【光る君へ】現代人には考えられない。意外に大変で面倒だった公家の生活習慣とは
大河ドラマ「光る君へ」は紫式部が主人公だが、取り巻く公家の人々も非常に重要である。公家は、いったいどのような日常生活を送っていたのだろうか。その意外な生活ぶりを考えてみることにしよう。
ドラマに登場する藤原兼家の父は、師輔(909~960)という。師輔は摂政や関白にはならなかったものの、右大臣として政治に関わった。子には兼家のほか、伊尹、兼通、為光、公季らがおり、彼らは太政大臣を務めた。藤原氏の繁栄を考えるうえで、師輔の存在は実に重要だった。
師輔は政治手腕だけではなく、学問に優れており、有職故実に明るかった。有職故実とは公家や武家の儀礼、官職、制度、法令のことで、非常に重んじられていた。師輔は日記『九暦』、家集『師輔集』に加え、子孫のために『九条殿遺誡』(くじょうどのいかい)を書き残した。
『九条殿遺誡』は10世紀半ばに成立したとされ、起床後に行うことをはじめとする日常生活全般にわたる作法のほか、宮廷に出仕する際の心構えを説くなどした書物である。その中には、当時の公家の日常生活を知るうえで、興味深いことが書かれている。
起床後、最初に行うのは、属星(ぞくしょう)の名を7回唱えることである。属星とは、陰陽道で言うところの人の一生を支配する星のことである。
その後、鏡で自分の顔を見るのだが、これは体調を確認する意味があったのだろう。次に、歯を磨いて口の中をすすぎ、西の方向に向かって手を洗う。西を向くのは、西方に浄土があるという考えに基づくものだろう。
それから仏の名を唱え、同時に日頃から信仰している神社のことを心の中で念じるのである。当時の人々は公家に限らず、非常に信心深かったのである。次に、日記を書く。当時、公家は日記を朝に書いており、前日に起こった出来事をまとめて書いた。日記を書き終えると、ようやく朝食の粥を口にする。
ちなみに、髪をとくのは3日に一度のペースだった。沐浴(髪や体を洗うこと)は、5日に一度なのだから、現代人にとってはきついかもしれない。また、爪を切るのは、月に二・三度というから、現代人の間隔からすれば、爪が伸びすぎだと感じるだろう。現代社会は衛生観念が発達しているが、当時はそうでもなかったのである。
出仕の心得もあった。まず他人のことをあれやこれやと言わないことである。むやみに人と交わることも避けたようだ。他人と関わると、面倒が起きるからだろう。主君には忠を、親には孝を尽くせともある。
また、謙虚さを尊び、派手なことを慎むようにともある。職務に専念し、余計なことには関わらないようにということだろう。それがトラブルを未然に防ぐことになった。
ただ、実際に師輔の言うようなことが忠実に守られていたかといえば、話は別である。守る人もいれば、守らなかった人もいたと考えられる。あくまで模範的な公家の生活習慣を示しただけで、実行できるか否かは、その人次第ということになろう。