セクハラ・性暴力について一番関心が薄いのはテレビ局
9月13日にハフポストに掲載された湊彬子記者による記事「「報ステ」でハラスメント事案。元テレビ朝日報道局員の私が伝えたいこと」を読んだ。
湊記者は大学卒業後にテレビ朝日に入社し報道局員として勤務。その後、朝日新聞に入社し、現在はハフポストに出向中という。
記事で指摘されているのは、先日から報じられている報道ステーションのスタッフによるセクハラ問題について、「外部の報道があった後に、公表する」姿勢が、昨年の元財務事務次官によるテレビ朝日記者に対するセクハラと同じだということ。
さらに、テレ朝関係者の「セクハラ問題の本質を、財務省の一件があった後の今でも、分かっていない人はたくさんいる」といった証言があり、湊記者本人が勤務時に経験したセクハラにも触れられている。
一読して感じるのは、ハラスメントへの意識の低さ。さらにいえば、このような証言はまったく意外だと感じない。
記事内には、「今回の件も権力を持つ側からのセクハラなのに『優秀な人が刺された』という物言いをする人がいる。セクハラ問題の本質を、財務省の一件があった後の今でも、分かっていない人はたくさんいる」という証言があるが、さもありなん。想像に難くない。
今年4月に行われた、マスコミ業界でのセクハラに端を発する院内集会では、メディア関係者から「ジェンダー平等への意識の低さを特に感じる業界は政界とメディア業界。どちらの業界も女性の数が少なく、議論もジェンダー視点に欠ける」と指摘があった。
私は大手マスコミでの勤務経験はなく、業界の内部事情は知らない。ただ、性暴力の取材を続ける中で、メディアの体質、特にテレビ局関係者の姿勢に疑問を覚えることはあった。
たとえば、性暴力に関するシンポジウムや、性暴力の被害者当事者や支援団体が開催する勉強会などは定期的に行われている。そこで顔を合わせるのは、新聞社の女性記者であることが多い。
テレビ局の場合、NHKの記者はいる。いるどころか、複数の部署から何人も来ていたりすることがある。だからといってNHKの番組が必ずしも良いことばかりではないのだが、普段の現場で影の薄い民放とは比べるべくもないとも感じている。
もちろん、刑法改正に関する院内集会や、被害者団体が法務省へ署名提出を行う際などには、各局が取材に来ることが多い。NHKの場合、性暴力の問題に注力してきた記者が現場にいることが多いが、民放の場合、そうではないように見える。
とはいえ、テレビ局の記者は基本的に優秀な人が多く、普段からそのテーマの取材をしていなくても問題を把握する能力は高いのだろうとは思う。ただ民放記者に、普段からシンポジウムなどに参加するような余裕や時間があまりないように見えることは気になる。
ある民放の若い記者から、「うちの局では、これまで性暴力を扱ったことがない」と聞いたことがある。事件があったときにニュースとして取り上げることはあっても、被害抑止のための特集や加害者の心理を分析するような特集を組んだことはない、という意味だ。
性暴力は、基本的に被害者が顔や名前を出して語ることはない。被害者保護のため、被害現場や関連する場所を撮影できないことも多い。また、性暴力を伴う殺人事件の場合でも、遺族が、性暴力があったことを伏せたいと希望することもある。
「絵」がないと番組作りができないテレビにとって、性暴力はそのような理由からも取り上げづらいテーマだという。その一方で、関心の薄さも確実にあるだろうと感じる。
新聞社にしても、そもそも性暴力の取材を行っているのは女性記者が多い、という歪さはあり、「性暴力に関する企画をあげてもデスクがなかなか通さない」「企画会議でセクハラ問題を取材していると言ったら笑いが起こった」などの話も耳にする。
そして、性暴力の企画を通すハードル(あるいは、制作者の関心)は、新聞よりもさらにテレビの方が高い(低い)のだろう。
テレビ局が関心を示すのは、芸能人が加害者となった性犯罪事件が報じられるときだけ。といったら言いすぎかもしれないが、被害者への偏見だったり、二次加害となるような発言がコメンテーターから飛び出すたびに、この問題へのテレビ局の意識の低さを感じる。
その背景に、湊記者が指摘したような体質があるのであれば、まったく意外ではない。
セクハラを含む性暴力は、個人によって認識の差が大きく、さらに自分の属するコミュニティーによって「何が許されるか」が左右されやすい。ザルのような倫理観で報道を続けないでほしい。テレビ局にもハラスメントや性暴力についての興味関心を持ってほしいと思っている。