【ソチ五輪スピードスケート】午(うま)年に羽ばたけ!切り込み隊長は馬産地出身の日豪ハーフ高校生
22年ぶり高校生代表 浦河町からは初の五輪選手
ソチ五輪は8日、各競技が本格的にスタートする。メダルの期待が膨らむ日の丸スピードスケート陣営で、切り込み隊長として男子5000メートルに出場するのが、ウイリアムソン師円。山形中央高校に通う、18歳の新星だ。
スピードスケートで高校生が代表になったのは1992年アルベールビル五輪の白幡圭史(当時釧路商高3年)、糸川敏彦(白樺学園高2年)以来。昨年末のソチ五輪代表選考レースを制して代表の座を射止めた若きスケーターはレース前日の公式練習を終え、「いつもと変わらない。思い切って滑りたい」と意気込みを語った。
馬産地として知られる北海道浦河町で生まれ育った。
父のウイリアムソン・ポールさん(44)はオーストラリア人。オグリキャップやトーカイテイオーといったアイドルホースの登場で競馬ブームに沸いていた1993年、馬の調教者としてシドニーから北海道の牧場へやってきた。当時の馬産地は馬を育てる専門家が少なく、オーストラリアに求人を出していたのだ。そこで事務の仕事をしていた啓子さん(50)と出会って結婚したのが1994年。そして、師円が生まれた。
師円(シエン)とは西部劇映画の名作として知られる『シェーン』から取った名前で、パスポートのローマ字表記はShaneとなっている。ポールさんは「僕の名前があまりに多いので、飽きの来ない名前にしたんです」と笑う。
馬アレルギーでスケートにのめり込む
幼い頃から馬が好きだった師円だが、残念ながら馬アレルギーだった。北海道浦河町では小学校の授業に乗馬を取り入れているが、アレルギーのため授業をこなすだけでも大変だったそうだ。
「僕は馬が好きなので、もしアレルギーじゃなかったらスケートをやっていなかったかもしれない」と師円は言う。
性格は穏やかだが芯の強さはピカイチだ。小1からスケートを始めると、短距離でメキメキ頭角を現した。中3のとき、全中の男子500メートルで3位。高校は、浦河町出身で高校時代に全日本距離別選手権の男子1500メートルで優勝した3学年上の小田卓朗(早大)の後を追って山形中央高に進学した。
同校では、かつて加藤条治を教えていた椿央(ひろし)監督(48)の指導を受けた。だが、次第に短距離には不向きなことが分かってきた。最初は中距離に転向して1000、1500メートルに挑戦。2年のときのインターハイでは2種目とも全国2位になった。だが、監督の慧眼には「長距離の方がもっと適性がありそうだ」と映った。
高3になった昨春、長距離に転向すると、同校が招聘した韓国人の金明碩コーチ(29)の下で鬼特訓を受け、スタミナを強化した。「あのトレーニングがあって成長できた」と話す師円は、夏のカルガリー合宿で五輪を目指せるレベルのタイムを出すことに成功。10月の全日本距離別選手権で3000メートルと5000メートルで優勝し、ワールドカップメンバーに選ばれた。
長距離転向から1年足らずで踏む五輪舞台
持ち味は最後の粘りだ。昨年末の五輪選考レースでも「ラスト2周までは(前の組で滑った選手に)負けていたと思うが、最後の1周で逆転した」と言う。
「ワールドカップを転戦して、自分の力が未熟なのは分かっている。でも、ソチ五輪では日本のトップとして出場する。父からはビリケツでもいいから思い切って滑れと言われた。結果や順位では難しいと思うが、気迫のこもった滑りで後に続く選手たちにつなげたい」
生きの良さでは誰にも負けない18歳は、今春、日本電産サンキョーに進むことが決まっている。同社の先輩である加藤条治、長島圭一郎が金メダルを狙う男子500メートルは10日に行われる。まずは師円が日本に勢いをつける。