「キムタク信長」みたくカッコよくはなかった(?)。超話題作を向こうに回す新説・信長本が出版!
映画の信長はひと昔前のイメージ、濃姫=正室も信ぴょう性が薄い(!?)
キムタクこと木村拓哉主演で新春公開となる映画『レジェンド&バタフライ』。去る11月の「ぎふ信長まつり」にキムタクが参加して空前のフィーバーが巻き起こり、早くも大ヒットの予感。綾瀬はるか演じる正室・濃姫との夫婦愛の描かれ方にも期待が高まっています。
作品の詳細はまだ明らかにはされていませんが、予告映像などからはとにかくキムタク信長がカッコよく、濃姫との愛も激しくドラマチックであろうことが伝わってきます。戦国一のオレ様武将・織田信長のヒロイックなキャラクター性は、稀代の人気者・キムタクのイメージにもぴったり当てはまります。
しかし、「映画の信長像は30年前の歴史観で描かれているのではないか!?」というのは名古屋の歴史ライター・水野誠志朗さん。さらに「濃姫が正室として信長に添い遂げたというのもきわめて信ぴょう性が低い!」と一刀両断します。
そんな水野さんが「最新の信長像はこれだ!」という新解釈をまとめたのが『若き信長の知られざる半生』です。同書では、謎に包まれた信長の前半生にスポットを当て、クライマックスとなる“日本史上最大のジャイアントキリング”桶狭間(おけはざま)の戦いの大胆な新説を展開。戦の詳細を丹念に検証することで、信長の人間性、さらには濃姫との関係性もひもといていく、スリリングな知的エンターテイメントになっています。
同書の大きな特長は、史実に登場する場所を豊富な写真で紹介し、ガイドブックとして活用できること。これは「実際の場所を歩き、その場に立たなければ分からないことがある。現地を訪ねて体感しながら、およそ460年前に起こった出来事に思いをはせてほしい」(水野さん)という理由から。
そこで、桶狭間の戦いの地を案内してもらいながら、戦と信長の新説をたっぷりと解説してもらうことにしました。
歴史ライター・水野誠志朗さんと桶狭間を歩く
うつけ者と呼ばれていた織田信長が、今川義元の大軍に奇襲をしかけて大逆転勝利をおさめ、天下統一の野望へと突き進む足がかりとした—。広く語り継がれている桶狭間の戦いのあらましは概ねこんなところではないでしょうか。
その戦況を説明するために水野さんが案内してくれたのが、名古屋市緑区の丘陵地にある「鳴海城跡公園」、そして直線距離にして500mほど離れた「砦公園=善照寺砦跡」です。
「鳴海城跡公園は義元側の城、善照寺砦は信長側の砦です。実際に現地に立ってみると、お互いがよく見え、また信長の陣地の方が少し見下ろしていることが分かる。信長の方が有利な状況で相対していたのです」と水野さん。
善照寺砦から南東に見える高根山のふもとあたりで最初の一戦を交えますが、ここでは今川軍が勝利。その後、義元は少し下がって、おけはざま山に本陣を張ります。信長は緒戦で敗退するも隊を前に進め、味方を鼓舞して出撃します。その直後、突然の豪雨が。信長はこの雨にまぎれて山道をう回し、今川軍に奇襲をしかけて義元を討ち取るのです。
桶狭間一帯は山と谷が入り組んでアップダウンが激しく、地形を熟知していなければ思った方向へ進むこともままなりません。信長は地元の地の利を活かし、なおかつ天候の急変を天才的なひらめきで利用したことで、世紀の大金星を得たのだというのが水野さんの主張です。
そして、この戦況における最大のポイントは“義元が撤退する途中だった”こと。これが水野さん唱える新説のキモとなっています。
「これまでは、尾張を攻め落とそうと進軍してきた今川義元と信長があいまみえたのが桶狭間の戦いだといわれてきました。しかし、双方の位置関係などを現地で確認すると、両軍が戦況を比較的把握しやすかったことが分かり、しかも緒戦で今川軍が勝利しながら、なぜ一気に攻め上がらなかったのか疑問が生じます。しかし、近年の研究で、義元は大高城(現在の名古屋市緑区)を救援するためにやってきた、との説が浮上してきた。そのミッションを完遂し、三河方面へと撤退するところを信長が追撃したのです。従来の説では義元が一気に攻勢に出なかったことが謎なのですが、撤退途中だったと考えると、その謎がすべて解消されるんです」(水野さん)
まさに戦がくり広げられたであろう場所には、信長と義元の両雄の像が並び立つ桶狭間古戦場公園が。そのすぐ近くでは義元の首実検をした長福寺があり、ここを拠点に歴史探索すると、戦の様子をイメージしやすくなり、信長に対する興味もよりかき立てられそうです(桶狭間の戦いゆかりの地をめぐる際は、名古屋観光コンベンションビューローが提案する「信長攻路 桶狭間の戦い 人生大逆転街道」を参照するのがお勧め)。
水野誠志朗さんインタビュー!「信長の前半生は謎だらけ」
さて、あらためて水野さんに新刊『若き信長の知られざる半生』を上梓した理由、そこに描かれた新しい信長&濃姫像について解説してもらいましょう。
――信長といえば本能寺の変の悲劇的な最期がまずイメージされます。そこにはふれず、あえて前半生の26年間にしぼって検証したのはなぜだったのでしょう?
水野 「前半生の26年間が謎に包まれているからです。信長の足跡については、側近が記した『信長公記』(しんちょうこうき)が最も信頼できる史料ですが、上洛~非業の死までの15年間は各年一巻ずつ詳細に書き残されているのに、それ以前の信長や父・信秀の活躍は首巻一冊に簡単に書かれているだけ。資料もほとんどなく、若き日の実像はあまり研究されてこなかったんです」
“信長=岐阜”だけじゃない! 前半生は“信長=名古屋・尾張”
――映画『レジェンド&バタフライ』で信長を演じるキムタクがぎふ信長まつりに参加して大フィーバーとなり、“信長=岐阜”のイメージが強烈に印象づけられました。
水野 「信長は満33才で岐阜城に入城しますが、それ以前は人生のほとんどを名古屋、尾張(現在の愛知県北部~中部)で過ごしています。名古屋人の私としては“信長=岐阜”だけじゃない!と主張したい気持ちもありました」
――信長、そして愛知の歴史にはかねてより思い入れがあったのでしょうか?
水野 「実は私はもともとデジタル/自動車系のライター、編集者という、歴史とは真逆の世界の人間です。興味を持ったきっかけは名古屋おもてなし武将隊。彼らが2009年にデビューして尾張の歴史を分かりやすく紹介してくれるようになり、“これはドライブガイドのネタになる!”と思ったんです。ところが、県内に史跡旧跡がいくらでもあるのにあまりにも知られておらず、また眉唾な学説がまかり通っていたりする。そこから自分でも興味を持って調べるようになりました」
――今回の本が、ガイドブック的要素が充実しているのも、そんなキャリアが反映されているのですね。
水野 「徹底して現地主義なのは取材が仕事のライターだからですね。対して歴史学者の方たちは文献主義。史料にないことは書けないし、逆に古くからの説にとらわれすぎて矛盾に気づかないこともある。私は学者ではなくいわば素人なので、学説がおかしいと思ったら躊躇なく“これは違う!”といえるんです」
信長に領土的野心はなかった(?) 地政学から見る信長の名古屋人気質
――桶狭間をはじめ現地で体感することで、どんな信長像が見えてきますか?
水野 「桶狭間の戦いで突然の豪雨をチャンスととらえて奇襲に転じるなど、天才的なひらめきがあったことは間違いない。しかし、あの戦は今川義元に対する防衛戦であって、天下統一の足がかりなどという大それたものではない。特に名古屋・尾張時代の信長は、尾張が平和であればよい、濃尾平野があれば十分という考えで、大きな野心はなかったと思います」
――現地の土地勘があるから理解しやすい、と桶狭間一帯をめぐって実感しました。また、本の中では“戦国期の戦いは領土の拡大というより食物の奪い合い。尾張や西三河は富裕な土地柄で、この地域の人々は他国侵略はしていない”ともつづられ、そんな今流行りの地政学的な見方も地元民であればすごくふに落ちます。名古屋・愛知で事足りるから外へ出ていかなくていい、というメンタリティは現代の名古屋人の気質にも通じますから。
水野「歴史学者は大半が東京の人なので、そのへんはピンと来ないんじゃないでしょうか。だからこそ現地へ足を運びコツコツ調べていく郷土史家の存在は重要なんです」
――映画のキムタク信長は東京目線での信長像?
水野「予告映像や先行する情報の限りでは、いかにもカッコいい信長のイメージだと感じます。野心や野性味にあふれた戦国のヒーロー・信長は、30年くらい前まで盛んに描かれてきたもの。しかし、少なくとも20代半ばまでの信長は、自分の目の届く範囲をうまく治められればいいという、ようは名古屋の田舎者なんですよ(笑)」
――戦国武将の中でも特に人気が高いのは、つくられたイメージによるところが大きい?
水野「今川義元が尾張へ攻め入ってきたのではなく、大高城に入城したとする説は1800年代初めまでは広く知られた話でした。ところがその頃に書かれた研究書で否定され、桶狭間の合戦は侵略する強大な今川勢を信長が奇襲でけ散らし大逆転した、というよりドラマチックなストーリーが定説化された。これにお墨付きを与えたのが明治時代の日本陸軍。国家が戦争研究をする中で、小国が大国を奇襲で打ち倒すという物語を積極的に肯定した。これはその後の大国との戦争、さらには太平洋戦争の真珠湾攻撃にもつながっているのではないか…そんな見方もできるんじゃないでしょうか」
「濃姫」という女性はいなかった?
――本では、濃姫との関係も夫婦愛どころか「濃姫は子もなさなかったことから信長との折り合いもよくなかった」「妻としていた(斎藤)道三の娘を美濃へ帰した」「若い頃の信長は衆道(男色)を好んだようだから、夫婦仲はよくなかったのではないか」「用がなくなった『濃姫』を尾張に置いておく必要はない」との見解も書かれています。
水野「そもそも『濃姫』という名前の女性は史料には出てきません。美濃から来た姫だから濃姫と後に呼ばれるようになっただけ。子どもを3人産んでいる生駒の方を正室と考える方が無理がない。濃姫は江戸時代のフィクションから神格化されるようになったようです」
――信長をどんなふうに解釈し、本をどのように楽しんでもらいたいですか?
水野「本を手に現地に足を運んでもらい、信長が駆け巡った場所に立ち、どんなことを考え行動していたのか、体感してほしい。私が本に記したのもあくまで“新釈”であり、“これこそが真実だ!”と主張するものではありません。様々な情報にあたり、現地で感じ、従来のイメージにとらわれない自分なりの信長像を描いてほしいですね」
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映画『レジェンド&バタフライ』は「織田信長の人生を、今までとはまったく違う新たな視点で描く」と謳い、これも“新釈”信長であるといえます。そして水野さんの著書『若き信長の知られざる半生』もまた全く違う視点から新・信長像を描いています。歴史上の人物は、多角的な視点から見るほど、謎が深まると同時に魅力も増幅されるもの。映画と本で描かれる“令和の信長像”、どちらも楽しんでみると織田信長がより魅力ある人物になるのではないでしょうか。
(写真撮影/筆者 )