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TPPの交渉力

田中良紹ジャーナリスト

自民党は安倍政権のTPP(環太平洋連携協定)交渉参加を当初からの筋書き通りに容認した。選挙前には反対のような顔をして農村票を獲得し、選挙に勝てば色々と言いつくろって既成事実化する。自民党の得意技である。

自民党の反対派はコメなどの重要品目と国民皆保険制度を「聖域」扱いするよう要求し、「聖域を確保できないと判断した場合には脱退も辞さないものとする」との決議文を作成したが茶番である。アメリカに追随しなければ生きていけない安倍政権が交渉から脱退する事などありえない。

前にも「保守化ではなく従属化」に書いたが、安倍政権は日本の伝統的価値観を守る政権というより、日本の伝統的価値観を作り替えようとするアメリカに従属する政権である。選挙公約で尖閣諸島への公務員の常駐化を掲げて保守層の票を集めたが、アメリカの国益に反すると言われればあっさり国民との約束を反故にした。

初の日米首脳会談ではアメリカに最大限の譲歩をして交渉に「聖域」があるかのようなリップサービスをしてもらい、それを材料に国内の反対派を抑え、交渉参加への道を拓いた。しかしアメリカは全く「聖域」を保証していない。すべては交渉をやってみなければ分からない仕組みで、交渉力がなければ「聖域」は守れないのである。

それでは交渉力とは何か。拒否する力を持つ事である。ところが領土問題の解決を自力で図るのではなく日米同盟の強化に頼る政権がTPPでアメリカと対等に交渉できる筈がない。日米同盟を言ったとたんに日本はアメリカに対して弱い立場になる。首脳会談の様子を見ても交渉は始まる前から押されっぱなしで、それをそうでないように見せかけるパフォーマンスだけが健在である。確かに自民党はメディアを巻き込んだ嘘のつき方が民主党より上手い。

自民党がコメなどの重要品目と国民皆保険制度を「聖域」としたために、そこだけに注目が集まるが、かつての沖縄返還交渉で日本が「核抜き」ばかりに注目し、米軍基地の半永久的固定化を許した苦い前例がある。今回もアメリカが「聖域」で譲歩をしたように見せかけて、気が付けばより大きな国益を奪われる事もありうる。アメリカとの交渉は一筋縄ではいかない。

そもそも「聖域」に目を奪われてTPPとは何かを考えないと大きな間違いを起こす。TPPはただの自由貿易協定ではない。自由貿易なら韓国のようにアメリカとFTA(自由貿易協定)を結べば良い。民主党は09年の総選挙でアメリカとのFTA締結をマニフェストに掲げたがアメリカは消極的で、冷戦後の自民党政権に突きつけてきた「年次改革要望書」に代わるTPPを要求してきた。

菅総理はTPPの受け入れを「第三の開国」と宣言したが、そこにTPPの本質がある。第一の開国は幕末のペリー来航で、戦争をちらつかせて日本に開国を迫った。第二の開国はGHQによる占領支配で、アメリカの軍人たちが日本改造に着手した。そして第三がTPPなのである。

ペリー以来アメリカは脅せば日本人は思い通りになると考えている。しかし冷戦の間だけは日本をソ連側に追いやることの出来ない弱みがアメリカにあり、日本の経済発展にアメリカは協力せざるを得なかった。冷戦が終わればその必要はなくなる。冷戦中に日本がアメリカの軍事力に「タダ乗り」して貯め込んだ金を返却してもらおうとアメリカは考える。

ペリーのように大砲を向ける野蛮な「脅し」ではなく、中国、北朝鮮の脅威を煽ってアメリカの軍事力に頼らなければ生きていけないと思わせるソフトな「脅し」が始まった。こうした情報操作をハーバード大学のジョセフ・ナイは「ソフト・パワー」と表現する。従ってTPPの目的は日本をソフトに「脅し」て国の仕組みを変えることにある。何のために。間もなく経済力でアメリカを抜き去ろうとする中国の国家資本主義を改造するためである。

日本は小泉政権が簡単にアメリカの言いなりになったが中国は簡単ではない。この国を変えるには包囲網を作って「封じ込め」、アメリカと同じ土俵に取り込む必要がある。そのための道具として日本のTPP参加はある。日本をアメリカ並みに改造する先に中国の改造を目論んでいるのである。

日本が国益を守るにはどうするか。反対勢力を強化するしかない。民主主義国であるアメリカは国民の声を無視する事はしない。国民の反対が強ければ譲歩する国である。それを巧みに利用したのが冷戦時代の自民党であった。社会党に反対させてアメリカの要求をかわしてきた。「選挙で社会党の議席を激減させればむしろ国益は守れない」と自民党は考えていた。

この巧みな政治技術を無視して野党の議席を激減させたのが中曽根、小泉の二人の総理である。巨大与党を誕生させて得意満面になった。すると中曽根総理はアメリカからコメ輸入自由化を突きつけられ、小泉総理は国民の金融資産をアメリカに呑み込まれそうになった。

1986年の衆参ダブル選挙に大勝利を収めた中曽根総理が「わが自民党は都市の若者にも支持を広げた」と演説した途端、アメリカはそれまで封印してきたコメの自由化を強硬に要求し始めた。結果、日本政府は一定量のコメ輸入を認めさせられ、農家に巨額の補助金を払う事になって財政負担を増大させた。すべてはコメ輸入反対勢力が弱くなったとアメリカから見られたためでる。

日米同盟強化にすがる安倍政権が強い交渉力を持つ事は難しいが、日本が国益を守ろうとするならば決して反対勢力を弱体化させてはならない。自民党内反対派が交渉参加を容認したのであれば、野党の反対派を増強する必要がある。夏の参議院選挙で安倍自民党が大勝するようなことになれば、かつて中曽根政権が巨大与党になったばかりにコメ自由化を突きつけられたように日本の交渉力は弱体化する。

ジャーナリスト

1969年TBS入社。ドキュメンタリー・ディレクターや放送記者としてロッキード事件、田中角栄、日米摩擦などを取材。90年 米国の政治専門テレビC-SPANの配給権を取得。日本に米議会情報を紹介しながら国会の映像公開を提案。98年CS放送で「国会TV」を開局。07年退職し現在はブログ執筆と政治塾を主宰■オンライン「田中塾」の次回日時:11月24日(日)午後3時から4時半まで。パソコンかスマホでご覧いただけます。世界と日本の政治の動きを講義し、皆様からの質問を受け付けます。参加ご希望の方は https://bit.ly/2WUhRgg までお申し込みください。

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