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【河内長野市】神功皇后創建伝説の小山田住吉神社は、馬かけ神事、伊勢大神楽とふたつの神行事が続きます。

奥河内から情報発信奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

今年は4年ぶりに行われる伝統行事が目白押しですね。小山田に鎮座し、神功皇后が創建した伝承のある小山田住吉神社でも4年ぶりの神事が復活する見込みです。

これは広報かわちながのとは違う、別の小冊子でみつけたものです。今年の10月9日スポーツの日に馬かけ(駈)神事が行なわれると正式に告知がありました。

創建者の神功皇后は摂政になって69年間、皇后として国を統治していたという伝説の人物。馬かけ神事のきっかけは、皇后が摂政52年の時に当地に到着。10月中の卯之日(10月12日)に、凱旋祝賀の為に裸馬の競走を催し、住吉大神に奉納したのが始まりなのだそうです。

当初は10月12日に行われたものが、平成の頃には連休最終日の祝日(当時は体育の日)に合わせるようになったので、神事が見学しやすくなりました。これは素晴らしい英断ですね。

4年ぶりなので、私はまだ見ていませんが、過去の馬かけ神事の様子を見てみると、当日の14時ごろに頭に白い木綿の布を巻き尻尾に紙垂を付けた13頭の献馬が神社に集結します。ここで馬の手綱を引く氏子崇敬者は、首にお守り、手首に赤い布を付け待機。

15時に宮司が本殿から神功皇后が捧持(ほうじ:捧げて持っていた)していた木製の鉾を持ち、馬場に設けたお立ち台に行きます。

その時に青竹を持った総代4人が鉾の四隅を警護しながら、日の丸の扇で始まりの合図をします。

最初に代表馬か鉾の周囲を3回右回りし、馬場を3往復した後、待機馬が随時馬場へ駈け出します。

約200メートルある馬場を、氏子崇敬者が交替で綱を持ち、馬に乗らずに一緒に駈けます。かつては100頭ほどの馬が走ったそうです。

小冊子の写真だけを抜粋
小冊子の写真だけを抜粋

裸馬を曳きながら走る理由は馬の上に乗っているのは神様だからとのこと。約40分続き、日の丸の扇の合図により宮司が本殿ヘ木鉾を安置し馬かけ神事が終わります。スポーツの日当日が楽しみですね。

さらに馬かけ神事のあと、もうひとつの神行事が住吉神社で行われます。伊勢大神楽(外部リンク)が、10月14日土曜日の14時から神楽(住吉神社総舞)が1時間奉納されるとのこと。これは昨年も行われましたが残念ながら行けませんでした。

伊勢神宮外宮
伊勢神宮外宮

伊勢大神楽(いせだいかぐら)とは、600年近くの歴史があり、獅子舞を舞いながら諸国を巡り、かつては伊勢神宮、現在では伊勢大神楽の神札を配布してまわる神楽師のことです。1981(昭和56)年に国の重要無形民俗文化財に指定されました。

伊勢神宮外宮
伊勢神宮外宮

各地を回りますが河内長野市では唯一住吉神社のみで毎年神楽が総舞が奉納されるとのこと。公式ページによれば関西では滅多に奉納されない「楽々の舞」の奉納があり、また過去10年間の間で、住吉神社の総舞を見た観客から3名の太神楽師入門者が出たそうです。

10月6日夜に行われた今年の西代神楽
10月6日夜に行われた今年の西代神楽

西代神社で奉納される西代神楽も伊勢神楽の流れを汲むそうですが、本場の伊勢から全国を回っている神楽はまた違うものと思われますので、こちらも楽しみですね。

境内社の諏訪社
境内社の諏訪社

ここで、住吉神社と市内にあるいくつかの神社の創建を調べると次のようになっていました。

長野神社 創建不詳、本殿は1543年ごろ建立
西代神社 創建不詳、南北朝時代南朝系の武将に崇敬されていた
千代田神社 創建不詳、ご神体の菅原道真像は平安時代のもの     
川上神社 創建不詳、元の名前である鳩原神社の鳩原の由来は699年
烏帽子形八幡神社 創建不詳 烏帽子形城の鎮護として楠小二郎が創祀
加賀田神社 創建不詳 宇佐八幡宮より勧請され1480年に社殿を再建
流谷八幡神社 1039年創建 石清水八幡宮より八幡神を勧請し社殿を造営
蟹井神社 1054年創建 神武天皇が戦勝を祈願した場所と言われている
天神社 創建不詳 1345年の棟札が見つかっている
小山田住吉神社 神功皇后が創建(西暦300年代後半?)

ほとんど創建不詳なので、実際のところはわかりませんが、住吉神社は西暦300年代後半ごろに活躍した神功皇后が建てたという伝承があることから他神社と比べて相当古くから神社があったと考えられます。

住吉神社の参道の途中に小さな境内社に行く道が分かれているところがあります。この神社の名前は髙天原神社という名前で、高天原は皇祖神の天照大神(あまてらすおおみかみ)らがいる場所。

出雲の大国主命(おおくにぬしのみこと)から国を譲ってもらった後、天照大神の孫である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が降臨してきたという日本神話があります。

境内社の高天原神社
境内社の高天原神社

そんな高天原の名を冠した神社があるということ自体、住吉神社がパワースポットの多い河内長野の中でも特に神々の宿る神話時代の香りを感じますね。

ちなみに住吉神社の祭神は住吉大社と同じ住吉大神とされる、底筒男命(そこつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)、表筒男命(うわつつのおのみこと)3柱と息長足姫命(神功皇后)、それに武内宿禰(たけのうちのすくね)の合計5柱です。

余談ですが昔は住吉神社の氏地、小山田にもだんじりがあったことがわかりました。全国のだんじりを集めた、だんじり名鑑(外部リンク)によると明治15年(12年?)堺の大工木村源平により新調しただんじりは、当初は錦部郡小山田村に行ったそうです。

かつて小山田で使われていた?現在の石坂のだんじり
かつて小山田で使われていた?現在の石坂のだんじり

その後明治31年頃(26年?)に小山田から同じ当時の錦部郡長野村の石坂(南河内郡長野町字石坂)が購入したそうで、それが現役で活躍しているとのこと。つまり少なくとも明治時代には小山田にだんじりがあったことがうかがえます。

小山田のだんじりが無くなり、住吉神社の氏子地域にあるだんじりも現在は千代田神社へ宮入りしているのですが、先日も少し触れた通り、松ヶ丘のだんじりは2日目の午前中に貴望ヶ丘から寺ヶ池公園を過ぎて住吉神社に参拝するという事のようなので、全く無縁ではないようです。

小山田住吉神社
住所:大阪府河内長野市小山田町453
アクセス:南海・近鉄河内長野駅、南海千代田駅からバス 福祉センターあかみねバス停より徒歩5分、神社前バス停より徒歩7分

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奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

河内長野市の別名「奥河内」は、周囲を山に囲まれ3種類の日本遺産に登録されるほど、歴史文化的スポットがたくさんある地域です。それに加えて、都心である大阪市中心部に乗り換えなしで行ける複数の大手私鉄(南海・近鉄)と直結していることから、新興住宅団地が多数造成されており、地元にはおしゃれな名店や評判の良い店なども数多くあります。そして隣接する富田林市もまた、歴史文化が色濃く残る地域。また南河内地区の中核都市として、行政系施設が集まっています。これを機会に、奥河内(一部南河内含む)地域に住んでいる人たちのお役に立つ情報を提供していければと考えています。どうぞよろしくお願いします。

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