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21世紀枠候補出そろったセンバツの話題先取り(その3) なるか、石川の"逆襲"

楊順行スポーツライター
昨年優勝の大阪桐蔭も出場が確実。史上3校目の春連覇がかかる(写真:岡沢克郎/アフロ)

 高校野球で石川県といえば星稜、金沢、遊学館……といった常連校で知られる。ことに星稜は、1979年夏の延長18回引き分け再試合といい、92年夏の松井秀喜5敬遠といい、球史に大きな足跡を残してきたチームだ。ただその石川勢、センバツに限っては2004年を最後に勝ち星がない。これは最後の白星が00年の佐賀に次ぎ、白星ブランクでいうと47都道府県中ワースト2位。最後のセンバツ出場は11年の金沢で、これも07年の佐賀(小城)に次ぐ長期ブランク2位だ。

 つまり石川県勢、近年のセンバツではとんと元気がないのだが、来春はちょっと楽しみである。昨秋の北信越大会では、日本航空石川と星稜の石川両校が決勝に進出。94年以来2度目の、県勢アベック出場が濃厚なのだ。

 夏の甲子園にも出場した日本航空石川はそもそも、「打のチームと想定してチームづくりを進めてきた」(中村隆監督)。原田竜聖、上田優弥、長谷川拳伸、小板慎之助と夏の甲子園経験者がずらりと主軸に並び、秋の石川県大会では決勝の9得点を除き、4試合で二ケタ得点を記録した。チーム打率はなんと.459で、好投手のそろう北信越大会でも、1試合平均7得点をたたき出している。

 中心が、四番に座る上田。石川大会では、19打数13安打10打点3ホーマーで6割8分4厘という驚異的な打率を残し、

「試合中でも、グラウンド整備のときなどについ、計算しちゃうんです」

 という。北信越大会でも4試合で15打数7安打6打点、神宮大会2試合で9打数5安打と、ヒットを量産しながらも、打率は下がってしまった計算だ。185センチ97キロの大きな体で、旧チームでも四番。甲子園では木更津総合との1回戦、3点差を追いついた9回2死から、「あれは、おいしいところを持っていきましたね」と決勝の適時打を放っている。実は、その夏は調子が悪かった。視線のぶれをなくそうと、5月から取り組んだノーステップ打法がなかなかモノにならなかったのだ。新チームでは、そのノーステップを封印。すると「もともと、打つ能力が高い子」(中村監督)は感覚を取り戻し、秋のヒット量産につなげている。

 ヤング神戸須磨クラブの出身。やはり同クラブOBの中村監督が見学に行ったとき、左打席からレフト方向にとてつもない当たりを飛ばす選手がいた。それが上田だった。けた外れの飛距離は高校でも健在で、スクワットをすればチームトップ級の145キロというパワーも備え、通算ホームランは20本を優に超える。

 そして秋の段階では、「投手陣にも、高い評価を与えられます」と中村監督。なにしろ、北信越の4試合で失点はわずか3だ。初戦は直前に登録された1年生右腕・重吉翼が高岡商を2安打で完封し、日本文理戦は夏の甲子園でマウンドを踏んだ大橋修人が自責0の実質完封。決勝では先発左腕・杉本壮志が先発し、3人の継投で零封と、県大会決勝で敗れた星稜にリベンジしている。

星稜の1年生エース・奥川に注目!

 雨による不規則な日程もあり、決勝こそ航空石川に大敗したものの、星稜も力のあるチームだ。秋の石川大会途中では、16年夏に甲子園のマウンドを経験し、旧チームでもエースで三番を打った竹谷理央主将が右有鉤骨を痛めて手術。「主力2人が抜けたくらいの穴」と林和成監督の嘆くピンチだったが、北信越大会では救世主が現れた。1年生エース・奥川恭伸が北陸との初戦、富山国際大付との準決勝を完封(7回)と、急成長を見せたのだ。

 圧巻は、富山国際大付との準決勝だ。初回、直球が146キロと自己最速を計時すると、7回を3安打7三振。初戦に続く完封には、「1年生離れしている。ピッチングが上手です」と林監督も絶賛するしかない。とにかく、ギアの入れどころを心得ている。打者を追い込むまでは八分程度の力で投げ、本人が「決め球」という直球だけ全力投球という燃費のよさ。かほく市の宇ノ気中時代、全国中学校軟式大会で優勝したキャリアのなせるわざか。連投だった準々決勝では打ち込まれるなど課題が見えたが、「この冬、どれだけ頑張るかでこれから先が決まってくる」と、奥川の志は高い。

 日本航空石川との決勝は大敗したが、「石川から2校出られれば、冬の間に切磋琢磨できる」と、竹谷主将は前向き。日本航空石川と星稜。県勢7年ぶりの出場、そして14年ぶりのセンバツ勝利だけではなく、上位進出さえ楽しみなアベック出場が濃厚だ。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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