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グローバリズムの先兵となるナショナリスト

田中良紹ジャーナリスト

安倍総理がTPPの妥結に意欲を示した。TPPには「数字を越えた意味がある」と述べ、「聖域なき関税撤廃が前提なら参加しない」としていた態度を180度変えた。

ワシントンでは日本側が聖域とする農産物の関税や自動車問題を巡る閣僚協議が山場を迎えており、関税をどこまで下げられるのか、その数字に関心が集まっている。しかしTPPの本質は安倍総理の言う通り「数字を越えた意味」を持つ。

それはアメリカが推し進めるグローバリズムの中核的役割を担っている。冷戦に勝利したアメリカは、世界を自分と同じ価値観で覆う事を正義と考え、その使命を果たすために様々な仕組みを作りだした。

「21世紀はグローバリズムと情報の時代」と言ったのはクリントン大統領だが、1993年の宮沢総理との会談で日米は「年次改革要望書」を交し合う事を決めた。「年次改革要望書」は「規制改革に関する双方の要望」をやり取りするものだが、これまで日本からの要望は実現されず、アメリカからの要望だけが次々に実現した。

その中に郵政民営化があった事は有名だが、それ以外にも建築基準法の改正、労働者派遣法の改正、裁判員制度の導入、法科大学院の設置、独占禁止法の強化などがアメリカの要望に従って実現された。かつて霞が関の官僚は「天の声」である「年次改革要望書」を、最優先の課題として取り組まなければならなかった。

アメリカと異質の日本を解体し、アメリカ流の日本に作り替える事がアメリカの正義である。しかし郵政民営化を巡る政争の中でそれまで知られなかった「年次改革要望書」の存在が明るみに出た。「年次改革要望書」は鳩山政権の誕生で廃止され、それに代わってTPPが登場する事になった。

「年次改革要望書」が二国間の「線」の交渉だったとすれば、TPPは多国間の「面」の交渉になる。冷戦後に「敵性国家」とアメリカが考えたロシア、中国、日本、ドイツのうち、日本の解体が最もうまく進んだことによって、日本を手先に使い、経済成長著しい地域を「面」としてアメリカ流に作り替え、アメリカの利益にすることを考えたのである。

冷戦が終わった時、アメリカには二つの考えが生まれた。アメリカの勝利はアメリカの正義を証明したという考え、それとイデオロギー対立がなくなれば世界は混乱するという考えである。フランシス・フクヤマの『歴史の終わり』は前者を代表し、サミュエル・ハンチントンの『文明の衝突』は後者を代表する。

前者の考えはアメリカにグローバリズムを推進させる根拠を与えた。後者の考えはナショナリズムの台頭と宗教対立や民族対立を予想し、ソ連を対象としてきた諜報機関が拡充されることになった。軍事のみならず経済分野にまで幅を広げ、同盟国も対象とする情報収集活動にアメリカは力を入れる事にした。

冷戦後の現実はナショナリズムの高まりによって世界各地に民族紛争が勃発する事になった。一方、アメリカが正義と信じて推進するグローバリズムもまた、民族の伝統的価値観を破壊するものとして各国のナショナリズムに火をつけた。

グローバリズムによって生み出されたアメリカに対する敵意、その反米ナショナリズムが9・11のテロを生み出したと私は思う。それをアメリカは民主主義という普遍の価値を持たない野蛮な行為だとして「テロとの戦い」を宣言した。アメリカの「テロとの戦い」は民主主義の価値を広めるための戦いなのである。

イラク開戦の前後には、「カミカゼ」攻撃をやった野蛮な日本を、アメリカの占領政策で民主化させたという成功例がワシントンでは繰り返し語られた。しかしイラクは占領されても日本にはならなかった。「鬼畜米英」を叫んだ日本人が一夜にしてアメリカの真似をするようになったのとは訳が違ったのである。

現在問題になっているウクライナ情勢もグローバリズムとナショナリズムの対立と捉えることが出来る。日本のメディはもっぱらロシアのプーチン大統領を強権的なイメージにし、ロシアの軍事介入を批判しているが、私には冷戦後のアメリカのグローバル戦略がウクライナの西欧化を図り、先にロシアを挑発したと見える。

各国の事情などお構いなしに「民主主義という正義」を押し付け、反発すると「民主主義に逆らうのか」と言って制裁を課す。制裁を課された方は力で跳ね返さざるを得なくなる。冷戦後の世界が不安定な理由は、もちろんナショナリズムの台頭もあるが、グローバリズムに挑発されてナショナリズムが目を覚まさせられている側面が大きいと私は思うのである。

冷戦が終わるとナショナリズムの台頭はアジアにも波及した。台湾に独立の気運が生まれ、分断されていた朝鮮半島にも民族を意識する傾向が生まれた。1994年、クリントン政権が北朝鮮の核施設を爆撃する決断をしたとき、韓国政府は「日本の自衛隊機が領空を飛んだら撃ち落とす」と言った。北朝鮮以上の敵が日本という訳だ。

冷戦が終わっても日本にナショナリズムの高まりを感じさせる動きはなく、それを私は不思議に思っていたが、最近になって安倍政権というナショナリズムを標榜する政権が誕生した。中国や韓国と歴史認識や領土問題で激しく対立している。ところがこの政権はナショナリズムを標榜しながら日本の伝統的価値観を破壊する側に回るのである。

私は10年余アメリカ議会を見てアメリカの価値観をそれなりに知っているつもりである。その価値観を否定するつもりはない。国民が納得して生きているならばそれは一つの生き方である。しかし日本という国を見て、その伝統的価値観を考えると、日本がアメリカのような国になれるとは全く思わない。

むしろ日本はアメリカのグローバリズムに反発する中東やヨーロッパ諸国と価値観を共有する国だと思うのである。古来からある日本の価値観を思うと、グローバリズムのお先棒担ぎをやるのは全く美しくない。しかもナショナリズムを標榜する政権がやるというのでは訳が分からない。所詮、強いものにペコペコするだけの似非ナショナリズムだと見られるのではないか。

ジャーナリスト

1969年TBS入社。ドキュメンタリー・ディレクターや放送記者としてロッキード事件、田中角栄、日米摩擦などを取材。90年 米国の政治専門テレビC-SPANの配給権を取得。日本に米議会情報を紹介しながら国会の映像公開を提案。98年CS放送で「国会TV」を開局。07年退職し現在はブログ執筆と政治塾を主宰■オンライン「田中塾」の次回日時:11月24日(日)午後3時から4時半まで。パソコンかスマホでご覧いただけます。世界と日本の政治の動きを講義し、皆様からの質問を受け付けます。参加ご希望の方は https://bit.ly/2WUhRgg までお申し込みください。

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