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どうなる18歳成人~同じ高校3年生でも4月生まれと3月生まれでこんなに違っていい?~

神内聡スクールロイヤー・兵庫教育大学大学院教授
(写真:アフロ)

18歳成人と高校生同士の不平等

2022年4月1日から成年年齢が18歳になるため、多くの高校でこれまで見られなかった成年者と未成年者が混在する高校3年生のクラスが現れます(この点に関する記事については、こちらをご参照下さい)。

現在の議論の中心は、成人する高校生の校則上の取り扱い、未成年者取消権がなくなることへの懸念、消費者教育の一層の充実などだと思われます。

しかし、筆者の勤務校の生徒指導担当の先生に聞くと、最も関心があることは「4月生まれの高校生と3月生まれの高校生の間の不平等」であると話されていたとおり、多くの高校の先生方にとって、また筆者もまた弁護士の立場ではなく高校現場に身を置く一教員として、この点が最も留意していることです。

なぜなら、成年者と未成年者では法律上大きな違いがあるため、同じ高校3年生のクラスでもたまたま誕生日が早くて「大人」になり、多くの権利を与えられる生徒もいれば、卒業するまで「子ども」として未成年で過ごすことになる生徒もいることが、集団生活を共にする生徒の立場からすればどのように感じられるか、我々教員は想定しておく必要があるからです。

この不平等の問題点については、必ずしも18歳成年の議論で注目されているわけではありません。この点は一般的な議論と高校現場での問題意識がズレている可能性を示しているため、懸念しなければならないことです。

しかし、こうした18歳という年齢がもたらす不平等の問題はこれまでも運転免許ではよく議論されていますし、最近では18歳の選挙権でもこうした不公平感が生じています。筆者が教えていた生徒の中にも政治に関心が強い生徒がいて、高校生の有権者として投票したかったけれども誕生日が遅くて投票に行けず、誕生日が早い同級生が投票に行ったり行かなかったりする光景を見て残念がっていた生徒がいました。これは高校という集団生活を前提としている環境だからこそ感じやすい不平等ですが、政治教育の場面でこの問題はあまり議論されているわけではありません(もっとも、こちらの記事で紹介しているように、現状の政治教育の議論は、同じ高校3年生のクラスにいて誕生日も迎えているのに外国籍なので有権者になれない生徒がいるという状況の中で、「主権者教育」という言葉が大々的に用いられている問題すらほとんど議論されていないので、誕生日の差による不平等が議論にならないのは当然なのかもしれません)。

もちろん「年齢で区別するのが一番合理的なので、誕生日が遅いのは仕方がない」と割り切れば身も蓋もない話ですし、これまでも大学や専門学校、通信制や定時制の高校などでは成年者と未成年者が混在していても生徒間でそれほど不公平を感じることは多くなかったのですが、日本の全日制高校は大学や海外の高校と比べてクラスや学年での集団生活が多いため、身近で権利能力の不平等を感じやすい環境にあります。日本は学年主義が徹底していることもあり、飛び級や留年もほとんどないため、海外の高校のように生徒の年齢が比較的幅広いわけではなく、全日制高校であれば同じ年齢の生徒が集団生活を営んでいることが一般的なので、誕生日を基準に年齢で法律上の能力を区別することは生徒間の不公平感を生じさせやすいのです。

そのため、画一的に成年と未成年を区別するにしても、義務教育の就学年齢と同じように「学年度」を基準に成年年齢を引き下げることもあり得るし、教師としてもそのほうが対応しやすいのですが、高校は義務教育ではないので学年度を基準にするのは難しい面もあります。いずれにしても今回の成年年齢引下げは、選挙権とは比較にならないほど、成年者と未成年者では同じ高校生でもできることとできないことが違ってきます。そのため、同じ学年に所属する生徒の間で生じる不公平感は選挙権よりも大きくなるかもしれません。

年齢で画一的に扱う法律と個人の特質に応じる教育との相容れない関係

そもそも、人間はだんだんと子どもから大人になっていきます(もっと言えば、何をもって「子ども」「大人」と定義することすら、難しい話です)。誕生日が来たらその日を境に突然「子ども」から「大人」になるという法律上の扱いのほうがおかしいのかもしれません(正確には誕生日の前日が境ですが)ちなみに法律学ではほとんど意識されない誕生月の問題ですが、教育学では数こそ多くないものの、子どもの誕生月を学力や階層などを分析する上での重要な変数として扱う研究が見られます。

精神年齢だけで見れば、早熟でしっかりとした未成年者もいれば、いつまで経っても幼稚な成年者もいるでしょう。経済的な自立で見ても、親から経済的に自立していないのに18歳になれば大人として扱われる高校生もいれば、働いて納税しながら高校に通っているけれども18歳未満なので子どもとして扱われる高校生もいます。また、前述の選挙権で考えれば、政治にとても関心があるのに18歳でないから選挙権がない未成年者もいれば、せっかく選挙権があるのに政治に全く関心がなく、投票にもいかない成年者もいます。個人の特性を全て無視して誕生日で区別する法律の画一性は、法が教育という営みに関わる際に、両者が本質的に相容れない要素を持つことを理解する上で格好のテーマでもあります。

このテーマがよく議論されるのは、刑事責任能力や少年法の場面です。日本の刑法では14歳未満は刑事責任能力がないため犯罪が成立しません。そうすると、同じ中学2年生なのに14歳の誕生日を迎えているかどうかで扱いに大きな差が生じます。学校教育上は4月生まれも3月生まれも同じ中学2年生としての能力があるとみなされているのに、犯罪の成否には大きな違いがあるのです。しかも、刑事責任能力を区別する年齢は国によっても違うため、普遍性のある話でもありません(中には、年齢ではなく立証によって刑事責任能力の成否を判断する国・地域もあります)。

また、少年法も適用される19歳と適用されない20歳では大きな違いがあります。よく少年は可塑性があることが少年法を適用する理由として挙げられますが、19歳なら可塑性があるけれども20歳になったら可塑性がなくなるというのは説得的ではないように思われます(この点は、少年犯罪の厳罰化が議論される際にはよく指摘されることです)。

以上のような問題と共通することが、今回の成年年齢引下げにともなって高校3年生のクラスに生ずる可能性があります。同じクラスでも成年者と未成年者が混在することは、「子ども」と「大人」は本質的に何が違うのかを高校生自身が考える上で格好の教材になるのかもしれません。

成年高校生と高校現場での対応

スクールロイヤーの仕事において、4月から現れる「成年高校生」に対して高校の現場からの相談が多くなっているのは、やはり校則と生徒指導での成年高校生の扱いです。成年高校生には保護者がいなくなることから、校則上の扱いも多少変更する必要はあるかもしれません。

とはいえ、同じ高校3年生の学年に所属する生徒に対して、誕生日によって校則や生徒指導上の扱いを変えるというのも奇妙な話です。また、18歳で成人するといっても多くの高校生は家庭から経済的に自立しているわけでもありません。何より、成人しても高校に在籍していることには変わりないので、懲戒処分に該当する行為があれば学校教育法上の懲戒処分の対象になります(同法は成年者と未成年者で懲戒処分の適用を区別していません)。

高校の校則の中にはこうした誕生日の差に配慮したものもあります。例えば、自動車の運転免許は在学中は原則として免許取得を禁止する校則を設ける学校もありますが、これは周囲の友達が次々に免許を取っている中で誕生日が遅い生徒が免許を取れないと、それが不満で無免許運転を誘発してしまうことを防止するためでもあります。しかし、成年者として法律でできることを何らの必要性も合理性もなく学校が校則で一律に禁止するということはできません。

結局、成年高校生であっても、校則に基づく生徒指導は個別具体的な状況に応じて対応していくことになると思います。例えば、成人した高校生は親の同意がなくとも結婚することができます。しかし、だからといって在籍する高校生が学外の反社会的勢力に属する人間と結婚した場合に、学校が何も指導しなくてもよいでしょうか。

また、成人した高校生は親の同意がなくとも自由に自分の進路を決定することができます。そのため、文部科学省は成年高校生の進路に関しては、事前に保護者であった者との話し合いの場を設けるなど、理解を得ておくことが重要であると示しています(こちらを参照)。しかし、親との関係が良くない高校生はたくさんいますし、進路を自ら決めた成年高校生から「親に内緒にしておいてほしい」と言われたら、教師としては事前に保護者であった者と協議することは容易ではありません。

成年高校生に対する校則の適用も難しい問題です。法律論から言えば、成年高校生には髪型や服装の規制は必要ないという考え方も正論ですし、個人的にも首肯したいところです。しかし、成人したからといって実際の生徒の成熟度はまちまちですし、生徒に対して責任を負わなくてよい学外者の立場ならいくらでも理想論は言えても、各高校や地域の実情が様々である中で、たとえ成人したとしても在籍する生徒に対して責任を負わなければならない先生方の立場からすればそう簡単な話ではないことは、筆者自身も現場で働く教員として実感していますので、高校に在籍している以上は成人したからといって何でもありというわけにはいかないようにも思います。たまたま誕生日が遅くて成人していない生徒との間での公平感を保つ必要もあるでしょう(ちなみに筆者は以前の記事でも示していますが、「就職活動の面接官の前でも教師の前でも同じ髪型や服装をするのであれば、どんな髪型や服装をしても自由でよい」と指導しています)。

日本の教育での18歳成人の影響

同じクラスの中で成年者と未成年者が混在する環境が生じることで、高校生がこれまで以上に大人になることへの意識を深め、主体性と責任感を持つことや、親からの自立心を育むことができるようになることは、とても大切です。日本の若者は海外と比べて精神的な自立だけでなく、経済的な自立も遅れている一面もあります。18歳に成年年齢が引き下げられることで、高校生の段階から自立していくことの意義を考える機会が得られます。

一方で、高校という日常的な集団生活を営む場において、年齢・誕生日を基準にして画一的に成年年齢が導入されることについては、高校生の個人差や多様な特性が無視されてしまうことで実質的な不平等が生じることも考慮しておく必要があります。前述のように、日本の高校は海外と比べてクラスや学年での集団生活が非常に重視される教育活動が行われています。その意味では、今回の成年年齢引下げに関しては、年齢ではなく学年度を基準に成年年齢を導入する制度を議論する余地がもう少しあったかもしれません。

4月からの成年高校生に対する高校現場での様々な対応が注目されますが、筆者も弁護士・スクールロイヤーという立場ではなく、教員として成年者と未成年者が混在する環境での生徒たちの意識の変化を観察していきたいと思います。

(本記事の内容は、近刊の拙著『大人になるってどういうこと?: みんなで考えよう18歳成人』でも紹介しています)

スクールロイヤー・兵庫教育大学大学院教授

スクールロイヤー。日本で初めて法曹資格を持つ教師として活動し、現在は教職大学院で「チーム学校」や外部人材の効果検証、教師文化、法教育等の研究活動を行う。また、教師の経験を活かし、学校現場に詳しい弁護士として様々な学校のスクールロイヤーを担当する。専門は学校経営論。高校では公共・世界史の授業や部活動顧問等を担当。東京大学法学部卒業、同大学院教育学研究科修了。専修教員免許(中学社会・地理歴史・公民)を取得。著書に『学校弁護士 スクールロイヤーが見た教育現場』(角川新書)、『スクールロイヤー 学校現場の事例で学ぶ教育紛争実務Q&A170』(日本加除出版)等。

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