。
吉見は、規定投球回以上の3シーズン中、防御率1点台が2度、3点台が1度だ。この3シーズンに続く2012年も、138.2イニングを投げて防御率1.75を記録している。規定投球回まで、あと5.1イニングだった。
1956年に防御率1.56の種田弘も、その翌年は149.1イニングで防御率1.98だ。当時の規定ではなく、現在の規定に当てはめれば、1957年も規定投球回以上となる。
また、1992年に防御率1.80の赤堀元之は、この年から3年続けてパ・リーグ最多セーブを記録している。1992年は救援48登板と先発2登板で計130.0イニングを投げ、1993年は救援46登板で82.2イニング、1994年は救援45登板で94.0イニング。1993年と1994年も、防御率は1点台だった。
一方、1971年に防御率1.71の藤本和宏は、他に35イニング以上のシーズンすらない。1971年が157.2イニング、1967~70年と1972~74年の7シーズンは計90.1イニングだ。
なお、1971年の藤本、1982年の高橋里志、1992年の赤堀、2011年の吉見、2012年の吉川光夫は、最優秀防御率のタイトルを獲得している。1960年の堀本は新人王、1992年の石井丈裕と2012年の吉川はMVPに選ばれた。
1992年の赤堀については、こちらで書いた。