どんなに辛くても、この後もこの家族は生きていく。それが容赦のないリアル。
一昨年の春に公開されたメリル・ストリープ主演の映画『8月の家族たち』。ある事件をきっかけに、オクラホマの荒野の一軒家に集まった家族たちが繰り広げる数日間の大騒動を描いた作品ですが、皆さんご覧になったでしょうか?
メリル演じる薬物依存症の母親が毒舌でまくしたて、堪忍袋の緒が切れたジュリア・ロバーツ演じる長女がメリルにつかみかかり、ベネディクト・カンバーバッチが『シャーロック』とは正反対の繊細なダメ男をアワアワと演じたブラック・コメディです。はい、こちら。
原作はトレイシー・レッツによるピュリッツァー賞、トニー賞5部門受賞の戯曲で、こちらが5月に日本での上演が決定しています。ど迫力のキャストは、こんな感じ!
麻実れいさんのお母さん役、スゴそうです~。というわけで、今回は、その演出を手掛けるケラリーノ・サンドロヴィッチ(KERA)さんにお話を伺ってまいりました。曰く「見どころはキャラクターたちが繰り広げるバトル!」とか。さっそくいってみたいと思います~。
●スリリングな「三姉妹」をクスクス、ニヤニヤ
KERA「原作で最初に魅力を感じたのは、これまで何度もやってきた「三姉妹」という設定です。変な意味ではなく、女優のほうが男優よりスリリングだし、団結か拮抗しかない二人より、ややこしくなる三人の方がバランス感も面白い。あとは群像劇だったことですね。ロバート・アルトマンの『ショートカッツ』とか『プレイヤー』とか、大好きなんですよ。
物語にはシビアな要素が多いんですが、ブロードウェイ上演の映像を見ると「笑いすぎだろ」っていうくらい観客が爆笑してる。シリアスめの演出だった『8月の家族たち』の映画版でさえアメリカ人は笑いながら見たようですが――そういうシニカルさは、日本人にはなかなか理解できないだろうなと。
でも自分が面白いと思った部分をちゃんと形にしていけば、確実にエンタテイメントに仕上がるなとも思いました。ブラック・コメディだし、クスクス、にやにや、たまに爆笑みたいな感じに仕上げられればいいなと。見どころはやっぱり、家族たちが次々と繰り広げる“バトル”ですね」
この作品を語る時、よく「機能不全家族」という言葉が使われますが、その理由は明快です。他人に対して情け容赦ない母親と、母親とソックリゆえに不仲の頭のいい長女、母の介護で婚期を逃した次女、男運のないアーパーな三女、そして唯一穏やかそうに見えて、この家最大の秘密を隠す母の妹――家族には、穏やかさ、冷静さ、大らかさを併せ持つ人はほぼいません(笑)。
●バトルを盛り上げる、「百戦錬磨の俳優」たち
KERA「会話の組み合わせが次々に変わる、それによって様々なカラーの“バトル”が見られて、気づくと終わってる、っていうのが理想です。
例えば次女役の常盤貴子と、彼女に憧れる従兄(映画ではB・カンバーバッチ)役の中村靖日。
靖日は普段は映像をやっていて、いわゆる大劇場に慣れている役者さんではないけれど、貴ちゃんとの組み合わせを想像するとすごくいいなと思うんですよ。それが彼の武器なんですが、顔からしてまるで堂々としてないじゃないですか(笑)。情けない役を作って演じるイケメン俳優よりずっと説得力がある。貴ちゃんの演技を引っ張ってくれることを期待しています。
長女役の秋山菜津子(映画ではJ・ロバーツ)とその夫役の生瀬勝久(映画ではユアン・マクレガー)、おそらく座組の中で最も器用でオールラウンドな俳優二人の組み合わせは、自分の中では、一見一番スリルがない。でも「それは見飽きたからそうじゃなくて」といえば、いくらでも違う方向に持っていける役者ですからね。二人が変われば周りも変わらざるを得ないだろうし、そこを稽古で作り上げていくのも醍醐味です。
稽古がスタートする前、秋山と偶然会ったんですが、「私の役、ずっと怒ってる」って言うんですよ。たしかに彼女の言う通りで、バーバラは終始怒りっぱなし。だけど、単にヒステリックでエキセントリックな女性という作り方をするつもりはなくて、随所随所でお客さんに「私にもこういうところはある」と感情移入してもらえるようにしないといけないと思いますね。
麻実れいさん演じる母親バイオレット(映画ではM・ストリープ)も同じです。
彼女が一人ぼっちになっても、「ざまあみろ」となるのは原作の本意ではありません。観客それぞれに、ほろ苦さや憐れみなど様々な感情がないまぜになって残るようなものにしたいですね」
作品は様々な秘密を抱えた家族の「ある瞬間」を描き、誤解を恐れずに言えば、何一つ解決しないまま終わります。KERAさんがすごく興味を惹かれたのは、実はそのラスト。「救いの手を差し伸べなかったところ」だと言います。
●人生はそういうもの、イージーな決着などない
KERA「あるケースとして“人生にはこういう時もある”と、観客の前にポンと投げ出し、媚びずに終わるのがカッコいいんですよ。もちろん母娘の和解をちょっとでも匂わせれば観客は安心するんだろうけれど、イヤだったんでしょうね。トレイシー・レッツは、そうは描きたくなかった。僕らとしては「嫌ならしょうがない」と原作を肯定して、その中で何らかのニュアンスを残すこと。
どんなに辛くても、この後もこの家族は生きていくんだろうし、もっと言えば、もしここでハッピーエンドに着地したとしても、その先はどうなるか分からない、という意味では同じなんですよね。
僕はカフカ的な実存主義が好きなんですが、人間は死んでしまえばすべてが断ち切られてしまう、あの世に持っていけるものも、一緒に行ける人もいない。僕の作品は、そこを受け入れていくことから、すべて始まっている気がします。
もちろん子供の頃はそりゃ悩みましたよ。ベルイマンの『冬の光』とか見た時なんか、答えのないラストに「これで終わりかよ!」って思って唖然としちゃったし(笑)。でも今は、そうした容赦のなさがリアルだと思うし、そういうもののほうが、作劇のテクニックだけで書かれた娯楽作よりずっと信じられるんです」
この3月には、太宰治の未完の作品を原作に作り上げた『グッドバイ』で、第66回芸術選奨 文部科学大臣賞 演劇部門を受賞したKERAさん。同作品は、第23回読売演劇大賞最優秀作品賞、優秀演出家賞も獲得しています。
●受賞は「今後も好き勝手やっていい」というお墨付き
一昨年、四方田犬彦さんが「ルイス・ブニュエル」という分厚い評論本で受賞されているんですが、僕はあの本が大好きでして。あんな報われないタイプの本を、わき目も振らずに完成させた人を選んだ賞なんだなと思うと、とてもいい賞を頂いた、ありがたいなと思います。
でもウディ・アレンは「称賛の声とかの“見返り”なんてものは、創造的な仕事から時間を奪うだけ。しかも場合によっては、人を間違った優越感や劣等感に導くこともある」とも言っていて(笑)、これは頭の片隅に置いておかないといけないなとも思いますね。
僕は岸田國士戯曲賞の選考委員をやっているんですが、受賞者によく言うのは「“岸田賞作家なんだから”なんて思わずに、むしろ自由にやってほしい」ということ。自分も同じで、受賞は「今後も好き勝手やっていい」というお墨付きだと考え、決意もあらたにやりたいことだけをやり続けようと思います。
1963年東京都生まれ。’82年にバンド「有頂天」を結成し音楽活動を開始。’85年に劇団「健康」を旗揚げ演劇活動を開始。’93年に「ナイロン100℃」を始動。’99年「フローズン・ピーチ」で岸田戯曲賞を受賞し、現在は選考委員を務める。’15年菊田一夫演劇賞を受賞。
http://cubeinc.co.jp/members/prf/012.html
シアターコクーン・オンレパートリー+キューブ 2016
『8月の家族たち August:Osage County』
2016/5/7(土)~5/29(日) Bunkamura シアターコクーン
2016/6/2(木)~6/5(日) 森ノ宮ピロティホールにて
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