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野球WBC予選参加を決めたフィリピン。日本人コーチが感じたプレーの原点。

木村公一スポーツライター・作家
「僕にとってフィリピンはもう異国ではないんです」写真左が主人公の片山さん。

「お陰さんで、正式に参加が決まりましたぁ!」

 スマホのスピーカーからやや甲高く陽気な、そして少しだけ関西訛りを残す弾んだ声が聞こえてきた。

 声の主は片山圭二さん(42歳)。フィリピンで日本法人の現地駐在員として働く傍ら、同国の野球界と深く関わっている日本人だ。そして正式参加が決まったのは、来年3月に開催されるワールドベースボールクラシック(WBC)の予選ラウンド出場。同大会は過去、本戦16カ国で開催していたが、より多くの国の参加で裾野を拡げていきたいというMLB機構の意向で、次期大会は28カ国が招待(エントリー)されることになった。その1枠に、フィリピンが選ばれたのだ。試合は今年3月下旬、開催地はアメリカ・アリゾナ州ツーソン。片山さんは代表チームのコーチとして帯同することになっている。

「ただマイナーでプレーしているフィリピン系の選手を10名程度加える前提になったんで、その選手たちがレギュラーになると思います。フィリピンに住んでいる選手のプレー機会が少なくなるのは残念ですけど、力量差は歴然としているので、まあ仕方がないですね」

 同国で最も盛んなのはバスケット。野球はマイナー競技に位置づけられ、競技人口も2万人と言われているが、片山さんに言わせれば「ちゃんとやっているのはその半数もいるだろうか」という具合。代表といえども、大学生と、卒業しクラブチームに所属する若者が中心なのだ。

 それだけに本音では、かき集めた選手の急造チームではなく、フィリピン本国で生まれ育ち、チームを組んできた選手たちにプレーさせたい。

 それがフィリピンに住むようになって12年、彼の地の野球界と関わりを持って8年目となる片山さんの、偽りない想いだった。

「出場は嬉しいけれど、まあ痛し痒しですね。ただ、控えであってもアリゾナのグランドに立って強豪国と戦う中で、選手たちがいろいろなことを感じて肥やしにして貰えればいい。それに参加することが国内で話題となり、少しでも野球の認知度が上がったり、関心を示す子供が増えることも期待出来る。そう考えればメリットはちゃんとあると思います」

 スピーカーからの声は、弾んでいた。

昨年12月、東南アジアのオリンピックと称される『SEAゲーム』では母国開催を優勝で飾った。
昨年12月、東南アジアのオリンピックと称される『SEAゲーム』では母国開催を優勝で飾った。

【野球がしたい、から指導の道へ】

 片山さんがフィリピンで暮らすようになったのは、勤務する運動具メーカーの海外工場への赴任という形で巡ってきたことだった。

 郷に入れば郷に従えをモットーとするだけに、異国での暮らしに違和感を覚えることもなかった。食事も外出先では現地の人たちと同様、手づかみで食べたり、地元民の足となるジプニーという乗り合いバスにも、日本人の知人らからは「危険だから乗らない方がいい」と助言されても平気で飛び乗った。

 そして仕事に慣れた34歳の頃。

 彼はフィリピン国内で開催されていたセミプロチームのトライアウトを受験した。日本では、高校、大学と本格的に野球をしていた。大学は名門の関西大学。ポジションは内野。レギュラーにこそ届かなかったが、就職を野球用具メーカーに選んだのも、野球への想いが続いていたから。仕事中心になって遠ざかっていたが、フィリピンという異国の地で片山さんの“野球のムシ”が目を覚ました。

「やるなら最後のチャンスや。そう思って受験したんです」

 そして合格。後に合格者を対象としたドラフトにもかかり、セミプロながらも、選手としてグランドに立つようになった。関大野球部出身なら当然かも知れなかったが、しかしそのチームが所属するリーグが程なく休止に。

 プレーする機会は失ったが、人脈だけは残り「日本での経験者なら選手の指導をしてくれないか」と協会関係者などから誘われ、彼の地での駐在員と指導者という“二足のわらじ生活”が始まった。今ではフィリピン野球協会のアドバイザーの肩書きを持ち、3年前のアジア野球選手権からは代表チームのコーチにも就任した。またマニラのフィリピン大学、女子代表チームのコーチまで兼務している。

「もうなにが本職かわからなくなってます。もちろん仕事も、会社をクビにならないよう頑張ってはいますけどね(苦笑)」

 

【なによりも「楽しく」それが彼らの魅力】

そんな片山さんでも、慣れないことがあった。時間の感覚だ。

「こちらの人たちはとにかくのんびり屋が多い。店のレジで客を待たせても平気だし、約束の時間に集まることなどまずない(苦笑)。自分も、最近でこそ慣れてきましたが、日本やったら普通なのにこちらではやたらせっかちに感じてしまう(笑)」

 それは野球にも当てはまることだった。

 練習開始時間に集めるのは一苦労。試合でリードされていてもベンチでは明るく陽気で、悔しさを見せるようなことは少ないのだという。無論、負けても。

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「彼らにしてみれば怠けているわけでも、テキトウにやっているわけでもなく、それが普通なんですね。代表チーム関係者でも、大会直前にならないとことを決めなかったり、動かなかったり。僕はかなり前から代表選考、練習メニュー作り、大会までにどうやってピークを持って行くかなど頭を悩ませるんですが、彼らはまったく気にしない(笑)」

 たとえばフィリピンでは代表といえども合宿期間が短かったりする。事前に大学のリーグ戦やトーナメント大会があれば、そちらを優先して選手はそれぞれの学校やチームで試合に臨んでいるからだ。必然的に代表チームでの実戦練習は削られてしまう。

 昨年11月に台湾でアジア野球選手権があった。国際大会でのフィリピンの目標は「打倒・中国」。アジアでは日本、韓国、台湾の三強が頭抜けているが、4番目の中国とはやや実力の開きがあるとされている。現状、フィリピンは5番目に位置づけされているだけに、中国を倒せば、事実上、四強の仲間入りが果たせるというわけだ。しかしこれまで主要大会でフィリピンが中国に勝ったことはなかった。多くの試合が大差での敗退。それだけに捲土重来の意味でも、アジア選手権には期するものがあった。だが大会直前まで、片山さんがイメージしているだけの十分な実戦練習が代表メンバーとして消化できなかった。要するに全員揃っての試合が多く組めなかったのだ。

「それでも選手らはいつも通り。なんも心配せんでニコニコ、ワイワイ(笑)。頭抱えてたのは僕だけでした(苦笑)」

 ところがこのアジア選手権で、フィリピンは中国に1対0で完封勝利。大会自体は5位に終わったものの、悲願だった打倒中国を果たし、今後に大きな光とモチベーションを示した。

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「アンダーハンドの投手起用がはまったんですが、まあ選手たちの“ええ加減さ”が吉と出た大会でしたね。細かいことは気にせず、陽気に楽しく。ほんまラテン系のノリそのものです、アイツらは」

 呆れるようにそう言う片山さんだが、彼もまた“日本的な厳密さ”を良しとしているわけでもない。

「僕自身、日本のやり方は細かすぎ、やり過ぎな部分も多いと思います。不必要に段取りを踏んだり。ちょうど良いのは日本とフィリピンの真ん中くらいでしょうかね」

 なにより、フィリピンの選手たちは、楽しく野球をするのだという。

 楽しく。

 言葉にすれば凡庸にも思えるが、勝っても負けても、たとえ恵まれない環境であったとしても、愚痴らず、嘆かず、笑顔でグランドを駆け回る。

 片山さんはそんな選手たちを見て、大事なことを学んだという。プレーの原点となる、楽しさ。なによりそこからすべてが始まるのだと。

 無論、楽しいだけではいけない。フィリピンチームが、あたかも伝統のように指摘される、試合中での集中力の欠如や、ビハインドになったときに訪れる諦めなどは、やはり正していかなければと思っている。

「それが日本とフィリピンの、ちょうど真ん中あたりなのかな、と」

【好きだからこそ、もっともっと伸びて欲しい】

 片山さんと筆者との関わりは、決して長くはない。それでも折に触れて感じるのは「なぜそこまでフィリピンを、フィリピンの選手たちを愛せるのか」というシンプルな想いだった。

 それを片山さんは、あえて言葉にはしない。

「パスポートは日本ですけど、心はフィリピン人ですから」と笑う程度だ。

 しかし、彼の想いと特異さは、やはりフィリピンでの野球へのこだわりが根っこにあるのだと思う。

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海外で野球指導にあたる日本人は、決して少なくはない。そんな中で片山さんが特異なのは、自身も選手としてプレーしていることだ。一昨年、彼はクラブチームを立ち上げ、オーナー兼監督兼選手として、若い選手と一緒にグランドを走り回り、ユニフォームを汚している。ユニフォーム、スパイク、その他用具を揃える資金は片山さんが自費を投じた。

 当初は、代表選手にもかかわらず、大学を卒業後にプレーするクラブを見つけられない選手の受け皿として発足を決めた。

「最初は、もうプレーするのはええかなと思ってもいたんです。でも試合当日に選手が集まらないこともあって(苦笑)。まあ穴埋め程度ですわ」と笑う。それでもベンチから命じるだけでなく、選手と同じフィールドでプレーしてこそ、伝えられることもある。塁上での視線のやり場。バッテリーへの助言。

 だがなにより、彼は野球そのものが好きなのだ。それに違いはない。

 だからこそ思う。

 もっとフィリピンの選手たちが伸びて欲しい。伸びて、他国の強豪といわれる国の選手に互して戦い、より一層、成長して欲しいと。 さらには長年、彼の地に住み、選手の中に溶け込んでいるだけに、こうも思う。

「フィリピンの選手たちは、気質的に陽気です。そのぶん“まあええか”と諦めの早さ、淡泊さがある。その“まあええか”がある限り壁は越えられない。自分がそれを指摘することは簡単です。ただ、厳しく接し突き放した瞬間、彼らは僕を日本人と思ってしまい、心を閉じる」

 では、どうやって彼らの心を閉ざさず、壁を乗り越える粘り強さを植え付けていくか。言葉にするのはたやすくとも、実行することは難しい。

「そのためにも大事なのはチャンスだと思うんです。強いチームとの試合、大会に臨むことで発見すること。それが彼らを変えてくれる。そう思っています」

 WBC予選もそのひとつ。また2月からは有望選手を関西の独立リーグに派遣することも決まったという。

「ほんま、なにが本職かわからなくなってます」

 スピーカーの向こうで、片山さんはもう一度そう言って、笑った。

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(写真はすべて片山圭二氏提供)

スポーツライター・作家

獨協大学卒業後、フリーのスポーツライターに。以後、新聞、雑誌に野球企画を中心に寄稿する一方、漫画原作などもてがける。韓国、台湾などのプロ野球もフォローし、WBCなどの国際大会ではスポーツ専門チャンネルでコメンテイターも。でもここでは国内野球はもちろん、他ジャンルのスポーツも記していければと思っています。

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