驚異の新人ジャッジが生まれる前に「ジャッジ」と呼ばれたスラッガーがいた
ラストネームが「ジャッジ」のメジャーリーガーは、ベースボール・リファレンスによると、これまでに2人しかいない。ジョー・ジャッジとアーロン・ジャッジ(ニューヨーク・ヤンキース)だ。
ジョーは1915~34年にワシントン・セネタースなどでプレーし、通算71本塁打を放った。それに対し、アーロンの本塁打はすでにジョーの半数近い。メジャーデビュー1周年となる8月13日までには、半数を超えているだろう。
だが、「ジャッジ」と呼ばれたスラッガーは、アーロンが最初ではない。
ハリー・ラムリーの通算本塁打は38本に過ぎないが、1904年の9本はナ・リーグで最も多かった。また、フランク・ロビンソンが1956~76年に記録した586本塁打は、その時点ではハンク・アーロン、ベーブ・ルース、ウィリー・メイズに次いで多く、現在でも10位に位置している。彼らはどちらも、「ジャッジ」のニックネームを持っていた。
ラムリーがそう呼ばれた理由は定かではないものの、ロビンソンについてはわかっている。ボルティモア・オリオールズ時代(1966~71年)にクラブハウスの「カンガルー・コート」において、裁判官(ジャッジ)を務めるロビンソンの写真が、何枚か残っている。
コート=裁判所のとおり、「カンガルー・コート」ではミスを犯した選手が裁かれる。ただ、これはあくまでもお遊びだ。ある写真では、ウィッグではなくモップを頭にかぶり、木槌ではなくバットを叩いて判決を下そうとする裁判官のロビンソンに向かい、被告人のデービー・ジョンソンが両手を握りしめながら無罪を訴えている。読売ジャイアンツでもプレーした、あのジョンソンだ。2人とも、その顔には笑みを浮かべている。
また、ロビンソンのサインボールには、名前の下に「ザ・ジャッジ」と書き込んだものも存在する。
ロビンソンはシンシナティ・レッズで、新人王(1956年)とMVP(1961年)に選ばれた。オリオールズでは1966年に三冠王を獲得し、2度目のMVPに輝いた。両リーグでMVPを受賞した選手は、ロビンソンの他にはいない。
一方、1992年に生まれたアーロンは、今シーズン、新人王とMVPのみならず、三冠王にも手が届きそうな打棒を振るっている。まだキャリアは始まったばかりだが、ロビンソンに匹敵あるいは凌駕する実績を残し、ロビンソンと同じく殿堂入りするかもしれない(ロビンソンは監督歴も長いが、殿堂に迎え入れられたのは監督5年目の1982年だ)。
なお、選手ではないものの、メジャーリーグで「ジャッジ」と言えば、初代コミッショナーのケネソー・マウンテン・ランディスがよく知られている。ランディの場合、「マウンテン」は本名だ。「ジャッジ」のニックネームは、本物の裁判官だったことに由来する。