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強まる「コロナ疲れ」のなかで跋扈する陰謀論やデマ:われわれはどう対応すればよいのか

原田隆之筑波大学教授
(提供:イメージマート)

コロナを巡るデマと陰謀論

 新型コロナウイルス感染症へのワクチン接種反対を主張する団体「神真都Q」(やまとキュー)が、4月初めに都内のクリニックに押し入ってワクチン接種を妨害しようとする事件が起こった。

 このとき、団体のメンバー4人が建造物侵入の容疑で逮捕された後、リーダーとされる男性1人も逮捕され、捜査はまだ続行中である。おそらく、組織的な背景、余罪などの捜査がなされているのだろう。

 事件の直後、私は、陰謀論とは何か、そしてそれを信じやすい人たちにはどのような特徴があるのかなどについて寄稿した(過激化する反ワクチン集団「神真都Q」を放置してはいけない理由)。

 今回は、こうした陰謀論、デマ、誤情報に関して、どのような対処をすべきであるかをもう少し掘り下げて考えてみたい。

 アメリカ疾病予防管理センター(CDC)は、デマ(disinformation)とは意図的に作られ流された誤った情報、誤情報(misinformation)とは意図的ではない誤った情報として区別して定義している。そして、その対処法をまとめて提言している。

 その主な内容は、以下の3つのステップにまとめることができる(以下、デマと誤情報をまとめて「デマ」と呼ぶ)。

  1. デマのモニタリングをする
  2. 人々の声を聴く
  3. 正確な情報を提供する

デマのモニタリングをする

 これは、保健当局や専門家などが、SNSや動画投稿サイトなどを常にモニターして、そこにどのようなデマが投稿されているのか、その内容、発し手、受け手、広がりなどを分析することである。それによっていち早く、デマの発生をとらえ、内容や伝播状況などを分析をし、対処することが可能になる。

人々の声を聴く

 これもまた、日常的に行うべき別のモニタリングである。デマを信じてしまう人々は、どのような点に不安や懸念を抱いているのか、科学的・専門的情報と人々の認識との間にはどのようなギャップや誤解があるのか、デマを流している人やツイートしている人などに対して、こうしたことを批判をさしはさまずに丁寧に聞き取ることが重要である。それによって対処のニーズや方法を明らかにすることができる。

正確な情報を提供する

 情報提供は一方的なものであってはならない。相手に届くように提供しないと、単なる垂れ流しになってしまう。このとき考慮すべきは、伝えるべき情報の内容と伝達方法である。 

 内容について言うと、科学的に正確な情報であればそれでよいわけではない。科学的に正確な情報を、受け手のニーズに合わせることが大切である。

 たとえば、子どもへのワクチン接種に不安を抱いている人に対しては、なぜそのような不安を抱いているのか、そしてどのような認識のギャップがあるのかを分析することが出発点になる。そのために、2の「人々の声を聴く」ことで得られた情報が重要になってくる。

 そして、その不安に共感しつつ、子どもへのワクチン接種がなぜ必要か、それにはどのようなメリット・デメリットがあるのか、安全性はどうか、副反応やその頻度はどうかなど、必要な情報を相手が理解できるように提供しなければならない。

 情報伝達の方法としては、相手に届くようにさまざまなチャンネルを考慮する必要がある。厚生労働省のウエブサイトを閲覧しなければ得られないような情報は、ほとんど役に立たない。なぜなら、デマを信じる人は、政府や専門家に対して大きな不信感を抱いていることが多いからだ。

 そのため、SNS、動画投稿サイト、テレビ番組などを通して、専門家だけでなく、芸能人やアスリートなどのインフルエンサーの活用も効果的である。また、地域のリーダー、かかりつけ医なども重要な情報伝達の担い手である。

デマを放置しないこと

 正確な情報提供と併せて重要なことは、デマを放置するのではなく、丁寧にその都度訂正をしていくことである。荒唐無稽だから、取るに足らない内容だからといって放置しておくと、たちまち人々の不安に付け入って、あっという間にデマが拡散してしまうことになる。

 「神真都Q」においても、そのメンバーの間では、あまりにも荒唐無稽で馬鹿馬鹿しいデマが信じられ共有されていたことに驚かされる。たとえば、この世は闇の勢力である「ディープ・ステート」によって支配されており、コロナやワクチンもその陰謀で、人口削減が目的である。したがって「光の勢力」である「神真都Q」が悪を駆逐するのだ、などといった内容である。

 これを真に受けて、大の大人が自らを「光の戦士」などと称して、彼らなりの「正義感」によって、ワクチン接種妨害という行為に及んだのである。馬鹿馬鹿しいと呆れるの簡単だが、これは実際に起こったことである。

 とはいえ、こうしたことは、われわれはすでにオウム真理教事件のときに経験済みではなかったか。あのときも、世界にはハルマゲドン(終末)が迫っており、最終解脱者であり超能力者である「麻原尊師」こそが救済者である、それを妨害する国家権力や人々はポア(殺害)してもよいなどという荒唐無稽な「教義」に従って、あのような大事件が起こしたのである。

 事実、今回の事件を受けて、オウムの元幹部であった上祐史浩氏は、ツイッターで私の前回の記事などを紹介しつつ、「深刻な犯罪には至っていない88年末のオウムと似ているように思う」「陰謀論にはまり一心になると(陰謀論が説く)巨悪こそが法を犯し、大量の人命を奪うと思い込み、とめるには自分達も法を犯すしかない(戦うしかない)と思い込む恐れがあ」るなどと述べている。

 過激な主張をする集団において、正義や目的のためなら手段を選ばないという思想が見え始めると、ほぼ確実に過激な行動へとエスカレートする。それにもかかわらず、過去の教訓を忘れて、われわれの社会は、デマや陰謀論のモニターと素早い対処という重要な作業を放置していたのである。

 過激化の兆候が見られたならば、彼らが流すデマや陰謀論について、その意図、戦術などを分析する必要がある。彼らが、どのような人々をターゲットにしているのか、組織の真の目的は何か、目的達成のために何をしようとしているのか、指揮命令系統はどうなっているのかなど、これは保健当局だけではなく、警察・公安当局などが協働して分析と対策をすることが望まれる。

デマを生む土壌

 長引くコロナ禍のなかで、世界中で「コロナ疲れ」が指摘されている。コロナという病気だけでなく、自粛、マスク着用、ワクチン接種などにも嫌気が差し、政府や専門家からの要請に反対する人々が増えてきた。特に、子どもへのワクチン接種については、大きな不安や懸念を抱いている人も少なくない。

 こうした心情を背景に、科学的エビデンスを軽視し、もっぱら感情に基づいて様々な主張をする人々が増加し、その一部が過激化しているのが現状である。

 もちろん、どのような主張をすることも自由である。しかし、単なる感情的な動機や陰謀論に基づいてエビデンスを否定するのであれば、それは違法ではなくても、「有害」であるとCDCは警告している。

 たとえば、コロナの初期にもさまざまなデマや誤情報が流されたが、WHOによれば2020年の1-3月の間に、デマによる健康被害で入院した人は、世界で少なくとも6000人おり、亡くなった人も800人はいるとのことである。

 さらに、アメリカ国立衛生研究所(NIH)のコリンズ前所長は、辞任の際にTime誌のインタビューに答えて、コロナワクチンを巡るデマや陰謀論で、全米で10万人以上がなくなったと推計されると述べている。

 認可されていない「治療薬」の乱用、素人療法、ワクチン接種や治療の拒否、これらはいずれも本人への健康被害だけでなく、その家族、身近な人々、そして社会全体への脅威となる。そして、デマを信じる人々が、それを周囲に押しつけたり、今回のように実力行使に出たのであれば、社会的脅威はとてつもなく大きなものとなる。

事件から学ぶべきことは?

 今回の事件で、政府は、こうしたことへの対策を怠ってきたことへの反省が必要である。マスメディアも、監視的役割を果たしたとは言い難い。

 また、専門家や医療従事者は、不安や懸念を口にする人々を軽視したり、頭ごなしに否定しようとしたりすることはなかったか、そのとき相手への敬意を欠いたところなかったか、それを改めて反省する必要があるだろう。

 一方、陰謀論を信じ込んだり、デマを安易に信じてしまった人々はもちろんのこと、われわれ一人ひとりも、科学的な情報を受け取る際に、ただそれらを真に受けたり、逆に頭ごなしに否定したりするのではなく、情報を吟味することの重要性を改めて理解すべきであろう。

 コロナに疲れたからといって、あるいは不安や不満が鬱積しているからといって、「コロナは存在しない」「恐れるに足るものではない」「ワクチンなど必要ない」などと否定することはたやすい。しかし、言うまでもなく、それは一時しのぎの逃避にすぎないし、真実からは遠く離れてしまっている。

 人は不安になったとき、信じたいものを信じてしまう傾向にある。そこに陰謀論やカルトが付け込んでくる。

 真実を知るには努力が必要だ。陰謀論を信じた人たちは、真実に近づくために「知的な手抜き」をした人々である。聞きたくない情報に耳を塞ぎ、気持ちを楽にするために安易な情報に飛びついて、絡めとられてしまった人々である。

 情報が溢れる現代において、メディアから流れてくる情報や、SNSや誰かから教わった知識が正しいか間違っているかを見分ける力がなければ、社会で生き抜くことは難しくなる一方である。これが科学的リテラシーを磨くことが必要な理由である。

 事実はときにはにがいものである。それが自らの希望とは異なることがしばしばある。それを覚悟し、希望と事実を混ぜない冷静さと強さが必要である。

筑波大学教授

筑波大学教授,東京大学客員教授。博士(保健学)。専門は, 臨床心理学,犯罪心理学,精神保健学。法務省,国連薬物・犯罪事務所(UNODC)勤務を経て,現職。エビデンスに基づく依存症の臨床と理解,犯罪や社会問題の分析と治療がテーマです。疑似科学や根拠のない言説を排して,犯罪,依存症,社会問題などさまざまな社会的「事件」に対する科学的な理解を目指します。主な著書に「あなたもきっと依存症」(文春新書)「子どもを虐待から守る科学」(金剛出版)「痴漢外来:性犯罪と闘う科学」「サイコパスの真実」「入門 犯罪心理学」(いずれもちくま新書),「心理職のためのエビデンス・ベイスト・プラクティス入門」(金剛出版)。

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