3年ぶり開催の京都の時代祭!今年の見所とは?
時代祭の始まりは意外に新しい。明治時代となって天皇が東京へ移ると、京都の人口は減少し、衰退の危機感が強まった。そのため、活性化を狙った事業が次々と行われ、明治28(1895)年に「第4回内国勧業博覧会」が催され、紀念殿として平安神宮が建設された。
ちょうど平安遷都1100年を祝う年にあたり、奉祝行事として遷都が行われた10月22日に、幕末維新から平安時代までの風俗時代行列が市内を練り歩き、これが時代祭へと発展した。(第1回は25日に実施)
平安神宮には、京都で最初の天皇となった桓武天皇と、最後の天皇となった孝明天皇がまつられており、現在の時代祭はこの両天皇の御霊代を「鳳輦」という輿に移して市内を巡行する神幸列が中心となっている。その前を行く風俗時代行列は、明治維新を先頭に、江戸、安土桃山、室町、南北朝、鎌倉、藤原、延暦の8つの時代をさかのぼって20列、2000人もの長い列となり、これらが都大路を練り歩く様子は圧巻の一言だ。
時代祭の最大の見所は、綿密な時代考証を重ねられた衣装、祭具、調度品に尽きる。伝統の技をもってそれぞれの時代を細部まで再現しており、その豪華絢爛な行列は大袈裟ではなく、まさに“生きた時代絵巻”といえる。
毎年注目されるのが衣装の新調だ。今年は平安時代婦人列を歩く小野小町の衣装が23年ぶりに新調された。定番の十二単ではなく、時代考証の末、9世紀の装いを再現。上半身を錦で彩る唐衣と、腰から下にまとう「うわも」も作り直した。同列の紀貫之の女の切袴も新調されている。
その他、織田公上洛列では、織田信長が鎧に合わせて着る胴服と袴、延暦武官行進列では坂上田村麻呂の鎧直垂が新しくなっている。そのほか、祭具の新調補修は、昨年分と合わせて320点、総額1450万円がかかったという。
京都御所建礼門前を12時に出発し、堺町御門から丸太町通を西進、烏丸通を下り、御池通を東進、河原町通を下り、三条通を東進して三条大橋を渡り、神宮道を上り、平安神宮がゴール。有料観覧席は京都御苑内と御池通、平安神宮前に設置されている。
面白いのはこの行列は「平安講社」という京都市民全体を氏子とする組織が支えており、各行列を担当する地域が決められていることだ。例えば徳川城使上洛列は下京区、南区が担当し、その中でも今年は植柳学区が担当する。この担当はこのエリアでいうと27年に1度回ってくることになり、地区では約30年ぶりの担当ということで、町内に幟を立てて盛り上がっている。
列は午前中に地域内を巡行して、徳川城使を迎え、そのあとで京都御所へ移動する。これをどの列も自分の地域で行った上で、全体の行列参加に参加する。そのために全体の出発は12時になっているのだ。
担当になるのは、数年前からわかっており、地域の住民で誰がどの役をし、どのように当日動くのかが決められる。服装は基本的に着付けなどの練習をした上で、当日は各自が自分で着付けて参加するのが原則。なかなか準備も大変だ。
私自身は、京都御苑内で100名ほどのお客様を前にイヤホンガイドで解説予定。ぜひ今年は久しぶりに都大路を彩る時代祭に来てほしい。