【河内長野市】破片のように散らばる河内長野市木戸町の謎。その理由は?現在の町の様子も探ってみた!
都道府県や市町村の区画は、原則ひとつの塊として制定されますが、たまに「飛び地」と呼ばれるものが存在します。これは歴史的な経緯が複雑に絡んでいることが多いので、ある程度やむを得ない事情があります。
しかし、飛び地どころか破片状になっている町が、河内長野市内にあることを知りました。その町の名前は木戸町(きどちょう)です。
Yahoo!地図で「河内長野市木戸町」と入れると次のようになります。主に南海高野線千代田駅を中心とした区域で、寺ヶ池やいくつかの場所が反転していますね。これが木戸町で、まさしく破片のように散らばっています。
YAHOO!の地図ではどういうわけか反転しませんが、他の複数の地図アプリで④の地域が、木戸町として認識できます。ここにあるのが千代田小学校。しかもその真ん中にある飛び地が市町です。ややこしいですね。
つまりこのように、5,6カ所別々の場所に木戸町と名乗る地域が破片のようにあります。これはいったいどういうことでしょうか?
その理由を歴史をさかのぼって調べてみると、もともと大きな木戸町というものがあったのですが、1990年代以降に地名が変更された結果、破片のように残されたことがわかりました。
元木戸町には、木戸1〜3丁目(2000年10月制定)、木戸東町(1996年9月制定)、木戸西町(2004年12月制定)、千代田南町(1963~7年に開発)が含まれています。
地図で青く囲ったあたりが木戸町だったわけですが、横に「?」の地域を追加しました。これは寺ヶ池が木戸町なのに、飛び地になってしまう点が気になったからです。
個人的な推測ですが、もしかしたら1960年代以降の新興住宅地である現在の千代田台町や北・南貴望ヶ丘あたりも旧木戸町ではないかと思うのですが、果たしてどうなのでしょうか。
前の画像で「?」を示したあたりは、1940年以前は旧天野村の領域です。木戸町は、明治時代の町村制施行以前の市村新田の一部、旧千代田村にあるものなので、そこから外れています。
ただ1940(昭和15)年にできた旧長野町に、天野村も千代田村もすべて取り込まれていますから、それ以降に町名の区画が意図的に変わったという考えもありえそうです。
ということで、実際に現在も木戸町となっている場所に行ってみましょう。最初は①の部分です。これは南海千代田駅から南東方向、千代田南町と稲田池に隣接した場所にあります。
近くには、鉄の人たちの聖地、南海千代田工場があります。
千代田南町から地図に従って入ってみました。ここは扇町会という住宅地。
よく見ると(木戸町)とはっきりと書いてありました。
それから隣にあった扇寿会掲示板の上にも、木戸町の文字がありますね。
次に、外環状線に沿った所にある②の木戸町に行ってみましょう。
地図で見る限り外環状線沿いではなく、少し入ったところの一部が木戸町になります。
②の木戸町は、地図に書いてある「東尾マンション」の多くが含まれています。その南側に広がる空き地のようなところも木戸町。ただしここから見える遠くの建物は、すでに木戸町でなく別の地名。本当にわずかなんですね。
次は③の部分。厳密にはふたつに分かれていますが、本当に小さな部分なのでまとめてみました。さてこの辺りはどんな感じでしょうか?
③の木戸町のすぐ近くに集合住宅がありますが、これは木戸東町になります。木戸町は左に曲がったあたり。
地図で見る限り、おおよそこの辺りに木戸町の破片がふたつ並んでいます。ただ住所表記などは確認できませんでした。
次はこちら④の部分です。灰原池と、大阪南医療センターに挟まれた地域。南海千代田駅に向かっている千代田あいあい通りの東側の地域が、木戸町になっています。
こちらは大阪南医療センターから千代田駅に向かっている千代田あいあい通りですが、この画像から見て左側が木戸町になります。
千代田小学校の所在地は木戸町です。すぐ隣にありながら、灰原池を埋め立てて作られた千代田中学校は違うんですね。
最後は⑤の木戸町。これは寺ヶ池です。ただ注意しないといけないのは、池の南側にある寺ヶ池公園については木戸町ではありません。さてここが木戸町の理由、寺ヶ池の水利組合あたりが関係しているのか?これも非常に気になりますね。
⑤の木戸町の大多数は寺ヶ池そのもので、そこには立ち入れません。しかし一部陸地のあるところ。弁天山広場は木戸町のようです。
寺ヶ池の弁天山広場に行きました。⑤の木戸町に該当するところですが、ここに大きな石碑があります。
これは1979(昭和54)年に建てられたもので、当時の河内長野市長をはじめ水利組合の関係者の名前が刻まれています。昨年は寺ヶ池は世界かんがい施設遺産に登録されましたが、そんな寺ヶ池が木戸町に残っているんですね。
以上、全国的にも珍しい破片になっている木戸町を紹介しました。結論から言って、2000年代に木戸1~3丁目や木戸西町が誕生したときに、そのまま置いて行かれたかのように残っている木戸町。
はっきり言ってその理由はわかりません。しかし話題のタネに、時間がある時にでも回ってみてはいかがでしょうか。