優しい人達に囲まれて、重賞初騎乗を果たした女性新人騎手のこれまでとこれから
動物に囲まれて育った幼少時
9月3日に行われた新潟記念(GⅢ)。ここで重賞初騎乗を果たしたのが小林美駒騎手だ。
2005年3月19日生まれの18歳。生まれ故郷の新潟県西区市で2人の兄と共に育てられた。
「お腹の中にいる頃から活発だったそうで、母はてっきり男の子が生まれてくると思ったそうです」
実家には犬や猫が合わせて5~10匹は常にいた。
「そんな家庭だったので、物心がついた時には動物が好きでした」
更に両親が共に競馬好きで、母に至っては新潟競馬場で働いていたため、幼い頃から競馬場へ出入りしていた。
「母が働いている間、兄や父と触れあいポニーで遊んでいました」
乗馬を始め、騎手に
小学5年生になると、乗馬を始めた。
「将来は誘導馬に乗る仕事をしたいと思っていたけど、2歳上の兄と同い年に永野猛蔵先輩(現騎手)がいた事から、中学2年になる頃には“騎手”を考えるようになりました」
乗馬センターやジムへの送り迎えを交互にしてくれた両親からは、全く反対される事もなく、中学3年で競馬学校を受験すると、合格。入学後、最初の1週間ほどは「犬や猫に合いたい」と思ったそうだが、慣れて来ると「面白くないとか苦しいとかはなく、楽しめた」という。そして、その理由の一つとして、教官も皆、優しく接してくれた事を挙げた。
「とくに横山賀一教官が常に心配してくださる感じでサポートしていただけました」
元騎手の彼は、横山典弘の兄であり、和生や武史の伯父。そんな縁もあったためか、配属先の厩舎は横山武史と同じ、鈴木伸尋となった。そんな師匠に対し、小林は、次のように語る。
「第一印象は正直、怖いと感じました。でも、犬の話とかをしてくれて、すぐに優しい先生だと気付きました。技術面に関しては、兄弟子の津村(明秀騎手)さんや武史さんに聞くように言われ、先生から口を出された事はありません。ただ、普段の生活態度等は、優しくも厳しく指導してくださいます」
デビュー、そして両親の前で故郷に錦を飾る
23年3月にデビューすると、彼等のサポート態勢は更に強まった。
「デビュー戦は検量やパドックでの流れとか、津村さん、武史さんら先輩方が教えてくださり、緊張感が解け、楽しく乗れました」
また、デビュー日に乗った2戦目は鈴木伸尋が用意したクリーンドリーム。ゴール寸前でかわされたものの、一度は抜け出す形で3着に健闘。約1カ月後にあげた初勝利のアシャカタカもまた、自厩舎の馬だった。
「その前のレースでも騎乗させていただいたのですが、自分の技術不足で負けていました。乗り替わりでもおかしくないのに、また乗せてくださり、勝てたので、本当に嬉しかったし、ありがたく感じました」
夜、両親に電話で連絡し、喜ぶ声を耳にすると、関係者への感謝の思いは更に強くなった。
8月には12、13日と新潟で勝利。故郷に錦を飾った。
「実は新潟では上の兄が誘導馬に乗っているんです。丁度、親も見に来てくれていて、そこで勝てたのが良かったです」
重賞初騎乗
そんな新潟での開催も終盤にさしかかったある日、エージェントから「重賞に乗れるかも?」という話が入った。
「最初は『本当?』という思いでした。でも、すぐに中野栄治先生から電話が入り、本当に依頼していただけました」
それが新潟記念のイーサンパンサーで、小林は初めての重賞騎乗を果たした。
「重賞はやはり雰囲気が違いました。そこに立てるだけで嬉しかったし、将来的には常にこういう舞台で乗れる騎手にならないといけないと感じました」
そして、実際の初騎乗に関して、次のように続けた。
「レース前は緊張していると感じたけど、師匠や先輩方が声をかけてくださった事もあり、跨ったら意外と普段通りの気持ちで乗れました。ただ、結果を出せなかった(13着)ので、反省材料も沢山ありました。この経験を今後に活かすように頑張ります!!」
新潟で騎乗した後は、実家で一泊した後、美浦に戻るのがルーティンとなった。その日は、現在、長野に単身赴任をしている父親も、家に戻り、一家団欒のひと時を過ごすという。
「父は常に優しくて、とくに何か言われる事はありません。母からは『いつも笑顔でいなさい』と言われます。家に帰った時は競馬の話はほとんどせず、何という事はない普通の会話をしていますが、お陰で良い精神状態で美浦へ戻る事が出来ます」
優しい人達に囲まれて、親孝行をする女性ジョッキー。彼女の、今後に更に注目したい。
(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)