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【紫式部】わたしは人の集まりが苦手!現代人も思わず共感してしまう1女性としての素顔と天才の孤独とは?

原田ゆきひろ歴史・文化ライター

いま世の中を見わたせば、いつも皆と一緒が大好きな人もいれば、「飲み会とか〇〇会とか、気を遣う集まりは苦手だな」と思う人まで、本当に様々です。

そして今から1000年以上もの昔、紫式部と呼ばれた偉人も、性格は完全に後者でした。

“人が苦手”・・歴史の教科書に掲載されたり、大河ドラマの主役になったりするような彼女も、1人の女性として、実はこの事が大きな悩みでした。

それは一体、何故だったのでしょうか。この記事では、分かりやすい例えやエピソードを交え、お伝えして行きたいと思います。

おしゃべりより書物が好き!

もともと彼女は貴族“藤原氏”の一族で、“藤式部(とうのしきぶ)”と呼ばれていたと言います。

それだけ聞くと「おお、名門のエリートか!」などと思えてしまいますが・・同じ藤原氏でも境遇は様々。

頂点の栄華を極め、実質として日本を動かしていた“藤原道長”レベルから、日々の暮らしも不安な家系もあり、彼女の父は後者でした。

また当時の貴族は“世渡り”のスキルが極めて重要で、権力者に気に入られたり、人脈を築いてうまく立ち回れるかが、出世を左右しました。しかし父は不器用な性格で、その真逆。

学問には秀でて1流の教養はありながらも、なかなか良い地位にはありつけず、仕事をもらうのも一苦労。そんな血を“藤式部”もたっぷりと受け継いでいたのでした。

なお母は幼くして亡くなり、男手ひとつの環境で育てられたため、当時は男の学問とされていた漢字の読み書きを教わり、おかげで様々な書物を読み解ける知識を持っていました。

そのため黙々と書物を読み耽ったり、静かに物事を考えることが大好きな、文学少女となったのです。

反対に多くの女性は漢字が読めず、娯楽も少ない平安時代ですから、大きな楽しみといえばおしゃべり。

「○○さんって実は・・。」「○○様ってステキだわ〜!」といったウワサ話などが、大好物です。

しかし“藤式部”からすれば、それらはどこか薄っぺらい世界に思え、それなら深い話のできる特定の人か、ひとり書物の世界に親しむ方が、幸せと思えてしまうのでした。

あんな職場に行きたくないわ!

しかし“藤式部”の突出した教養は特別であり、ある日、「その才を活かして皇后に仕えぬか?」というオファーが来ます。そうなれば当然、大きな給料が貰えますから、父の収入が少ない一家にとっては大チャンス。

ただ宮中に行くとなれば大勢の女官と過ごしますから、本人は嫌がったのですが、説得されて勤めに行く事になりました。

ところが“藤式部”は和歌を読むのは得意でも、空気を読むのは大の苦手。

相手をおだてたり、オブラートに包んだ物言いはせず「それは違うのではないでしょうか」「それは○○に書かれてますから、とくに新しい話ではないですね」などなど・・。

正論や知識や、本質をついた言い回しをズバズバしてしまい、そのことが陰口やウワサ話の嵐に繋がってしまいます。

「“藤式部”ってホント、愛想ないわよね」

「あなた達とちがって頭がイイのよ〜っていうあの態度、腹たつわ〜!」

分からない場所で言うだけでなく、嫌味やいじめのような事もあったかも知れません。

“藤式部”はうつ状態になってしまい、現代に例えれば「もう会社に行きたくありません!」といった宣言をして、実家に逃げ帰ってしまったのでした。

ベストセラー作家になったけれど・・。

さて、“藤式部”はのちに“源氏物語”の作者として、当時の有名人となります。いちど職場を逃げ出した彼女でしたが、たびたび説得されるなどして、再び宮中へ。

お仕事の傍ら、執筆した源氏物語が口コミで広まると、たちまち大評判に。ついにはウワサを耳にした、天皇の手元にも渡りました。そして、それを読んだ一条天皇は言いました。

「この物語の作者は、たいへん深い知識がある。日本書紀に触れていなければできない表現も多く、じつに素晴らしい!」

とうじ紛れもなく日本の頂点たる“帝”に、ここまで褒められたのです。源氏物語の評判はますます上がり、とくに教養のある身分の高い貴族の間でも、認められて行きました。

一見するとイイ事づくめですが、しかし・・。

「“藤式部”って、いつもエラい方に取り入って、鼻につくわ!」

例えば現代、1女性社員が難しい科学や哲学の知識が豊富・・あるいは“10ヶ国語を話せる”などのスキルがあり、社長や役員が「おお〜、キミは本当に有能だなあ!」などと特別視されれば、嫉妬や羨望がうずまくといった構図です。

あるいは・・

「源氏物語の作者って、どんなステキな方かと思えば、ずいぶん地味ね。」

「愛想もないし、ガッカリだわ・・。」

もちろん本人は悪くないのですが、有名人となったことで、人々の興味や関心が集中。やたら観察され、勝手に落胆されるというのも、辛いものです。

藤式部「わたし、ゆっくり物語が書きたいので、実家に帰ります!」

こうして再び、宮中から逃げ帰ってしまったのでした。

こんな飲み会イヤ、はやく帰りたいわ!

この様に紆余曲折はありましたが、しかし高位の貴族に認められた事実は大きく、再び説得されて宮中へ戻ると、大事な儀式の役目や、その記録係を任されるなど、当時トップレベルの人物達にも、極めて近しい立場となって行きました。

そしてある日、天皇の子ども誕生を祝う“宴”に列席していた、“藤式部”。

貴族達はみんな酔っぱらって、かなりハメを外した雰囲気となって行きました。

そうした中、源氏物語の話題が出ると、会場は大盛り上がり。しかも「この場に、その作者がいるらしい」という話になると、ある貴族は言いました。

「わたしの愛しい、愛しい“紫さん”はどこかな〜?」

「あっはっは!」

「おおー“紫どの”、はよう出てきてたもれ〜!」

“紫”というのは、源氏物語のヒロイン名ですが、ただでさえ人見知りな“藤式部”は恥ずかしさのあまり、几帳の後ろに身を隠してしまいました。

作者が、じぶんの書いた物語の、登場人物で呼ばれると恥ずかしいのか?

これは現在でも人によるかも知れませんが、いま流行りの“鬼滅の刃”に例えれば、作者の方が「ねずこちゃん、出てきてー!」と言われているような感覚でしょうか。

ちなみにこの前後から、“藤式部”は“紫式部”という名で呼ばれ、それが定着したと言います。

・・話は戻り。彼女が身を隠していると、そこを権力者の最高峰、藤原道長が見つけに来ました。

「んん〜、何をしておる?我らの宴が不満かね?」

紫式部「い、いえ。決してそのような!」

紫式部の目線で見れば、想像しただけで肝が冷えそうなシチュエーションです。

道長「ふむ・・。では、今この宴にふさわしい和歌を詠めたならば、許してやろう」

普通であれば、とてつもない無茶ぶりに思えますが、そこは紫式部。

いかにいかが 数えやるべき 八千歳(やちとせ)の あまり久しき 君が御代をば

道長「うむ、これは見事!若宮さまも、お喜びになろう!」

もしかすると意地悪でなく、はじめから紫式部を立てる行動だったのかも知れませんが・・いずれにしても、ずば抜けた教養に身を救われました。

これを機に、紫式部はさらに色々な人物から、認められていく事になりました。

紫式部の素顔

ここまで、ややネガティブなエピソードにフォーカスしてしまいましたが、歴史上の偉人たる紫式部も「自分と似ているところがあるかも」「可愛らしい」など、シンパシーを感じる部分があれば、幸いです。

もちろんこれは、彼女を語るほんの一部でしかなく、その人生は他にも様々な出来事にあふれています。

2024年の大河ドラマ「光る君へ」においても、その生涯がどのように描かれるのか?今からとても、楽しみです。

歴史・文化ライター

■東京都在住■文化・歴史ライター/取材記者■社会福祉士■古今東西のあらゆる人・モノ・コトを読み解き、分かりやすい表現で書き綴る。趣味は環境音や、世界中の音楽データを集めて聴くこと。■著書『アマゾン川が教えてくれた人生を面白く過ごすための10の人生観』

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