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現代卓球が凝縮された平野美宇vsシン・ユビンの死闘 パリ五輪女子シングルス準々決勝

伊藤条太卓球コラムニスト
パリ五輪2024女子シングルス準々決勝 平野美宇(写真:ロイター/アフロ)

パリ五輪女子シングルス準々決勝の平野美宇vsシン・ユビン(韓国)は、現代卓球の様々な要素が凝縮された一戦だった。

2年間に渡る過酷な国内選考会で、最後の最後、今年1月の全日本選手権まで同学年のライバル、伊藤美誠と競り合って初のシングルス代表を勝ち取った平野。世界ランキングは13位のため4シードは得られず、2人いる中国選手と準々決勝で当たらないブロックに入る確率は1/2だった。

その1/2を引き当てて、平野が対戦することになったのが、世界ランキング8位のシンだった。弱冠20歳、”韓国の神童”と言われてきた選手だ。平野にとって格上とはいえ、世界ランキング1位の孫穎莎、東京五輪金メダリストの陳夢といった中国選手よりは、はるかに勝機がある相手だ。

シンの戦術は徹底的だった。平野のミドル攻めだ。ミドルとは、卓球台のセンターライン付近のコースを意味する場合もあるが、多くの場合、フォアハンドとバックハンドのどちらで打つか迷うコース、すなわち利き腕の肩付近のコースを指す。0コンマ何秒の時間で打ち返さなければならない卓球では、判断にかかる時間が勝敗を分ける。フォアやバックの遠いボールなら、移動に時間がかかることはあってもどこに移動するかの迷いはない。しかしミドルは迷う。

なおかつ、ミドルのボールを一定水準以上のボールにして打ち返そうとすると、フォアハンドで打つ場合にはバック側に、バックハンドで打つ場合にはフォア側に身体をずらす必要がある。そのずれで位置と体勢が崩れたところに、次を両サイドの遠いところを狙われると対応が難しくなる。これがミドル攻めの定石だ。

ミドルのボールをバック側に身体をずらしながらフォアハンドで打ち返す平野(2022年アジア競技大会)
ミドルのボールをバック側に身体をずらしながらフォアハンドで打ち返す平野(2022年アジア競技大会)写真:西村尚己/アフロスポーツ

ミドル攻めは現代卓球における定石であり、シンが特別な奇策を用いたということではない。しかし、それがあまりにも徹底的だったのだ。当然ながらミドル攻めをやりすぎれば逆に待たれて狙い打ちされるが、シンはまるでそれが卓球のルールででもあるかのように、ほとんどすべてのラリーで最初の攻撃球を平野のミドルに送った。これに対して平野は威力のあるフォアハンドで果敢に攻め続けた。

平野もシンのミドルを攻めることが多かったが、シンの対応は平野とは対照的だった。ほとんどのボールをバックハンドで対応したのだ。バックハンドの威力があり、上背のあるシンは次のボールをバック深く攻められても対応できるためだろう。

ミドルのボールをバックハンドで打ち返すシン・ユビン
ミドルのボールをバックハンドで打ち返すシン・ユビン写真:ロイター/アフロ

序盤はエッジやネットインの不運もあって平野が3ゲームを取られたが、そこからフォアハンド攻撃が決まり出し、驚異的な追い上げで3ゲームを取り返した。

最終ゲームは平野がミドルのボールをフォアハンドでシンのフォアサイドを抜く攻撃が随所で決まり、とうとう10-9とマッチポイントを握った。次の1本は平野が生涯忘れられない1本となっただろう。シンのサービスに対して、平野のチキータがボール半個分だけネットを越えなかったのだ。そこからジュースとなり、最後は11-13でこの大試合に終止符が打たれた。

シンは試合中、常にわずかな笑みを浮かべており、それはマッチポイントを握られても変わらなかった。これは、一般的に思われるような心理的な余裕の表れなどではなく、早田ひなと同じく精神コントロールの方法として意識的に行っているものだろう。ときおり意識的に口角を上げたり、手で顔を揉むような仕草を見せたし、勝った瞬間に泣き崩れたことからもそれがわかる。

勝利の瞬間、一転して泣き崩れたシン・ユビン
勝利の瞬間、一転して泣き崩れたシン・ユビン写真:ロイター/アフロ

そんなシンも、得点をしたときには大きな声を上げて自らを鼓舞したが、試合中、得点しても声を出さなかった場面が2回ある。平野がサービスミスをしたときだ。同様に、シンがサービスミスをしたときには平野も黙した。沸きに沸いた観客も歓声を上げなかった。自分の技量に関係のない相手のミスに喜ぶことを良しとしないのが卓球界のマナーだからである。

卓球のドラマ、戦術、技術、精神コントロール、フェアプレー精神、これら現代卓球の要素が凝縮された見事な試合だった。

卓球コラムニスト

1964年岩手県奥州市生まれ。中学1年から卓球を始め、高校時代に県ベスト8という微妙な戦績を残す。大学時代に卓球ネクラブームの逆風の中「これでもか」というほど卓球に打ち込む。東北大学工学部修士課程修了後、一般企業にて商品設計に従事するも、徐々に卓球への情熱が余り始め、なぜか卓球本の収集を始める。それがきっかけで2004年より専門誌『卓球王国』でコラムの執筆を開始。2018年からフリーとなり、執筆、講演活動に勤しむ。著書『ようこそ卓球地獄へ』『卓球語辞典』他。NHK、日本テレビ、TBS等メディア出演多数。

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