【大河ドラマ鎌倉殿の13人】承久の乱 連戦連勝の幕府軍 しかし北条義時が不安に思った意外な理由
承久3年(1221)6月8日の夜、鎌倉の北条義時の屋敷を悲劇が襲います。屋敷の台所に落雷があったのです。落雷だけで済んだならば良かったのですが、残念ながら、義時の屋敷にいた使用人が雷に打たれて、亡くなってしまいます。
落雷と使用人の死。この事を「怖畏」(『吾妻鏡』)、大いに怖がったのが、屋敷の主人、つまり義時でした。義時はこの出来事があってすぐ、大江広元を呼んで、言いました。
「我が子・北条泰時の上洛は、朝廷を傾けるためのもの。そのような最中に、今回のような怪事があった。もしやこれは、我が運命が縮ってしまう兆しではないか」と。
義時は別に雷自体が怖かったわけではないのです。承久の乱が勃発し、官軍を破るため、鎌倉幕府軍を派遣している最中に、屋敷への落雷、それに伴う使用人の死去という災いが起きたため、天罰のようなものが下るのではと恐れたのでした。
不安な面持ちの義時を前に、広元は言います。「君主や家臣の運命は、全て天地の手中にあるのです。今回の出来事(官軍を討つため、幕軍を派遣)の是非は、天道を仰いでの決断。よって、恐れるには及びませぬ。また、今回の落雷は、関東にとって吉兆と思われます。かつて、源頼朝様が、奥州の藤原泰衡を征伐の際、奥州の軍陣にて、落雷がありました(奥州征伐は、頼朝側の勝利に終わる)。その先例により、今回の出来事が吉兆なのは明らかではありますが、やはり占いをさせましょう」と。
早速、陰陽師による占いがあり、落雷は「最吉」と出ました。この結果を聞いた義時の感想は『吾妻鏡』には記されていませんが、大いに安心したのではないでしょうか。