「謎だらけで難解」のエヴァンゲリオン つい語りたくなるのはなぜか
1995~96年に放送され、四半世紀が経過した今もファンの心を引き付けてやまない「エヴァンゲリオン」シリーズ。どうしてここまでアニメファンを虜(とりこ)にするのでしょうか。「シン・エヴァンゲリオン劇場版」の公開を前に振り返りました。
◇謎の多さ 知識欲を刺激
テレビ版は、世界の人口が激減した西暦2015年(放送当時の20年後)の第3新東京市が舞台です。14歳の少年・碇シンジが、ロボットのような人型兵器「エヴァンゲリオン」を操縦して、人類を襲う謎の生命体「使徒」と戦う……という物語です。
1990年代の世界から見ると「いかにもこうなりそう」的な未来的都市を舞台に、人々の生活が描かれており、シンジは美人のお姉さんと一緒に暮らすことになるのです。「入り口」は実に分かりやすいのですが、見るうちにあからさまな疑問が浮かぶようになっています。
上司である司令(父)は何か壮大な策を張り巡らせている様子。使徒の脅威にさらされながらも外の世界とつながりもあるようで、「エヴァ」を操縦できる少年・少女が増えます。そして使徒とは何?という話になり、さらに人類に災いをもたらしたとされる「セカンド・インパクト」の正体、そもそもエヴァは何?……となります。終わりへのカウントダウンと思わせるような演出もあり、一部ではただならぬ人間関係、組織間の複雑な関係も描かれていきます。
一つの謎が(何となく)明らかになれば、次の謎が出て来てきます。視聴者の知識欲を刺激し、考えさせる仕掛けが巧みに張り巡らされているのです。当時のアニメファンは「答え」を求めて熱狂し、そしていまだに「エヴァの虜(とりこ)」になっている……いうわけです。
謎の多さは、新劇場版も同じです。まず「ヱヴァンゲリヲン」と作品の顔であるはずの文字が変わりました。当初はテレビアニメのリメークとみられており、「序」(07年公開)は予想通りでしたが、「破」(09年公開)で新キャラクターが登場し、「Q」(12年公開)になると、急に14年後の世界になって、ファンも茫然とするような内容になっていました。
◇多様な解釈できる作品性
ただし、予想もしない展開に茫然(ぼうぜん)とするのはある意味、エヴァファン恒例の“行事”であるともいえます。ネットでのファンの考察は多くあり、どれも作品への愛とリスペクトを感じます。しかし、解釈については食い違いが散見されます。
エヴァの魅力は、謎だらけの設定と先が見えない展開、それに対して見る側が多面的な解釈できるダイバーシティ(多様性)的な点ではないでしょうか。エヴァは情報の密度が濃いようでいて、肝心の部分はぼかされていて、見た人たちは「私はこう思う」などと語らずにはいられません。ファンの議論したがる行動さえも計算し、作品の一部に組み込んでいるような感じです。
これが普通であれば「訳の分からない作品」になって、ファンが匙(さじ)を投げそうなのに、その一歩手前で止まっているような絶妙のバランスです。その根底を支えるのが、考え抜かれた世界観、物語の見せ方、演出でしょう。テレビアニメの第1話が公開されていますが、今の見ても、四半世紀前の作品とは思えない完成度、センスです。
特に秀逸なのは、「見せること」「語らないこと」の選択です。謎は理解できないのに、目の前に起きていることは「何となく」分かるわけで、見事なテクニックといえます。そして次々来る予想外の展開に目を離せません。
一方、謎だらけの設定とは違い、キャラクターの見せ方はハッキリしています。寡黙な綾波レイ、ツンデレのアスカの二人のヒロインは、キャラデザはもちろん、対極的な性格、イメージカラーも分けられています。それは他のキャラにも言えて、カブリがありません。
そして彼らのセリフ、シンジの「逃げちゃだめだ」、レイの「私が守るもの」、アスカの「あんたバカあ?」などおなじみのセリフがファンの心に突き刺さるということは、そのチョイス(選択)が正確ということになります。どのセリフもキャラの色が出ていますし、余計な文字がないことに気付かされます。「魂は細部に宿る」といいますが、細部にわたってのジャッジ(判断)が見事なのです。
◇大激論だったテレビ版の最後
作り手のジャッジという意味で触れないといけないのは、やはりテレビ版の25話と26話(最終回)でしょうか。24話までの流れが寸断されるような、延々と心理描写のような内容が展開され、放送当時は大激論になりました。
当時、普段はアニメを見ない知人が、エヴァの人気を見て興味を持ち、後追いで全話視聴した後、私に電話をかけて「エヴァの結末はどういう意味?」と2時間延々詰め寄られたことがあります。熱心なアニメファンでない人が全26話を見て、謎を知りたくなるぐらいのパワーがあったとも言えます。
これも「議論をせずにはいられない」という意味では、今と同じなのかもしれません。テレビ版の終わり方は、従来のアニメの“常識”を破壊したのは確かでしょう。視聴者に解釈の余地を大きく残したまま終わらせるという見せ方を提示したのは、「コロンブスの卵」的な衝撃的でした。
名作と呼べるアニメはいくつもありますし、エヴァ以上の興収をたたき出したアニメ映画もあります。ですがエヴァが「スペシャル・ワン(特別な存在)」であることに異論を唱える人はいないでしょう。
「シン・エヴァンゲリオン劇場版」で、四半世紀の謎が解けるかは正直疑問ですが、どのような結末であっても、たとえ意味が分からなくても、ファンは賛否両論の議論に参加し、なんだかんだで受け入れてしまうのでないでしょうか。そう思わせる「立ち位置」を築き、9年待たされても映画館へ足を運んでしまう。それこそ、オンリーワンの強みであり、エヴァの特別な力ではないかと思うのです。