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秋葉原事件・加藤智大被告、12月18日最高裁「弁論」の意味するものは

篠田博之月刊『創』編集長

2008年の秋葉原無差別殺傷事件で1・2審と死刑判決が出て上告中の加藤智大被告について、最高裁は来る12月18日に検察・弁護側双方の「弁論」を開くことを指定した。新聞ではベタ記事にしかなっていないし、弁論といってもよくわからない人が多いかもしれない。しかし、関係者はこの知らせにドキッとしたに違いない。「いよいよ来たか」という感じである。

最高裁は事実審理を行わないから、ある日突然、決定通知が届くというケースがほとんどなのだが、死刑事件については、判決をくだす前に、検察・弁護側双方の意見を聞く弁論の機会を設ける。逆に言うと、この弁論が行われると、判決が近い、ということなのだ。早ければ年明け1月にも判決が出るかも知れない。しかも判決内容は死刑以外ありえないから、そう遠くない時期に加藤被告の死刑判決が確定するということだ。日本中を震撼させた秋葉原事件がいよいよ結末を迎えたことになる。恐らくこの弁論期日が明らかになった時点で、新聞社などは判決へ向けてどんな紙面を作るか準備に入ったはずだ。

死刑そのものは加藤被告は覚悟しているだろうから動じないにしても、死刑囚にとって刑確定が大きな意味を持つのは、その段階から接見禁止になるからだ。外部との接触を断つというのは、執行へ向けて心の準備に入れということなのだろう。

和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚や連続幼女殺害事件の宮崎勤死刑囚(既に執行)など私が10年以上つきあってきた死刑囚の場合は、刑確定後の接見禁止はかなり過酷な措置だった。宮崎死刑囚など、最高裁判決の1カ月ほど前から、私へ届く手紙の内容は、ほとんど接見禁止に対する不安を表明したものだった。法律上は「死刑囚の精神の安定のため」とされているが、外部との交流を断たれることは多くの死刑囚にとってはむしろ精神的苦痛以外の何物でもないのだ。

そのためにどうするか。一般にはあまり知られていないのだが、接見禁止への対応策として意外に多いのが、外部の人間と養子縁組ないし獄中結婚して新たな家族になってもらうという方法だ。実は林眞須美死刑囚も、今年からある男性と養子縁組をし、その人物が接見を重ねている。それまでは特別な面識もなかった男性に、突然彼女が手紙を書いて、養子縁組を依頼したのだ。普通に考えればそんなことあり得るのかという話だろうが、死刑囚も必死なのだ。

宮崎死刑囚の場合は、養子縁組という方法を使う前に、私が東京拘置所に特別接見許可願を書いたら一時は認められたし、その後も彼の母親を経由して手紙のやりとりはできた。

池田小事件の宅間守死刑囚(既に執行)の場合は、拙著『ドキュメント死刑囚』に書いたように、クリスチャンの女性と獄中結婚している。この女性は家族に迷惑がかからないように、一度自分の籍を抜いてから宅間死刑囚と結婚した。相当思い切った決断だ。

養子縁組とか獄中結婚といっても、戸籍制度のある日本では、簡単なことではない。月刊『創』では、1994年に起きた大阪・愛知・岐阜連続殺人事件で死刑判決を受けた死刑囚と養子縁組した大倉さんという女性の不定期連載を今年に入って同時進行ドキュメントで載せているが、彼女の場合も、間もなく刑が確定するという段階で死刑囚から突然、養子縁組の依頼を受けた。

それほど親しかった相手でもない死刑囚に突然、家族になってもらえないかと依頼されたわけだから、彼女も相当悩んだに違いない。宅間死刑囚の場合も相手の女性はクリスチャンだったが、大倉さんもそうだ。このあたりは理解できない人も多いだろうが、宗教の力は大きいということかもしれない。でも大倉さんは子どももいる一般の市民だ。子どもたちにしてみれば、ある日突然、死刑囚が自分たちの「家族」になったわけだから、簡単ことではないだろう。

確定死刑囚にとって、外界との接触の機会が閉ざされることを回避するためにそういう手段にまで踏み込むというのにはいろいろな意味がある。ひとつはもちろん、刑執行まで死の恐怖と向き合う日々を送るうえで、話し相手がいるというのは大きな支えになるということだ。そして、もうひとつは、自分がどんな死を迎えるかという究極の問題に関してだ。

抵抗できない幼い子どもたちを小学校に押し入って無差別殺傷するという極悪非道な犯罪を犯し「鬼畜」と非難された宅間死刑囚は、獄中結婚した女性に、最後の頼みとして「遺体のまま外に出してほしい」と話していた。死刑囚の大半は家族とも離縁状態になり身寄りもないまま死んでいくので、拘置所側が火葬してしまうケースが多い。宅間死刑囚は、最後は人間として死にたいと希望し、遺体のまま車で搬出され、葬儀が行われたのだった。理不尽に子どもたちを殺された事件の被害者遺族からすれば、許せないことだろうが、死ぬことを覚悟して事件を起こした宅間死刑囚にとっても、いざ自分の死に直面すると、人間として死にたいという希望が生じたわけだ。

ちなみに私が12年間つきあった宮崎死刑囚の場合は、執行の翌朝、彼の母親から「長い間お世話になりました」と電話がかかってきた。突然の死刑執行は私にとっても自分の親が死んだ時と同じくらいの衝撃だったが、その時に彼の母親に「せめて線香くらいあげさせてほしい」と頼んだ。一瞬、母親は戸惑ったようだったが、「全部向こうにお任せしましたから」と言った。宮崎死刑囚も東京拘置所で火葬されたのだった。

前述した連続殺人事件の死刑囚と養子縁組した大倉さんがこの4月に接見した時に、突然話を切り出され、一瞬絶句したのが、執行があった時に遺体遺骨をどうするかという相談だった。我々はいつ自分の死に直面するかわからないからある程度の覚悟はしておかなければいけないのだが、死刑囚にとってそれはもっと身近な出来事だ。拘置所側としては、執行の後、遺体をどうするかについては、あらかじめ死刑囚本人の意思を確認しておく必要がある。どうやらその死刑囚も、4月に拘置所の所長が替わったのを機にそれを確認されたらしい。大倉さんはその時のことを「私にも心の準備ができておらず大変動揺しました」と語っていた。『創』にその話が掲載されたのは7月号だが、実は4月のその接見のあった日に彼女から、大きなショックを受けたというメールをもらっていた。死刑囚と養子縁組をするというのは、結局、相手が執行された時に自分はどうするのか、という人間として重たい課題をつきつけられることなのだ。

さて、恐らく12月18日に最高裁で弁論が開かれると聞いた瞬間に、秋葉原事件の加藤被告も、その意味するところを理解したに違いない。彼は2審から法廷にも姿を見せずに、自分の死も覚悟しているようだし、弁護人以外は家族を含めいっさい外部との接触を断っているようだから、もう自分の運命は受け入れているのだろう。

だからこのブログで二度にわたって彼のメッセージを掲載した時には、まだ加藤被告に社会とのつながりを意識する気持ちが残っていたのを知って逆に驚いた。あれだけの事件を起こしたのだから、死をもって償う覚悟はできているはずだが、12月の弁論そして死刑判決確定という日が近づいたことを、彼はどんなふうに受け止めているのだろうか。

彼がこのブログに寄せた2回目のメッセージは、1回目の時ほど大きな反響を呼ばなかったのだが、刑が確定して社会に言葉を発する権利を失う前に、ぜひもう一度、彼の思いを聞いてみたいと思う。

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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