55年体制が復活したのか?「政治とカネ」の与野党攻防に見る万年野党の姿
2024年度予算案は3月2日に衆議院を通過して参議院に送付された。これで憲法の規定により3月末までの年度内成立が確実になった。
この通常国会を自民党の「政治とカネ」を追及する「政治改革国会」と位置付けた野党は、冒頭から予算委員会の集中審議を要求し、総理の施政方針演説を遅らせて、予算の年度内成立を阻止する構えを見せた。それが最後は腰砕けの形になった。
今回の裏金事件は「令和版リクルート事件」と呼ばれ、昭和から平成にかけて起きたリクルート事件と比較される。昭和から平成にかけて起きたリクルート事件ではリクルート社から未公開株の譲渡を受けた議員たちが軒並み役職を辞任したが、検察が立件したのは自民党の藤波孝生議員と公明党の池田克也議員の2名だけで、いずれも在宅起訴され所属政党を離党した。
しかし野党の審議拒否によって予算は5月に入っても成立せず、外務省が海外からの賓客を断るなどの混乱が起き、そのため竹下総理は予算の成立と引き換えに退陣した。もし野党の目的が岸田総理の退陣だったなら、今回の野党の対応は「令和版リクルート事件」の名に値しない。
私は国会の冒頭で施政方針演説の前に「政治とカネ」の集中審議が行われた時から、野党第一党の立憲民主党と岸田政権は水面下で連携しているのではないかと疑っていた。だから『この通常国会を「政治とカネ」が焦点の「政治改革国会」と位置付ける愚かさ』とブログに書いた。
そこが私の見方と新聞・テレビ報道の違うところだ。私は岸田政権誕生以来、岸田総理の最大の敵は自民党最大派閥を擁する安倍晋三氏と見ていた。なぜなら安倍氏は自分が総理に再選される野望を抱いていたからだ。
2人の対立軸は経済では積極財政の安倍氏に対し岸田総理は緊縮財政、外交では対米従属では共通するが親台湾派の安倍氏に対し岸田総理は宏池会の伝統から親中国派である。私が注目したのは、安倍派が自民党と内閣の要職を占める中、外交・防衛分野の人事だった。
岸田総理は就任するや外務大臣を茂木敏充氏から自民党きっての親中派である林芳正氏に交代させた。しかも直後に衆議院を解散して選挙を行い、林氏を参議院から衆議院に鞍替えさせた。これは地元で親の代から林氏と敵対する安倍氏に対する明白なる宣戦布告である。
これに対し安倍氏は台湾のシンクタンクの討論会に参加し、「台湾有事は日本有事」と発言して中国を怒らせた。防衛大臣は安倍氏の実弟の岸信夫氏である。岸田総理は防衛大臣の反対を押し切って安倍氏の腹心である防衛事務次官を退職させた。
それが2年前の参議院選挙直前の出来事である。私は参院選後に両者による壮絶なバトルの始まりを予想したが、安倍氏は選挙戦の最中に銃撃されて帰らぬ人となり、様相は一変した。
新聞とテレビは、安倍派に引きずられ煮え切らぬ態度の岸田総理を批判するだけで、こうした底流の動きに注目しない。政権運営上岸田総理は最大派閥と敵対する訳にはいかない。敵対すればすぐに権力の座を追われる。岸田総理は森喜朗氏に接近し、安倍派に会長が生まれないようにするのがせいぜいだ。
22年2月に始まるウクライナ戦争を西側メディアはプーチンの侵略戦争と断定するが、実態は米国を中心とするG7諸国と、中露を中心とするBRICSなど新興国の戦いである。23年のG7議長国日本は欧米と協力せざるを得ない。
そのためG7各国と協調して台湾側に立つ岸田政権に中国は厳しい態度を取り、日中国交回復50年の節目の年に首脳会談に応じない姿勢を見せた。すると岸田総理は防衛大臣を岸氏から浜田靖一氏に交代させ、中国側を喜ばせて習近平国家主席との首脳会談が実現した。
23年夏に東京地検特捜部は、洋上風力発電を巡る贈収賄事件で河野太郎デジタル担当大臣の右腕と言われる秋本真利衆議院議員を逮捕した。河野氏は岸田総理にとり総裁選での最大のライバルだ。しかもこの摘発は再生エネルギーに力を入れる菅義偉前総理の影響力をも奪うことになる。
私はこの時から特捜部が岸田総理の意向を忖度し、障害になる勢力を一掃しようと動き出した可能性を感じた。そして出てきたのが自民党派閥の裏金事件である。裏金の還流は20年以上も前に作られた仕組みで、特に安倍派では組織ぐるみでそれが継続されてきた。
仕組みを作ったのは1998年に派閥の会長に就任した森喜朗氏と言われる。政倫審で私の興味を引いたのは、二階派の武田良太氏が「25年前に作られた仕組みで二階会長も私もあずかり知らない」と発言したことだ。そうだとすると当時の会長は村上正邦参議院議員である。
村上氏は森喜朗氏を総理に選んだ「密室の5人」の一人で、当時は両者とも派閥の会長同士だったから派閥のパーティで集めた金を裏金化する仕組みを互いに真似し合った可能性がある。
私は今回の事件の特異性を、安倍派の所属議員がおかしいと思いながら派閥の意向に唯々諾々と従ったところにあると思っている。従って裏金を受け取った議員にも問題はあるが、仕組みを作りそれを強制した側に最大の責任がある。受け取った議員は犠牲者かもしれない。そして裏金化の目的が何だったのかは今も分からない。
仕組みを作ったのが20年以上も前で、検察としては立件できない話だったから森氏は摘発を免れた。だが法的責任はなくとも政治的道義的責任はある。それは国会が追及し何が目的だったのかを解明しなければならない。
この事件をおかしいと思っている議員は自民党にも公明党にもいるはずだ。野党が「政治改革」の実現を目標に掲げるなら、岸田政権を退陣に追い込むより、森氏の追及に照準を合わせ、森氏を守ろうとする安倍派の追及から始めるべきだ。
ところが野党はこれを岸田総理を退陣に追い込む材料に使おうとした。予算の年度内成立を阻止し、国政を機能不全に陥らせるのである。それが分かっているから岸田総理は施政方針演説で10分間も能登地震について演説した。「政治とカネ」に触れたのはわずか2分だった。
能登地震からの復興が連日報道される中、予算の年度内成立を阻止することは難しい。ところが立憲民主党はそれでも年度内成立阻止の日程闘争にこだわった。朝日新聞が盛山文科大臣と旧統一教会の関係を記事にすると、それが旧統一教会による岸田政権潰しのリークであることを知りながら、不信任決議案を国会に提出して審議時間を空費させた。
しかしそれで維新は反対に回る。野党の結束がバラバラになれば予算の年度内成立が阻止できないのは自明の理だ。「政治とカネ」の国民世論で岸田政権の支持率低下だけを頼りに立憲民主党は大衆迎合型政治に陥っていった。
立憲民主党は岸田政権を批判して何を勝ち取ろうとしたのだろうか。政権交代を勝ち取るなら他の野党とバラバラになることはやめなければならない。岸田総理を引きずり降ろすだけなら、次期政権を自民党の誰に託そうというのだろう。
清新な後継者が現れれば政権交代は遠ざかることになる。むしろ岸田総理に続投し続けてもらう方が得策だ。私は立憲民主党の真意を図りかね、国民の怒りに応えるポーズをとれば支持率は上がると考える安直なポピュリズム政治に見えた。
そうした中で岸田総理はこの事件を自身の権力強化に利用していく。まず派閥の解消を打ち出し最大派閥の安倍派解体を実現した。これには菅氏と小泉進次郎氏が協力した。二階俊博氏も協力者かもしれない。しかしこれに麻生太郎氏と茂木敏充氏が反発し、まだその余韻は収まっていない。
党内調整をやらない麻生、茂木氏にしびれを切らし、岸田総理は自らが政倫審に完全公開の形で出席し、後ろ向きだった安倍派幹部を政倫審の場に引きずり出した。安倍派幹部が「知らぬ、存ぜぬ」を言うのは予定通りで、それで国民が怒れば森氏へと追及の矛先が向かうことになる。
そして小野寺五典予算委員長に職権で予算委員会の締めくくり質疑を決めさせ、予算の年度内成立を図る。これに立憲民主党は猛反発し、1日の本会議で小野寺委員長の解任決議案や鈴木俊一財務大臣の不信任決議案を提出して抵抗した。
小野寺委員長解任決議案の趣旨弁明を行った山井和則議員は、憲政史上最長となる2時間54分の長演説を行って議事進行を遅らせたが、それは岸田政権への打撃にならず、むしろ野党間の足並みを乱れさせた。
昔の社会党なら、そこから徹夜国会に突入し、採決では牛歩戦術を行って2日中の衆院通過を阻止したところだ。それによって年度内成立ができなければ、成立を遅らせた野党も批判されるが、それより岸田政権の権力が万全でないことが証明され、岸田政権は各方面から評価されなくなる。
ところが山井議員の演説の後、小野寺委員長の解任決議案は維新も反対に回って否決され、その後は普通に政倫審が再開された。そして塩谷、高木両氏の「何も知りませんでした」という弁明を聞かされた後、再び本会議で鈴木財務大臣の不信任決議案の採決が行われ、こちらは維新だけでなく国民民主党も反対して否決された。
翌2日の土曜日は朝から衆議院予算委員会で締めくくり質疑が行われ、立憲民主党の議員たちは口々に岸田総理を批判したが、その一方で国対委員長会談が行われ、立憲民主党の安住国対委員長は自民党の浜田国対委員長と2日中の衆議院通過に合意した。「与野党激突」を演ずるパフォーマンスはわずか1日で終わった。
安住氏は「取るものは取った」と成果を強調したが、それは4月以降「政治改革特別委員会」を設置すること、予算成立後に衆参予算委員会で集中審議を行うこと、政治とカネの問題で参考人招致を協議することを約束したという。
ここでも自民党の国対委員長が安倍派の高木氏から無派閥の浜田氏に交代したことが功を奏している。日中首脳会談の実現と予算の年度内成立で浜田氏は2度岸田総理の窮地を救った。私の見るところ与野党の合意は岸田総理にとってまったく悪くはない。安倍派の裏金作りの目的が解明に近づくことになる。
それにしても一連の動きを見て私は55年体制の野党を思い出した。強硬に反対を叫ぶ時は最後は与党の思い通りになる時である。強硬に反対することで支持者を喜ばせ、最後は力尽きたと言えば支持者は許してくれる。それが政権交代のない時代の野党の姿だった。
だから取材する側の我々は野党が強硬に反対を言えば言うほど与党の思い通りになると判断していた。強硬に反対することは権力を奪わないところに身を置いていれば可能である。しかし権力を奪おうとすれば綺麗ごとは言っていられない。明日は我が身だから、現実的な判断をしなければならない。
それは国民から評価されない恐れがある。国民は理想論や綺麗ごとが好きで、与党批判を過激にやらないと評価してくれない。しかし本気で政権交代を狙うならいつまでも綺麗ごとに終始してはいられない。
「政治とカネ」で必ず言われるのが規制や罰則の強化である。それが正義だと考える国民が多い。しかし私は性悪説を信ずる方で、必ず人間は抜け道を作ると考えている。それよりも正直にカネの「入りと出」を公開すれば何の罰則も科さず、あとは選挙で有権者が判断すれば良いと考えている。
それで悪い政治家がはびこるならそれはそれで構わない。国民に相応しい政治家しか出てこないのが民主主義で、それよりも55年体制のように国民を騙す綺麗ごとが横行する政治の方が怖ろしい。
55年体制は野党が政権交代を狙わず、万年野党を自覚していたから、強硬な反対を主張できた。この通常国会ではそれに近いものを立憲民主党に感じた。杞憂に終われば良いとそれを願う。