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W杯へ。内田篤人は「コツコツと」ラストスパートをかける

矢内由美子サッカーとオリンピックを中心に取材するスポーツライター
ベルギー遠征中の内田篤人(写真:アフロ)

悔しさを押し殺したあのとき、彼は22歳だった。

10年6月29日、南アフリカの首都プレトリアで行われたワールドカップ決勝トーナメント1回戦。互いに初のベスト8入りを懸けてぶつかった日本とパラグアイの一戦は、15分ハーフの延長戦を含めた120分の死闘を終えてなお0-0。そして、日本はPK戦の末に敗れ去った。

記憶に鮮明なのは、互いに肩を抱き合い、涙を流し合う選手たちの姿だ。松井大輔、駒野友一。阿部勇樹がいた。闘莉王、中澤佑二、大久保嘉人がいた。

どん底の状態から開き直ってつかんだカメルーン戦の勝利と歓喜。オランダ戦の敗戦と切り替え。デンマーク戦の快勝と咆哮。パラグアイ戦とて、一見不完全燃焼でありながら、冷静に振り返ればやはり完全燃焼だっただろう。岡田ジャパンはあの時点での精一杯の力を出し切って戦いを終えた。

「幸いなことに僕はまだ22歳」

ところが、悔しさと同時にある種の充足感を漂わせて大会を振り返る選手たちの狭間で、感情を奥底に固く握りしめ、一滴も漏らそうとしなかったのが、内田篤人だった。

4試合、出場ゼロ。

内田は、まだ19歳だった08年1月に代表デビューを飾ると、すぐに右サイドバックのレギュラーに抜擢され、ワールドカップ予選では3次予選と最終予選の14試合中11試合に先発出場した。ところが、ワールドカップ3カ月前のバーレーン戦を最後に先発の座を失い、南アフリカでは全4試合を通じてサブメンバーがベンチで着用を義務づけられるビブスを脱ぐことすらなく、全日程を終えた。

心痛は想像に難くなかった。けれども、プレトリアで聞いた内田の声は決して乾ききってはおらず、懸命に振り絞ったのであろう、屈辱をバネにしようというたくましさも感じられた。

内田は言った。

「ベスト16は日韓大会の時と同じ(成績)なので、もうひとつ上に行きたかったですね。僕は幸せなことにまだ22歳。年齢的にはまだチャンスはあると思います。遠藤(保仁)さんも4年前のことがあった。ここからは自分次第。頑張り次第だと思います」

目の前の試合に集中することでメンタルを強めている内田

あれから3年半が過ぎ、内田が身を置くその環境は大きく変わった。

ワールドカップ後の10年夏に鹿島アントラーズを離れ、ブンデスリーガのシャルケへ移籍した。鬼軍曹マガト監督の下、その年の秋頃から右サイドバックで定位置を獲得すると、欧州チャンピオンズリーグでは11試合に出場してクラブ史上初のCLベスト4入りに大きく貢献。細身であるがゆえ、負傷などで苦しむ時期もあったがそれを懸命に乗り越え、3度あった監督交代にもしっかり対応し、全体的に見ればほぼコンスタントに試合に出続けてきた。

シャルケ在籍年数は今シーズンで4シーズン目。鹿島で過ごした時間に近づいている。今シーズンは10月のCLバーゼル戦で中村俊輔を抜いて日本人のCL最多出場記録もマーク。記録は今も試合ごとに更新中だ。

ザックジャパンでは酒井宏樹という若き好敵手も出現しているが、実績ではやはり内田が一歩リードしている。もちろんポジション争いはあるが、目標から逆算するタイプではなく、試合をひとつひとつこなしていくことで実力を加算していくタイプの内田は、目の前の試合に集中することで生まれるメンタルの強さも武器に、次こそはという強い思いを秘めて、ワールドカップへ向かっているのだろうと思わせていた。

「多分、ワールドカップに縁はない」

その内田が思いがけないことを口にしたのは、今年6月、ブラジルであったコンフェデレーションズ杯の試合後だった。グループリーグ最終戦のメキシコ戦を終えた後の取材エリア。1年後、同じブラジルで行われるワールドカップの話題になったときのことだった。

「俺、多分ワールドカップに縁ないから」

その場に居合わせた記者は一様に戸惑いを覚えているようだった。確かに、内田は日ごろから「CLが一番ワクワクする」というようなことを話しているが、ここまで突き放すような言い方はしてこなかった。意外な言葉はさらに続いた。

「そういうのはあるんだよ。縁というか、巡り合わせ。俺の中では覆せない流れ。体と気持ちが強ければいいけどね」

意外だったというのは、ワールドカップをドライに捉えようとすることではなく、「気持ちが強ければいいけど」と言ったことだ。ドイツでもまれた内田は、体が一回り大きくなっただけではなく、メンタルでも相当に図太くなったように見えていた。ザックジャパンで、勝っても負けても飄々としているのは、遠藤保仁か内田かというくらい、気持ちのアップダウンを感じさせないようになっていたからだ。

記者から「ブレないメンタルを持っているように見えるが?」と振られると、内田は首をひねってさらに続けた。

「俺? そうなの? ブレない? そうか…。決して強くないと思うけどね…」

冗談とも本気とも取れる言葉だが、決して軽い響きではなかった。切り返しの質問を当てることを躊躇させるような雰囲気を漂わせながら、「じゃあ、これで」と言って内田は取材エリアを去って行った。

「無駄に過ごしている訳ではない」

惨敗したコンフェデレーションズ杯を終えた後、日本代表はもう一歩上の実力をつけるべく新たな試みにチャレンジしながら、守備陣が逆風を受け、攻撃陣が批判を浴び、それでも11月のベルギー遠征で再び希望の光を示し、2013年の活動を終えた。

2連戦の最初だったオランダ戦に先発した内田は、「1失点目が悔やまれる。バウンドも難しかったけど、うまく対応して失点につなげないことが大事だった。立ち上がりは良かっただけに、自分のミスで勢いが止まってしまったので申し訳ない」と、先制点を与えた場面を反省しつつ、右サイドで攻撃の起点となり、鹿島の後輩である大迫勇也の得点を演出した場面については久々に自画自賛した。

「2点目の場面は俺の中ではイメージどおり。オカちゃん(岡崎慎司)に当てて、落としが来て、大迫が中に入ってきたのがちらっと見えた。ああいう形が増えてくれば、シュートのチャンスは増えてくると思う」

ベルギー日本人学校の児童と記念撮影。一緒に写る香川真司は南アのバックアップメンバーだった(撮影:矢内由美子)
ベルギー日本人学校の児童と記念撮影。一緒に写る香川真司は南アのバックアップメンバーだった(撮影:矢内由美子)

そして、出番のなかったベルギー戦を終えると、7カ月後に待ち受けるワールドカップについて聞かれてこう言った。

「3月(の代表戦)まで期間が空くし、俺は自分のことでいっぱいいっぱい。体と相談しながらやりたいと思う。コツコツやった先にワールドカップがあると思う。もう、コツコツとやるだけ」

内田が6月にブラジルで垣間見せた“弱気”は、代表チームという世界にいる者すべてが永遠に感じ続けなければならない厳しさを雄弁に物語るものなのだろう。自身への期待が強いほど、かなわなかったときの反動が大きいことも知っている。一方で、屈強な男たちとハイスピードでぶつかり合いながら戦うブンデスリーガでは、実際に毎日が精一杯だということも事実だ。だからこそ、こう言える。

「19歳から代表に入っていますけど、やっぱり、無駄に過ごしているわけではないというかね」

南アフリカで悔しさを飲み込んでから3年半がたった。あのときピッチに立てなかった5人の選手の中で、文字通り「幸いなことに」、ザックジャパンに呼ばれ続けているのは内田だけである。

クールに、コツコツと努力を重ねることで目指す舞台を踏む「縁」をつかむ。若くして酸いも甘いも噛み分けてきた25歳は、一滴の水ももらさぬ覚悟を固めているはずだ。

サッカーとオリンピックを中心に取材するスポーツライター

北海道大学卒業後、スポーツ新聞記者を経て、06年からフリーのスポーツライターとして取材活動を始める。サッカー日本代表、Jリーグのほか、体操、スピードスケートなど五輪種目を取材。AJPS(日本スポーツプレス協会)会員。スポーツグラフィックナンバー「Olympic Road」コラム連載中。

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