平成ベストナインを選出――第90回都市対抗野球大会、日本野球連盟設立70周年記念祝賀会が開催される
第90回都市対抗野球大会の開催、日本野球連盟設立70周年の記念祝賀会が、7月6日に東京都内で盛大に行なわれ、その中で平成30年間の社会人ベストナインが発表された。日本一を目指す舞台が後楽園球場から東京ドームに変わり、金属バットから木製バットに移行される期間に、社会人球史にその名を刻んだレジェンドたちが一堂に会した。
●投手/杉浦正則(日本生命)
和歌山・橋本高から同志社大を経て、1991年に日本生命へ入社。大学時代から日本代表入りし、バルセロナ五輪で銅メダルを獲得した92年には、都市対抗で7年ぶり2回目の優勝に貢献して橋戸賞を手にする。その年からドラフト候補に挙げられながら、一発勝負の魅力に取りつかれ、社会人でプレーを続ける。96年にアトランタ五輪で銀メダルに輝くと、97年の都市対抗では5年ぶり3回目の優勝を果たし、史上2人目となる2度目の橋戸賞。シドニー五輪に出場した2000年までマウンドに登り、のちにコーチ、監督も務め、「ミスター社会人」と呼ばれる。
●捕手/大久保秀昭(日本石油=JX-ENEOS)
桐蔭学園高から慶應義塾大を経て、1992年に日本石油(現・JX-ENEOS)へ入社。巧みなリードと長打力で1年目から社会人ベストナインに選出され、93、95年には都市対抗で優勝。日本代表の正捕手としても、アトランタ五輪の銀メダルに大きく貢献した。97年にドラフト6位で大阪近鉄へ入団し、2001年までプレー。04年から2年間は横浜(現・横浜DeNA)でコーチを務め、06年に新日本石油ENEOSで監督に就任する。08年に都市対抗優勝に導くと、12、13年は51年ぶりの都市対抗連覇を果たす。15年から慶大監督に就き、リーグ優勝2回。
●一塁手/西郷泰之(三菱ふそう川崎-Honda)
日本学園高から投手として、1991年に三菱自動車川崎へ入社。打者に転向すると、左右に打ち分ける巧みなバットコントロールで台頭し、95年には日本選手権初優勝に貢献する。この年から日本代表にも選出され、96年のアトランタ五輪ではチーム最高打率で銀メダル獲得の原動力となる。2000年には都市対抗で初優勝。以後、補強も含めれば、02、03、05、07年にも黒獅子旗を手にし、チームの活動休止でHondaに転籍した09年にも、13年ぶり2回目の都市対抗制覇を成し遂げる。都市対抗通算14本塁打、社会人ベストナイン6回は、ともに最多タイ。
●二塁手/工藤賢二(東芝)
栃木・葛生高(現・青藍泰斗高)から駒澤大を経て、1998年に東芝へ入社。堅実な守りと勝負強い打撃で名門のレギュラーとなり、99年に都市対抗で優勝を経験。プロ・アマ混成の日本代表にも選出され、五輪予選を兼ねたアジア選手権やインターコンチネンタルカップで活躍する。翌2000年には三菱自動車川崎に補強され、.542の高打率で初優勝に貢献。00、01年には日本選手権で準優勝している。04年に二塁手として最多タイとなる3回目の社会人ベストナインを手にし、コーチを務めた10年の都市対抗でも優勝。14年から4年間は監督を務めた。
●三塁手/若林重喜(日本石油=JX-ENEOS)
佐伯鶴城高では野村謙二郎(元・広島監督)と三遊間を組み、立正大を経て1989年に日本石油(現・JX-ENEOS)へ入社した。90年から4年連続で社会人ベストナインを獲得し、パンチ力と確実性を兼ね備えた打撃で91年には日本選手権初優勝に貢献。92年にはバルセロナ五輪で銅メダル、93、95年には都市対抗で優勝した。都市対抗4強の96年、日産自動車に補強され、9打席連続安打の大会新記録、首位打者賞に輝く打率.684で黒獅子旗を手にした98年にも社会人ベストナインに選出され、計6回は現在でも最多タイ。コーチ、監督を務め、2016年からは日本代表コーチ。
※遊撃手から指名打者はhttps://news.yahoo.co.jp/byline/yokoohirokazu/20190707-00133000/【平成ベストナインを選出――第90回都市対抗野球大会、日本野球連盟設立70周年記念祝賀会が開催される2】に掲載しています。