『大河ドラマが生まれた日』が生まれた、もう一つの物語
テレビ70年記念ドラマ『大河ドラマが生まれた日』(NHK総合)が、2月4日に放送される。これは2023年に日本でのテレビ放送70年、大河ドラマ60周年を迎えることを記念した、若きテレビマンたちによる大河ドラマ誕生の様子を描く奮闘記。
第一報で聞いたとき、「NHKドラマでしか成立しない、良い着眼点だな」と思った。脚本と主演が『俺の話は長い』(2019年/日本テレビ系)の金子茂樹氏×生田斗真のタッグと聞き、もっと期待が高まった。さらに驚いたのは、「企画:遠藤理史」の名前。
遠藤理史氏とは、NHK連続テレビ小説(通称「朝ドラ」)『カムカムエヴリバディ』(2021年度下半期)の脚本家・藤本有紀氏の朝ドラ前作で、DVDが爆発的に売れた伝説的な作品『ちりとてちん』(2007年度下半期)の制作統括で、藤本氏を『ミニモニ。でブレーメンの音楽隊』(2004年)の脚本でNHKドラマに引っ張って来た人でもある。
さらに、2014年~2017年までのNHKドラマ部長で、2020年から「NHK知財センター」のセンター長だ。NHK知財センターは、マルチメディア局、知財展開センターなどを経て、2014年6月に設立された組織。著作権関係の交渉や、映像・情報資産の保存とデータベース化、ニュース・番組の制作への活用・外部提供、番組広報ライブラリー等が主な業務だ。
本来はドラマ畑から離れているはずの遠藤氏がなぜ、またドラマを? 取材依頼をしたところ、『大河ドラマが生まれた日』が偶然生まれた、もう一つの興味深い物語が見えてきた。
ドラマの企画提出前にタイトルが決まっていた!?
「知財センターに来てもドラマを作ろうなんて、全く考えていなかったんですが、偶然がいくつも重なって。知財センターに来て1年ほど経ったところで、テレビ放送開始70年記念の『テレビ放送史』という分厚い本をアーカイブスで出すことになっていて、原稿チェックのためにそれを読んだんですね。その中に大河ドラマのページもあるんですが、大河ドラマ第1作『花の生涯』が生まれた経緯やエピソードがめちゃくちゃ面白かったんです」(遠藤理史氏 以下同)
ただし、そこからすぐにドラマ化に……と進んだわけではない。
「たまたま読んでいた別の時代劇の本がすごく面白くて、大河ドラマ『篤姫』(2008年)や朝ドラ『あさが来た』(2015年度下半期)などの制作統括(現在NHKエンタープライズドラマ番組エグゼクティブプロデューサー)の佐野(元彦)さんに電話したんです。『これドラマになりませんかね』と。でもドラマ部の提案締切は終わったばかりで、ちょっと間に合わなかった。そこで逆に『テレビ70年企画ない?』と聞かれて、つい先日読んだ『花の生涯』ができるまでの話がすごく面白かったことを話したんですね。そしたら、佐野さんが『それ、面白いね。"大河ドラマが生まれた日”じゃん』と」
なんと企画を出す以前に、番組タイトルからすでにスタートしていたのだ。
『大河ドラマが生まれた日』を生んだ偶然の連なり
「それで企画を書くから、佐野さんにプロデューサーをやってくれと言ったら、『NEP(NHKエンタープライズ)がドラマを作るときには“委託元”が要るんだよ。遠藤君、委託元になれないの?』と聞かれたんですね。確かに知財センターではアーカイブスを使った番組を作る際、NEPに委託しているので、それもアリかと思い、知財センターがNEPに委託する形で、全体募集の締め切りに合わせて提案しました。ただし、僕の名前で出すわけにはいかないから、知財センターアーカイブス部・専任部長(当時)の千野(博彦)さんに相談したところ、『この提案が通ったら、僕にドラマを作るチャンスが回ってくるということでしょうか』と聞かれて。そのとき初めて知ったんですが、千野さんは入局時ドラマ志望だったそうで、『ぜひこの企画を通しましょう』と言ってくれたんですね。もしそこで千野さんに『通常業務で手一杯だから、できない』とか言われていたら、この企画は終わっていました」
そこから提案を出し、しばらくして「ヒアリング対象になった」という連絡が。ヒアリング対象というのは「書類選考を経て二次審査に残るようなもの」で、全企画を100本とすると10本切るぐらいの通過率だと言う。
「そこで慌ててNEPのドラマ部長や上層部に話し、ヒアリングに臨みました。プレゼンの際のもう一つのポイントに、『花の生涯』の第1回分の1本だけ映像が残っていることもありました。アーカイブスではAIによる白黒映像のカラー化に取り組むことも進めていて、仮に『大河ドラマが生まれた日』のドラマができたら、そのドラマきっかけに『花の生涯って、どんなドラマだったんだろう』と関心を持ってくれた視聴者がいたとして、カラー化した作品が観られたら、ちょっと楽しいじゃないですか」
NHKドラマ×金子茂樹氏脚本が初めて実現した理由
かくしてNEPの制作統括・佐野元彦氏×知財センターの制作統括・千野博彦氏によるドラマ化が決定。そこから、様々な資料収集と取材が進んで行った。
「当時のスタッフでご存命だった方はほとんどいない中、お話を聞くことができたのが、美術担当だった富樫直人さんでした。当時88歳で、年齢的に家で隠居生活をされているかと思ったんですが、取材依頼をしたところ『いいですよ。いつといつはジムに行っているから、ダメだけど』と。すごく頭も言葉もお元気な方で驚きました。しかも、『花の生涯』の写真や資料を収めたアルバムや、初日のセット図面も残っていたんですよ」
そんな中、脚本担当は金子茂樹氏になったが、意外なことにNHKドラマは本作が初という。
「佐野さんから聞いた話では、今まで何回かNHKのドラマ部でオファーしていたけど、タイミングが合わなかったり、企画が意向と合わなかったりで、実現しなかったそうなんですね。でも今回企画書を持っていったら、2つ返事でオッケーして下さって。『この企画なら、自分の良さを出して書ける』とおっしゃったようです。コメディというオファーも良かったんじゃないかと思います」
実は「コメディにする」ことは、遠藤氏が企画を考えたときに一番大切にしたかった点でもあった。
大河ドラマをNHKが自画自賛するドラマにはしたくなかった
「『花の生涯』は、映画各社の専属俳優はテレビには出演できないという『五社協定』があった時代に、プロデューサーの合川明さんが芸能局長から無茶ぶりされ、松竹の専属俳優だった佐田啓二さんに出演依頼したところから生まれた作品です。普通に作ると、やっぱりプロデューサーが主人公の作品になりますよね。でも、看板番組のメイキングをNHK自身が作るということ自体、ちょっと自画自賛っぽいじゃないですか。NHKのかつての人たちが頑張って作って、大成功して、それが今も続いていると自分で言うのは、気持ち悪くないですか? だから、それを笑い飛ばすようなドラマにしたいという話を佐野さんにしたところ、同意してもらえて。そうなると、主人公のモデルを合川さんにすると、実際に合川さんは功労者なわけだから、どうしても最終的に成功譚になってしまう。それよりも、その横にいて、本人はたいしてドラマを作りたいと思っていなかった人が『なんでこんな大変な思いをして、頭を下げなきゃならないんだ』と思っているほうが物語として面白いだろうと。それで、大原誠さんという助監督の立場が主人公のほうが面白いだろうということになりました」
そこで芸能局の若手アシスタントディレクター・山岡進平が主人公になった。
「もともと主演には、金子さんと生田君の『俺の話は長い』が大好きだったことや、バリューがあることから、生田君という案も出ていましたが、主人公がプロデューサーの場合、もう少し年上の役者さんにお願いしていたかもしれません。でも、まだ主人公の立場やキャラが決まらない段階で生田くんに打診してみたら『こういう話ならやってみたい』と言ってくださって。さらに、主人公像をどうするかを佐野さん、千野さん、金子さんと話す中で『自分のせいではないことで振り回されている生田斗真が面白いんじゃないか』みたいな話が出てきて、『生田君主演で、助監督を主役にしよう』となったんです。それに、撮影が始まると、プロデューサーの面白い話はほぼ終わりですが、実際には撮影が始まった後も現場ではどんどん大変なことが起きているんですね。史実でも東映のオープンセットを借りに行くというくだりがあって、それは大原さんが交渉に行ったんですよ」
ただし、主人公は立場が大原氏でも、キャラクターは金子茂樹氏の創作だ。「人柄は全然違う」という。なぜかと聞くと、遠藤氏はちょっとテレ笑い(?)を交えつつ、意外なエピソードを語ってくれた。
『花の生涯』と『麒麟がくる』『とと姉ちゃん』の意外な関係
「大原さんは私がドラマ部に入った時のチーフ演出で、すごくお世話になった『師匠』なんです。僕が初めて大河ドラマに関わったのも、大原さんがチーフ演出を務めた『元禄繚乱』(1999年)でしたし、『花の生涯』のエピソードを教えてくれたのも大原さん。ちなみに、大原さんの次男は大河ドラマ『麒麟がくる』(2020年~2021年 )や朝ドラ『とと姉ちゃん』(2016年度上半期)のチーフ演出・大原拓くんなんですよ」
また、主人公のキャラは、「東映撮影所に交渉に行く」ことがクライマックスになるストーリーから逆算で生まれたところもあった。
「大河ドラマにモチベーションがなく、プロデューサーの元でへこへこ頭下げるのは嫌だと思っているところから始まり、最終的に自分が大河ドラマを成功させるために頭を下げにいくエンディングが良いなという話が出てきたんです。そこから『本当は映画会社に入りたかったけど、ダメで、NHKに来た』『映画が上で、テレビは下だと思っている人物』という設定にすれば、映画スターが出るために頭を下げなきゃならない上司を最初は嫌だと思っているのに、その人が頭を下げ続けた結果、どんどん物事が実現していく様子を見て、最後は自分が映画会社に頭を下げに行くという成長物語ができるんじゃないか』と金子さんもおっしゃって。後半の展開を前提に前半を考えると、最初はちょっと斜に構えている主人公像ができてきて、ほぼ同時進行で生田斗真さんへのオファーになりました」
物語も、主人公像も、数々の「偶然」の連なりでできていった作品なのだ。
(田幸和歌子)