婚姻の目的「自然生殖可能性?」同性婚訴訟、国の論理破綻と差別の助長
法律上同性のカップルの結婚が認められないことは憲法違反かが問われている、「結婚の自由をすべての人に」訴訟。9日、東京地裁で9回目の口頭弁論が行われた。
国側は「婚姻の目的は"自然生殖可能性"のある関係性の保護だ」「同性カップルは異性カップルと同等の"社会的承認"を得ていないから認められない」などと主張。
これに対して、原告側の寺原真希子弁護士が意見陳述し、国側の主張の論理がいかに破綻しているか、差別を正当化し助長しているのかが指摘された。
寺原さんが述べた意見陳述の全文はこちら。
論理破綻な国の主張
この訴訟では、原告側は「法律上男女のカップルは結婚ができて、同性のカップルが結婚ができないのは憲法違反だ」として国を訴えている。つまり、問いは「なぜ結婚は男女のみに限定されているのか」ということになる。
これに対して、被告である国側は、これまで「婚姻の目的が"自然生殖"、つまり『子を産み育てる関係性』の保護だからだ」と主張してきた。
しかし、原告側が「男女の場合は子を産まない/産めないカップルであっても結婚ができるため、ダブルスタンダードだ」と指摘すると、国側は主張を修正し「実際に子を産まなくても、"生物学的な自然生殖可能性"で婚姻の範囲が決められている」、つまり「男女であれば、実際に子を産めなくても良いのだ」という論理を展開してきた。
だが、これでは「なぜ結婚は男女のみに限定されているのか」という問いに対し「男女だからだ」と言っているようなもので、全く答えになっておらず論理が破綻している。
寺原弁護士は意見陳述の中で「子どもを産み育てる関係を保護することは、婚姻の重要な機能・役割の一つ」ではあるが、それが婚姻制度の「目的」ではないと指摘している。
婚姻は子を持つ意思や可能性にかかわらず、「親密な二人の関係性に法的な保護を与えるもの」というのが実態ではないのだろうか。
差別の無限ループ
原告側が国の主張の論理破綻を指摘したところ、国側は新たな主張を追加してきた。寺原さんは、その主張を見て「文字通り、自分の目を疑いました」と述べている。
その主張とは、「同性カップルは、婚姻した異性カップルと同等だという"社会的承認"がないから、婚姻が認められなくても問題ない」というものだ。筆者も、あまりの国側の主張の稚拙さに驚きを隠せなかった。
同性婚が認められていない、つまり結婚という「制度」から同性カップルが排除されているから、同性カップルは婚姻した異性カップルと同等の"社会的承認"を得られていないのは当然だ。
そして、その「制度」から同性カップルを排除し続けているのは、まさに被告である「国」だ。
これはつまり、「婚姻制度から同性カップルを排除し、排除しているから同性カップルは異性カップルと同等の社会的承認を得られず、社会的承認がないから婚姻制度から排除し続ける」という無限ループでしかなく、国は現状の差別を正当化し、さらに差別を助長し続けていることに他ならない。
寺原さんは、「論理的に破綻しているにとどまらず、差別を容認し、今後もそのような差別的状況を継続させていくことを表明しているに等しく、極めて不当です」と厳しく指摘した。
「社会的承認」「社会通念」とは
国側の主張は苦し紛れであり、差別的で論理が破綻しているのは明らかだ。ではなぜこのような論理が繰り出されてしまうのだろう。
2020年6月、名古屋地裁は「犯罪被害者給付金裁判」で、同性パートナーへの給付金不支給を是認し、その理由として「同性カップルの関係が、婚姻と同等の関係だという『社会通念』が形成されていない」とした。おそらく国側はこれを狙っているのかもしれない。
この判決も同様に、制度から排除しているのは「国」であり、だから「社会通念」が形成されていないのに、「社会通念」がないから制度から排除し続けるという無限ループだ。こんな詭弁を裁判所が肯定し、差別に加担したことに衝撃を受けた。
そもそも「社会的承認」や「社会通念」とは一体何なのか。その客観的な判断軸は示されていない。
一方で、さまざまな調査から「同性カップルに婚姻を認めることについては、異性カップルの場合と同等の社会的承認を既に得られているのでは」という点も指摘したい。
例えば、2019年に行われた全国意識調査では、64.8%が同性婚に「賛成」と回答。2〜30代では約8割が賛成だ。朝日新聞の世論調査でも、同性婚を「認めるべきだ」が65%に上っている。
全国の自治体で広がる「パートナーシップ制度」は、導入自治体が150を超え、東京都も2022年度中に導入予定だと明らかにしている。
このように、同性カップルの関係性を異性カップルの場合と「同等」に、国や自治体が公的に保護することについての"社会的承認"は、既に得られていると言えるのではないか。
一方で、10月に行われた本人尋問で、原告の同性カップルが経験してきた具体的な不利益に対して、国側は「パートナーシップ制度で事足りるのでは」と暗示するような質問を繰り返していたことを忘れないようにしたい。
「裁判所が判断すべきでない」という詭弁
さらに国は、同性婚については「国民的議論が不可欠であり、民主的プロセスに委ねるべき」だと、つまり「裁判所が判断すべきではなく、国会で議論すべきだ」と主張している。
しかし、性的マイノリティは文字通り「少数者」だ。多数決で決める国会でいつまで経ってもマイノリティの権利が保障されていないから訴訟が起きているのだ。これは、まさにこの訴訟の被告が「国」であることによって示されている。
にもかかわらず、「裁判所が判断すべきでない」と国側が主張するのは、「性的マイノリティが置かれた状況から意図的に目を背けるものと言わざるを得ません」と寺原さんは述べる。
フランスでは、2013年に同性婚が法制化されたが、当時大規模な反対デモも起きた。世論調査によると、1975年に「同性愛は欠陥だ」と考える国民は42%もいたが、その割合は2019年に8%まで減少したという。
多数派の「社会的承認」を待つのではなく、むしろ法整備が社会の認識を変える側面は大きい。
しかし、今回の訴訟において、国側は「同性婚を認めなくても特に問題はない」ということを繰り返し主張している。
これは、国側の態度自体が「性的マイノリティへの差別を放置し、温存し続けたい」という考えを端的に表しており、「このような問題について判断すべき立場にあるのは、少数者の人権を救済することを責務とする裁判所、すなわち司法にほかなりません」と寺原さんは指摘した。
「多数派」の問題でもある
婚姻の目的は「自然生殖可能性」のある関係性の保護だ、という国の主張に対し、「実際に同性カップルの中には、精子提供などを受けて子を持ち、育てている人たちがいる」と反論することもできる。
しかし、そもそも「自然生殖可能性」などという線引きで優劣をつけ、制度から同性カップルを排除し続けることは、性的マイノリティだけでなく、異性カップルなど多数派にとっても関係のない話ではない。
今月1日、元東京都知事の石原慎太郎氏が亡くなった。石原氏は生前、同性愛者について「どこかやっぱり足りない感じがする。遺伝とかのせいでしょう」と述べ、週刊誌に掲載された記事では、「女性が生殖能力を失っても生きているってのは無駄」などと発言していた。
2018年7月、自民党の杉田水脈衆議院議員が、月刊誌で「LGBTは生産性がない。そこに税金を投入することが果たしていいのか」といった内容を寄稿し、大きな批判を集めた。
2020年9月、東京都足立区の自民党・白石正輝区議は「日本中がL(レズビアン)やG(ゲイ)ばかりになると足立区は滅びる」と発言。
2021年5月、「LGBT理解増進法案」について議論する自民党内の会合で、梁和生衆議院議員が「LGBTは生物学上、種の保存に背く。生物学の根幹にあらがう」と発言。
今年1月、荒川区の小坂英ニ区議は、「同性カップルには子供を産み次世代に引き継ぐ可能性は有りません」「男女の結婚という『標準的な形』を保護し法制度に位置付けるというラインを踏み外してはなりません」というツイートを投稿した。
議員や公職の立場から、このような差別的な発言は繰り返され、実際に性的マイノリティは制度から排除され続けている。
杉田議員の発言の際、性的マイノリティ関連の団体だけでなく、女性団体や障害者団体からも抗議の声が上げられていた。
障害者への強制不妊手術が行われた「旧優生保護法」、現在も残り続けている刑法「堕胎罪」、トランスジェンダー等の当事者が法律上の性別を変更する際は、生殖機能をなくさなければならない「性同一性障害特例法」の手術要件など、国家が「生殖」「再生産」によって人々に優劣をつけ、排除し、コントロールしようとすることは現在でも続いている。
国側の主張する「自然生殖可能性」なる考えに基づいて、同性カップルを制度から排除することは、性的マイノリティのみならずマジョリティも含めた問題だ。
同性カップルを排除し続けるために、国が「婚姻の目的は”自然生殖”の保護だ」など主張してしまうような社会のままで、果たして良いのだろうか。
婚姻の平等を求める「結婚の自由をすべての人に」は、2019年2月14日に提訴してから、もうすぐ3年が経とうとしている。
次回の期日は5月30日。弁護団によると、この日が「最後の口頭弁論」になるのではないかと予想され、その次が判決となる可能性が高いという。
この間、国の主張がいかに差別的な詭弁であり、論理が破綻しているかが明らかになった。
つまり、同性婚を認めない合理的な理由は「ない」ということだろう。「とにかく婚姻を男女のみに限定したい」「とにかく差別をし続けたい」、ただそれだけなのだと言わざるを得ない。
しかし、そんな理由でマイノリティの権利が奪われてしまっている現状がまかり通って良いわけがない。
憲法は「不合理な差別」を禁止している。裁判所は国側の詭弁に迎合せず、正しい判決を下してほしい。