台風12号が西進して西日本へ、福井豪雨後に西進した台風10号との比較
台風12号が西進
2つの台風が接近して存在しているときには、「藤原の効果」と呼ばれる相互干渉が起きやすくなりますが、この「藤原の効果」は、台風どうしだけではなく、台風と上層に現われる冷たい低気圧との間でも起きることがあります。
気象衛星「ひまわり」の水蒸気画像では、四国の南海上に上層の冷たい低気圧による水蒸気の少ない渦があります。また、関東の南東海上には、北上中の台風12号による水蒸気の多い渦があります(図1)。
台風12号は、日本付近に南下してきた上層の冷たい低気圧の影響で、進路を次第に西寄りに変え東日本に接近し、その後、西日本にも影響をあたえる見込みです(図2)。
つまり、上層の冷たい低気圧による渦と、北上中の台風12号の渦がお互いに影響をし、上層の冷たい低気圧の周りをまわるように、台風12号が北上のち西進するという予報となっていますが、このように2つの渦が影響をするときは、台風の進路予報が難しいときです。
台風12号が東海地方に接近したあとは、速度が少し遅くなりますので、強い雨の期間が長引き、西日本では大雨の危険があります。厳重な警戒が必要です。
平成16年(2004年)の福井豪雨直後に本州南岸を西進した台風10号は、動きが遅いこともあって関東から四国で大雨を降らせました。
福井豪雨と台風10号
平成16年(2004年)の梅雨末期は、梅雨前線が活発となって、7月13日には気象庁が「新潟・福島豪雨」と命名するほどの豪雨によって新潟県や福島県で甚大な被害が発生しています。
その5日後、7月18日にも気象庁が「福井豪雨」と命名するほどの豪雨が発生しています。福井市の中心部を流れる足羽川左岸の堤防が決壊するなど、甚大な被害が発生していました。このとき、筆者は福井地方台長でしたが、足羽川の右岸にある福井地方気象台も床上浸水をしました(観測や予報、情報提供は普段通りでできました)。
福井豪雨から10日後、台風10号が八丈島付近から北上し、本州南岸を西進して高知県西部に上陸しました(図3)。
台風10号の接近により、29日は関東を中心に雨となり、日降水量は100ミリを超えています。翌30日は、台風10号の雨雲がかかった関東から紀伊半島では断続的に激しい雨となり、奈良県では日降水量が300ミリを超えました。
台風10号は31日16時すぎに高知県西部に上陸し、その後、21時半頃に山口県岩国市付近に再上陸しましたが、台風はその頃から動きが少し遅くなったため、31日の日降水量が500ミリを超えたところがありました。
台風通過後の8月1日から2日も、四国地方には発達した雨雲が流入し続け、高知県や愛媛県では1時間に100ミリ以上の雨が降り、徳島県上那賀町(現在の那賀町)海川で8月1日に日降水量1317ミリを観測しました。
このため、山崩れや土砂災害が相次ぎ、西日本を中心に大きな被害が発生しました。
ボランティア向けの台風情報
台風10号が本州の南岸を西進していた7月29日の昼頃、福井地方気象台がボランティア向けに台風情報を作成しました(図4)。
これは、福井県から福井地方気象台への要請で作成したもので、コピーが各避難所に貼られました。
当時、福井豪雨被害者のために万単位のボランティアが被災地で活動をしていましたが、その多くは名古屋をはじめとする東海地方からきていました。このため、「台風10号が東海地方に接近するのではないか」という心配をかけたくないという福井県の配慮からでした。
つまり、この台風情報は、台風が接近するので警戒という意味で作ったのではなく、東海地方には影響がない、何かあったら情報を適宜提供するという意味で作ったものです。
福井豪雨が発生した7月18日にはボランティア本部が立ち上がり、その中にすばやく行政機関が入って効果的に活動をおこなっています。福井方式と呼ばれる優れたボランティア活動を垣間見た感じがしました。
平成16年の台風10号と平成30年の台風12号
日本付近を台風が西進するときは、東進するときに比べて、台風の進行速度は速くありませんので、平成16年(2004年)の台風10号のように、降雨期間が長くなりがちです。
平成30年の台風12号も東海から西日本に上陸したあとは速度が落ちる予報となっていますので、降雨期間が長くなることでの大雨に厳重な警戒が必要です。
さらに、日本の南海上には発達した積乱雲の塊がいくつも存在します。 平成16年(2004年)の台風10号の通過後のように、台風12号の通過後も局地的な大雨の可能性もあります。
今後の台風情報や気象情報に十分な警戒が必要です。
タイトル画像、図1の出典:ウェザーマップ提供。
図2の出典:気象庁ホームページ。
図3、図4の出典:気象庁資料。