杉並区の保育園問題。公園転用への反対は住民のエゴではない。
杉並区の公園を保育園に転用する計画に感じた疑問
2月の「保育園落ちた日本死ね」ブログが話題になって以来、保育園についての問題が表面化している。私は昨年から首都圏の保育園反対運動について取材してきた。また「日本死ね」に続いて起こった「保育園落ちたの私だ」運動についてはYahoo!でもいくつか記事を書いている。
→「保育園落ちた日本死ね」ネットとテレビで響きあい国会に届いた"絶望"
→子どもは社会みんなで育てるもの。このコンセンサスが、決定的に欠けている
共働きを当たり前の世の中にするためには首都圏の保育園は圧倒的に足りない。なのに自分の家の近くに保育園ができることに反対する人びとには強い疑問を感じている。保育園への反対運動はNIMBY問題(Not In My Back Yard:施設建設に総論賛成でも自分の家の近くに建つ計画には反対する傾向)の典型であり、また保育園に対する偏見と誤解が多すぎる。あちこちの取材を通じて、そう考えるようになった。
だが、5月の末から話題になっている杉並区の公園転用問題は違うものを感じた。反対するのは自然なことではないか。久我山東原公園の説明会がテレビでも報道され、賛否両論巻き起こっている。中には反対運動を住民エゴと見る声も見受けられるが、そう決めつけるわけにはいかない気がした。
公園は子育てに欠かせない、地域コミュニティの中心である
私がこれまで取材してきた保育園反対運動は、更地の土地や使われてない建物があり、そこに保育園を建てる計画に対してのものだった。反対する理由は、子どもの声がうるさいのではないかとの不安や、道が細い割にクルマが多いので事故に繋がらないかとの心配が主だった。いずれも誤解であり、イメージで反対していたと言っていい。反対の声をあげる人の意見を聞いていると、不安だ心配だと言いつつ、結局はエゴとしか思えないことも多かった。
ポイントはそれらがいずれも、「使われていない土地や建物」についての計画だったことだ。
杉並区で話題になっているのは「公園」だ。「すでに人びとが使っている場所」である点が、これまで私が見てきた例と大きく違う。
そして公園はかなり特別な意味を持つ場所だと思う。私自身の子育てを振り返っても、公園は必要欠くべからざるものだった。なにしろ首都圏で暮らしていると庭と言えるものが持てない。子どもを太陽の下で走り回らせるのに、公園は必須だ。父親たちは公園がないと子どもたちとどこで触れ合えばいいか途方にくれるだろう。母親たちは公園を通じていわゆるママ友と出会い、コミュニティを形成する。あるいは、公園ではお年寄りと子どもが時にふれあい、優しく声をかけてもらう。世代を越えた交流が時に引き起こされるのも、公園の特長だ。
公園は子育てに必要であるばかりか、その地域の人びとが自然と集まりゆるやかなコミュニティを形成する、非常に大事な場所だというのが私の実感だ。ただの遊び場と捉えると見誤る。
その公園を一部とは言え保育園に転用するのは、ただ空いている土地や建物を保育園にするのとは、全然違う話ではないか。二者択一で選べるものではない気がする。小学生の遊び場を、保育園が必要な幼子に譲ればいい、という単純な話ではない。
もちろんそれは公園の大きさや使い方、その地域でのポジション次第だ。これは行ってみるしかない、話を聞いてみるしかない。6月5日の日曜日、現地である久我山東原公園に行ってみた。
東原公園の価値を再認識し、結びついた母親たち
午前10時、井の頭線久我山駅から歩いて7〜8分で久我山東原公園に着いた。正直言って、意外にこぢんまりした公園だった。反対するのは大きな公園だからではないか、でもそれなら一部を転用してもいいのではないかとも考えていた。その想像よりずいぶん小さかったので拍子抜けした。強い雨がやんだばかりで、人もほとんどいなかった。
公園は二つに分かれており、平らでボール遊びもできる側と、土と石が小高く盛られて真ん中を水が流れる側で構成されている。大きくない面積ながら、多様な過ごし方ができるよくできた構造だ。
公園を見て回っていると、二人の女性がやってきた。あらかじめ「久我山の子どもと地域を守る会」の方にコンタクトを取ってあったのだ。宇田川美幸さんと河田奈々絵さん。二人は、はっきり公園の転用に反対の意思を示すために「守る会」を結成したそうだ。宇田川さんは6月3日に住民代表のひとりとして区長と対話をしており、河田さんはツイッターやブログで情報発信をしてきている。
杉並区で待機児童が想定を超えて急増していることが発覚し、4月に田中区長が緊急事態を宣言。5月13日に発表された保育園新設の計画の中に、久我山東原公園の転用案も入っていた。5月22日にはさっそく説明会が保育園の集会室で開催されたが人数が多く入りきれず、29日に小学校の体育館で二回目の説明会が開催され300名が集まったという。その際に、2750名分の署名が集まったことも報告された。
私がまず驚いたのがその”数”だ。これまで取材してきた説明会では、集まるのは40〜50名程度だった。反対運動では署名が集められることも多いが、600名分がいいところ。集まった人数が300名で署名が2750名分というのは、他の反対運動と規模がまったく違うことがよくわかる数字だ。
杉並区に十年以上住んできて子育てもしてきた二人としては、この公園はいろんな価値があるという。
「何よりも子どもたちのことを考えての反対運動なのです。この公園は単なる遊び場ではありません。みんなで過ごすために育ててきた場所なんです。」と宇田川さんは訴える。昔はこの近辺に広い公園がなく、22年前に保育園に子どもを通わせていた親たちが中心になって公園をつくってほしいと願い出てできたのが東原公園なのだそうだ。
「例えば一時期、せっかくの公園でゲームばかりやる子どもたちがいました。みんなで話し合って、公園なのだからもっとのびのび遊ぼうと、ゲームをやらないようにしたのです。だからここではみんな元気いっぱい走り回って遊びます。そうやってみんなで使い方を話しながら培ってきた公園なんです。」と河田さんが言う。落ち着いた雰囲気の宇田川さんと、パワフルにしゃべる河田さんは好対照でいいコンビに見える。
ところが、実は二人が知り合ったのはごく最近、この問題を通じてだったそうだ。宇田川さんが署名を集めていることを河田さんが伝え聞き、それは自分たちの仲間でも集められるよと連絡した。そんな母親たちが8人集まって、得意なことを分担しあって会を運営しているという。
保育園を増やすための代案もみんなで考えている
私が見てきた反対運動の人びとは、「他の場所を探すべきだ」とは言うが、具体的な代案まで出す人はいなかった。だが宇田川さんたちは公園と保育園の両立をなんとかできないものかとみんなでどうすればいいかを考えている。
今回対象となった公園は区が所有するからすぐに保育園建設にとりかかれると選ばれたものだ。だが区が所有していないものでも、交渉することで保育園に転用することはできるはずだ、と彼女たちは主張している。
あるいは、待機児童の中心は0、1、2歳児なので、年少向けの保育園を暫定的につくっておいて、その間に別の土地の折衝をできないか。また、区の認可保育園の規定では一人当たり5.5平方メートル必要だが、都の基準は一人当たり3.3平方メートル。短期的に都の基準に合わせれば既存の保育園にもっと収容できる。その間に土地を探せばいいのではないか。
かなり具体的な代案だと思う。これらは、8人の母親たちがそれぞれの得意な力を出し合って、いろいろ調べて組み立てたのだそうだ。
「考えてみれば私たち、つい数週間前まで制度にも議会にもまったく興味なかったんですけど、一気にいろんなこと詳しくなりました」河田さんがしみじみ言った。
だが杉並区の答えは、すべての代案にNO。とにかく来年4月には待機児童をゼロにする、そのためには区が所有する公園の転用しか方策はなく、断腸の思いで決めたことだの一点張りだそうだ。来年4月の期限を緩めるだけでいろんな方策があるはずなのに、というのが「守る会」の思いだ。
人によってはこの件を「専業主婦の小学生ママと共働きの保育園ママの争い」と決めつけているようだ。だが「守る会」の8人の中には、保育園ママもいる。保育園に通わせているからこそ、公園が必要なのだと言っている。
「長い目で見るとこの公園の転用はいい案ではないと思います。来年4月のタガを外せば両立できるというのが私たちの主張です。でも区長と直接話しても耳を貸してくれませんでした。」と宇田川さんはため息をつく。
糾弾するつもりはないが、区長の判断は拙速過ぎる
お二人の話を聞いて、やはり公園の転用は良い判断とは言えないと私は感じた。下の図はこの近辺の地図だが、東原公園がいかに貴重な公園かがわかる。そもそもこのあたりは公園があまりない。だからこそ、22年前に東原公園ができたのだ。それを転用するのは本末転倒ではないか。また、保育園がこの範囲に集中しているようにも思える。左下の線路近くにも候補地があるそうで、ますます多すぎに思える。
それから、急ぎすぎの印象も拭えない。他の区で反対運動が起こると、一旦計画を延ばして説明会を何度も開く。はたから見て、もう建設を進めてしまえばいいのにとイライラするほどだ。保育園はその施設としての性格上、周囲が歓迎してくれる状態でないと進めないのが多くの自治体の方針だ。東原公園の場合、他の区の反対運動よりずっと多くの人が声を挙げているのは先述のとおり。反対が正しいかどうかを置いといたとしても、ここは時間をかけて住民にもっと耳を貸すべきではないだろうか。
そうは言っても、保育園が必要な人は多いのだから急務ではないか、という人もいるだろう。確かに、保育園を心待ちにしている保活中の親たちには、公園転用も必要だという人たちも多いようだ。
だが2013年に杉並区役所前で保育園を増やして欲しいと声を挙げて話題になった、いわゆる「保育園一揆」の曽山恵理子さんはこのようなコメントを私に送ってくれた。
「田中区長に対して、今回は並々ならぬ決意をお持ちだと感じました。実は杉並区が開催した保育のシンポジウムの開始前に区長と懇談させていただき、その決意をお話いただきました。住民説明会へも区長自らが出向き、なんとか待機児童を抱える保護者を助けたいという思いをわかってもらいたい、と話していました。 ただ、今回は拙速な印象を持っております。待機児童を解消するうえで、来年4月に向けてであればやれることはたくさんあります。来年4月に向けて認可を急造するのがベストとは思えません。 住民感情を無視した進め方で、開設後にトラブルにならないのか、心配で仕方ありません。 待機児童はいつまでも待機児童ではありませんし、保育園児や幼稚園児、小学生、中学生へと成長します。 行政には、それを見据えた子どもへの施策を考えていただきたいと思っています。」
区長の情熱は素晴らしいが、公園転用は拙速ではないか、という意見だ。
曽山さんは今や保活の当事者代表とは言えないかもしれない。だが彼女は、東京都の子育て支援員を務めながら、子供と一緒に働ける「こどもコワーキングbabyCo」を運営して多くの母親たちの働き方をサポートしている。その立場から見た、大いに参考になる意見だと思う。
私のこの記事も、決して区長を糾弾するのが目的ではない。むしろ、緊急宣言を発したり、来年待機児童ゼロを目指すのは素晴らしい意気込みだと捉えている。区長など上のレイヤーの行政や政治家の意思が、保育園不足の問題には必要で、そこまでしないと物事が進まないのも確かだ。この問題を地道に記事にしてきた者として、拍手を送りたい。
だが、それでもやはり公園は、他ならぬ東原公園の転用は、何年かしたら必ず後悔すると私は感じた。現地を見て、「守る会」のお二人と話して、確信を得た。40%の利用だとしても、東原公園の価値の本質は失われてしまう。それは、「サッカーができなくなると反対している」という単純な話ではないのだ。願わくは、今一度公園は市民にとっていかなる存在か、地元の人々がなぜ300人も集まったのか、考えて欲しいものだと思う。
ここまで長くなったのでこの記事はここで終わるが、取材をしていて非常に面白い経験をしたので、間をあまりあけずに続きを書くつもりだ。そこからも、この問題が持つ深さや時代的意義が見えてくると思う。