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研究者と実務家の役割分担~教育問題を公正に議論するために~

神内聡スクールロイヤー・兵庫教育大学大学院教授
(写真:イメージマート)

教育学での研究と実務の連携

最近、文部科学省が教育学部の教員に小中高等の教員経験者を一定割合起用することを義務付ける方針であるとの報道がなされました。

https://www.asahi.com/articles/ASR2S6QJXR2SUTIL025.html

このような方向性の背景には「研究者は実務をよく理解していない」という批判が存在していると推測されますが、こうした批判には疑問もあります。というのは、実務家もまた研究をよく理解していないがために、現場で研究の知見が実践できていない可能性もあるからです。

教育学に限らず、「研究と実務の架橋」はどの学問領域においても意識されている理念です。自然科学の分野では研究と実務のコラボレーションは非常に進んでいて、工学分野では研究者が企業の社員として勤務することは珍しくありません。

また、臨床医学分野では研究者が医師として患者の診療活動をしながら研究も行うことは当然のように実践されています。

一方、社会科学の分野では研究者が実務家としても活動したり、逆に実務家が研究者として活動する例はまだ多いわけではありません。法学分野では弁護士が法科大学院教員として勤務する例は数多くありますが、あくまでも実務家教員として活動しているケースがほとんどです。

では教育学の分野はどうかと言うと、教科教育学や教育心理学の領域では研究者が実務家として実践して得た知見が示されたり、実務家が研究者として学術論文を発表することもそれなりに行われています。例えば、教育心理学の研究者が週1日スクールカウンセラーとして勤務したり、大学附属校の現役教員が非常勤講師として週1日大学で講義することは珍しくありません。

私は研究者としては教育学が専門ですが、実務家としては教員以外に弁護士をしているので、研究と実務の内容が多少ズレてしまっている面があるのですが、異なる専門性の視点が重要になる場合もあります。私自身は研究も実務も両方できる立場自体にとてもメリットを感じています。研究で得た知見を実務で実践したり、実務で経験した問題を研究で掘り下げる機会があることは、社会科学の視点からとても貴重で有意義だからです。

研究者と実務家は何が違うのか?

もっとも、研究者と実務家の立場を両立することは決して簡単ではありません。というのは、両者の立場はかなり違うからです。大雑把に言うと、次の2点で違います。

① 研究者は究極的には自分の研究にのみ責任を負えばよいが、実務家は依頼された他人に対して責任を負わなければならない。

② 研究者は他人から回答を求められてもすぐに回答せずに先行研究等を入念に検討して回答すればよいが(むしろそうすべき)、実務家は先例がないケースであってもとりあえず何らかの回答を示さなければならない(そうでないと実務で役に立たない)。

①の「責任を負う/負わない」の立場の違いは、発言内容の違いにも出てきます。研究者は自分の発言に関して誰に対して責任を負うわけでもないので比較的自由に発言できますが、実務家は様々な人間に対して責任を負っているので必ずしも自由に発言できるわけではありません。

特に教員をしていると様々な子どもや保護者に対して責任を負っているので、研究者のように特定の意見に依拠した発言をすることは難しいです。

また、研究者と実務家の両立で難しいのは②の違いのほうです。なぜなら、この違いが「研究者は実務で役に立たない」と批判される原因にもなっているからです。

例えば、学校現場で先行研究や発表されている文献では扱っていないような困難ないじめのケースが発生したとします。

研究者であれば、先行研究や文献をしっかりレビューした上で、学術的にあり得る回答を示しますが、たとえそれが現実的でない内容で、いじめを解決する上で実際に役に立たなくとも責任を負うわけではありません。

しかし、実務家はすぐにでも相談者に回答を示さなければならないので、文献をレビューする時間も余裕もありません。たとえ先例のない未知の問題であっても、とりあえずの回答を示さなければなりません。しかも、もしその回答どおりにいじめに対応してもうまくいかなかった場合には責任を問われる可能性もあります。

研究者と実務家の両方をやっていると、上記のような場合にジレンマに陥ってしまいます。しかも、この悩みは経験者が多いわけではないので悩みを共有することも難しく、結果的に研究と実務の連携をあきらめてしまう心理が働きます。

そうであっても、研究活動で得られた知見のわずかであっても現場で実践できる機会を持てることは、実証的な社会科学の視点からは大変有意義だと思います。もちろん、実践で失敗すれば責任を問われるリスクはつきまといますが、失敗することも科学的には一つの結論なので無意味ではありません。研究者と実務家を両立する人材が増えることで、そうした失敗経験も共有することができるので、あきらめずに研究と実務の連携を続けていく心理も働くと思います。

文献レビューをしない研究者、成功談ばかりの実務家

前述のように、研究者と実務家は立場や責任が大きく違いますが、それぞれの役割を意識して分担することが大切です。しかし、残念ながら現状の教育分野では必ずしも役割分担が適切にできているわけではありません。

研究者の問題点としては、査読論文等の先行研究や文献のレビューを十分しないままに一方的な見解をマスメディアやTwitter等のネット上で発信したり、読みやすい対談本等を介して十分議論がなされていない論点で断定的な見解を示す有識者が目立つ点が挙げられます。

研究者が十分な文献レビューや裏付け調査をしないまま「現場ではこのような状況である」「このようなケースではこうすべきである」等の見解が示されることは、ともすれば誰もが経験していて意見を言いやすい教育という分野では決して望ましいことではありません。研究者だからこそ誰もが言える意見とは一線を画した、感情的ではない冷静な見解を示す必要があるからです。

実務家の問題点としては、自らが教育現場で実践した成功体験を安易に一般化・法則化してしまうことで、あたかも現場の「代弁者」になってしまう有識者が目立つ点が挙げられます。これは教育の分野においては非常に危ういものです。日本中、世界中の子どもたちや学校の中で、ほんの数人、ほんの数校でしか実践していない成功例を批判的に分析せず一般化・法則化してしまったり、過度に神聖視してしまうことは、一人ひとりが異なる個性を扱う教育にとって決して好ましいものではないからです。

むしろ、実務家にとって重要なことは失敗体験を自省的に考察した見解のほうがよほど説得力があり、信頼できるように思います。

また、研究者と実務家が対談本という形式で、十分なレビューがされていない見解と自分語りのような成功体験を対談してしまうと、アナジー効果が強くなってしまうおそれがあります(もっとも、対談本は難しい専門書や実務書よりも読みやすく、一般的に売上が良いので、研究者・実務家の意向よりも本の売上で利益を得たい出版社側の意向のほうが大きく働いているかもしれません)。

教育問題を公正に議論するために

教育は誰もが議論しやすいため、公正に議論することは他の分野以上に難しいのですが、一般人による議論ならともかく、最近では研究者や実務家であってもファクトチェックをしないままネット上の情報や報道された事実に基づいて議論したり、査読論文に基づかない見解を一方的にメディアやネット上で発信するような、ルールを無視した議論も目立ちます。

また、研究者や実務家が議論をする際には意図的に批判できない対象(議論上のタブー)を作出する傾向も見られます(そのような議論では、タブー視されない学校や教師に批判が集中する傾向にあります)。

研究者や実務家がネット上で意見を発信する際にはフォロワーによる同調圧力も働くため、公正な議論を妨げるリスクがあることには細心の注意を払う必要があるのですが、必ずしも意識されているわけではありません。

ある分野でほとんど論文を出していない研究者がいつの間にか当該分野の「第一人者」とされたり、決して実務経験が豊富ではない実務家があたかも現場の「代弁者」とされることすら珍しくありません。

教育問題に限らず、公正な議論をする土壌を提供することは研究者と実務家の双方に共通の責任です。そのためにも研究者と実務家が互いに役割を正しく認識し、公正な議論をしていくことが求められていると考えます。

スクールロイヤー・兵庫教育大学大学院教授

スクールロイヤー。日本で初めて法曹資格を持つ教師として活動し、現在は教職大学院で「チーム学校」や外部人材の効果検証、教師文化、法教育等の研究活動を行う。また、教師の経験を活かし、学校現場に詳しい弁護士として様々な学校のスクールロイヤーを担当する。専門は学校経営論。高校では公共・世界史の授業や部活動顧問等を担当。東京大学法学部卒業、同大学院教育学研究科修了。専修教員免許(中学社会・地理歴史・公民)を取得。著書に『学校弁護士 スクールロイヤーが見た教育現場』(角川新書)、『スクールロイヤー 学校現場の事例で学ぶ教育紛争実務Q&A170』(日本加除出版)等。

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