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科学に基づく政策論議と説明責任を 出口戦略に向けて

高山義浩沖縄県立中部病院感染症内科・地域ケア科
集団感染が発生した施設で感染対策を指導する看護師(筆者撮影)

明日は選挙です。悲しい事件もありましたが、民主主義を貫くことが大切だと、改めて思います。地域でコロナ診療に携わりながら、また自治体行政を支援しながら、各政党の主張や公約を拝見して、やや政治が果たすべき「責任」から逃げているような印象があります。

以下、この2年間の対策を振り返りつつ・・・。

■ 途上にある季節性へのプロセス

新興感染症は、変異を重ねながら流行を繰り返し、そのたびに流行規模を大きくしていきます。最終的には、季節性の風邪ウイルスとなり、私たちの社会に定着するものと考えられています。ただし、現時点では、通常の風邪と呼べるほど病原性は低下しておらず、季節周期に収まるほど私たちは免疫を獲得できていません。

新興感染症による医療と社会への影響は刻々と変化するため、ある段階において最善と考えられた対策であっても、次の段階では適切とは言えなくなることが少なくありません。このため、地域ごとに疫学情報を的確に捉えながら、段階に応じた施策を打ちだしていく必要があります。

発生初期の段階では、ウイルスの封じ込めが目標となり、感染者全員の隔離と濃厚接触者の行動制限が求められます。増大する患者数に追いつくように、発熱外来や検査体制を拡張しなければなりません。ただし、この段階における感染者数は限定的で、感染対策を徹底するためにも、診療する医療機関は限定させるようにします。

地域流行が拡大してくると、自宅療養を容認せざるを得なくなり、封じ込めは困難となっていきます。この段階では、緊急事態宣言など感染拡大を抑止する社会施策をとりながらも、医療においては(隔離ではなく)重症者の救命が主たる目標となっていきます。とくに、医療の見守りのないところで重症化する者が発生しないよう、自宅療養者への毎日の健康観察が求められます。

有効なワクチンと治療薬が普及し、重症者や死亡者の報告数が減少してくると、社会的な警戒感は低下し、さらに流行規模が大きくなっていきます。これに対応するため、できるだけ医療体制を日常に戻していくことが求められます。原則として、すべての医療機関で診療が行われるよう促すとともに、感染者数が激増するので、住民に対しては医療の適正利用を呼び掛ける必要があります(← いまココ)。

さらに流行が重なっていくと、ワクチンもしくは自然感染による集団免疫が獲得されていきます。ただし、感染そのものを防ぐ終生免疫が得られなければ、流行は一定の周期性をもって繰り返されるようになります。これは免疫の持続期間によりますが、寒冷かつ換気が悪い冬のみとなることが多いようです。ただ、沖縄の季節性インフルエンザのように、夏と冬の2回となることも考えられます。

漠然と「ウィズコロナ」と語られていますが、これは、もっぱら最後の段階にあたる「流行が季節性に至る状態」を指していると私は理解しています。大流行による医療崩壊と死亡者の増加を容認することではないはずです。急ぎすぎず、油断せず、季節性へのプロセスを見切って、医療と社会の体制を適切に切り替えていくことが求められます。もちろん、日常に戻していくには、ある程度の努力も必要でしょう。

■ 地域医療とプロフェッショナリズム

もともと、日本の地域医療は過密であって、救急医療は恒常的にひっ迫していました。日常に戻すとしても、ソフトランディングにならないところが難しいのです。日本は、急速な高齢化のなかにあり、医療需要も増大の一途です。コロナに限らず、季節性インフルエンザのような負荷がかかっても、すぐに満床状態となってしまいます。医療の出口戦略の困難さは、パンデミック対策というよりは、日本の地域医療にあった課題の表出として捉え、来るべき超高齢社会に備えるという視点が必要です。

医療機関や医療従事者に対して、ある程度の指導力を政府や自治体が発揮することも考慮すべき施策ですが、強制的に診療させようとしても、医療従事者が離職してしまえば機能は失われてしまいます。病床数の確保に議論が終始して、人材をいかに育成し、動員するかの視点が欠けていたように思います。

また、ステークホルダーの意向を尊重することが先行し、結果として社会全体に負担をかけてしまった側面もありました。この点においては、政治の指導力だけでなく、医業を独占している医師たちのプロフェッショナリズムも問われています。独占しながら、診療しないのは、住民への裏切りではなかったでしょうか・・・?

有事における医療体制の維持については、パンデミックに限らず自然災害などにおいても重要な課題と言えます。この夏の第7波は、とりわけ多くの感染者が出ると考えられます。誰が逃げ回り、誰が沈黙しているか、国民は冷静に見ているはずです。

■ 求められる政治の説明責任

これまで日本では、6つの波を数えながら、流行のたびに対策は更新されてきました。結果として、先進主要国のなかでも日本の死亡率は低く抑えられており、一定の成果を収めてきたと考えられます。ただし、各段階において、より良い目標が掲げられなかったのか、そのためには何が不足していたのか、について客観的に評価する必要があると思います。

しかしながら、各党の公約をみても、どの段階の何が不足していたのかが不明瞭で、いま必要とされている施策と、次のパンデミックに向けて準備すべきこととが混同されているように感じます。また、問題の諸相と責任を明確にしないまま、日本版CDCがあれば良かったというような、神棚を拝むがごとき公約には期待できません。

実施してきた対策を明確かつ説得力をもって住民に伝えることができなかったことについて、自らの問題として政治は捉えていないのではないでしょうか? 都合の悪い説明を政治家や官僚が避けて、専門家に任せてしまったため、決断までもを専門家が行っているかのような誤解を与えたこともあったと思います。

きちんと説明しなければならないというプレッシャーは、むしろ専門家の側に強かったと私は思います。今後は、政治家こそが率先して方針について説明し、専門家が根拠をもって補強するという、政治と科学との関係性を確立していかなければなりません。

今後の出口戦略に向けて、野党は与党の逆張りやポピュリズムではなく、より積極的に科学者の意見を取り入れながら議論してください。そして、与党と野党の科学に基づく政策論議に期待しています。これはパンデミック対策に限らず、日本の政治が、しばしば迷走する要因となっている重要なテーマだと思います。

筆者作図
筆者作図

沖縄県立中部病院感染症内科・地域ケア科

地域医療から国際保健、臨床から行政まで、まとまりなく活動。行政では、厚生労働省においてパンデミック対策や地域医療構想の策定支援に従事してきたほか、現在は規制改革推進会議(内閣府)の専門委員として制度改革に取り組んでいる。臨床では、沖縄県立中部病院において感染症診療に従事。また、同院に地域ケア科を立ち上げ、主として急性期や終末期の在宅医療に取り組んでいる。著書に『アジアスケッチ 目撃される文明・宗教・民族』(白馬社、2001年)、『地域医療と暮らしのゆくえ 超高齢社会をともに生きる』(医学書院、2016年)、『高齢者の暮らしを守る 在宅・感染症診療』(日本医事新報社、2020年)など。

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