「タイパ」を過剰に重んじる若者たちに「無駄な時間」の意味を教えたい
■「タイパ」を過剰に重んじる若者たち
タイパ(タイムパフォーマンス)を重んじる人たちが増えている。とくにZ世代の若者たちだ。YouTubeの動画を2倍速で視聴したり、歌を聴くときもイントロをカットして聴いたり。
コスパ(コストパフォーマンス)の時間バージョンと呼んだらいいか。短い時間で、より多くのものを得たい、楽しみたいという思考だ。小学校のころから空手道や剣道を、社会人になってからは和太鼓をやってきた私にとっては、なかなか共感しづらい価値観だ。
剣道や和太鼓といった日本文化的なものには、「間(ま)」とか「間合い」を重んじる思想がある。
一見「ムダ」や「遊び」のように見える部分が、実は代えがたい価値であったりするのだ。
長々とセリフのないシーンがあって、はじめてその映画の深みを味わえることもある。早回しで鑑賞してしまっては、その価値が伝わらないこともあるだろう。音楽などもそうだし、書籍を読むときもそうだ。
ただ、「生産性」という点でいえば、私たちのような昭和世代が見習うことは、とても多い。
私も出張先で美味しいものを食べたい、ちょっと寄り道して近代建築を楽しみたい。そんな欲求があるとき、こういった発想を取り入れる。
先日も、宇都宮へ出張したときのこと。その時間帯で最も空いている餃子店をアプリで調べ、新幹線を待つ25分間で美味しい餃子を堪能した。
これも「タイパ」と呼べるのではないか。アプリやネットサービスを効果的に使うことで、短時間で高い満足感を得られる。
ただ、このことを同世代の人に話すと、
「はじめていった出張先で、偶然入った店がとても美味しかった、ということもあるではないか」
「それこそが出張の醍醐味だ」
と言われてしまった。
「25分しかなかったら、駅の立ち食いソバを食べろ」
といった意見もあった。この辺りは、価値観の違いだろうか。
■タイパは「Easy come,easy go」なのか?
昨今、ビジネスの現場ではどんな企業の課題も「生産性」である。より少ない投資で、より多くのリターンを得る。そのためにはどうしたらいいのか。どんな企業も知恵を絞って、生産性アップに取り組んでいる。
だが、「生産性を上げること」と「タイパを重視すること」とは少しニュアンスが違うように思う。
あってもなくても、どちらでもいいものならともかく、「タイパ」は大事なものまで省略している気がするのだ。
先述した「映画のシーン」や「歌のイントロ」をカットすることもそうだ。書籍の主要な部分だけを味わおうとすることも、そう。
ドアを開けたら、一瞬にして行きたい場所へ行けたとして、はたして、それでありがたみを感じられるだろうか。
獲得するために費やした時間が長ければ長いほど、それを維持しようとする時間も長くなる、という法則がある。
この逆が、いわゆる「Easy come,easy go」――(カンタンに入ってくるものは、すぐに出ていく)だ。
苦労せずに手に入れたお金は大事にしない。「どこでもドア」のようなツールで行きたい観光地へ行けたとしても、そこでの思い出はすぐに忘れてしまうだろう。
だから何かを得たいと思ったら、ちょっとぐらい遠回りして苦労したほうがいいのかもしれない。
■タイパを意識したコミュニケーション手段はアリ?
「インスタのDMのほうが連絡つきます」
ある営業部長が、このメールを読んで驚いていた。新入社員からのメールだった。
「インスタグラムのアカウントは持ってますが、わざわざ相手に合わせて連絡手段を変えるべきですか?」
と憤っている。
ビジネスメールは、メールの本文に宛先や挨拶文を挿入することが通例だ。テンプレート化すれば、効率よくメールは書ける。しかしSNSや、LINE、Slackといったメッセージアプリを使えば、そのような「前置き」などは省略できる。
短文やスタンプでもやり取りできるし「タイパ」には、もってこいだ。ビジネス利用も進んでいる。
営業部長の言い分も、わからないでもない。だが、
「コミュニケーション手段は、メールに限る」
という時代ではなくなった。メール以外のコミュニケーション手段で連絡を取りたがるお客様も増えている。
会議や研修なども、そうだ。オンラインが完全に普及している。
「リアルでしか会議しない」
「リアル会場でのセミナーや研修しか受けない」
という発想は、「タイパ」とか、そういう次元の話ではない。古いし、何よりも生産性が悪い。
マルチメディア・マルチコミュニケーションの時代である。多様化するコミュニケーション手段にも対応していかなければならない。
■入社式も新人研修も「タイパ」?
とはいえ「タイパ」もケースバイケースである。リアルコミュニケーションも重要であり、目的次第で柔軟に取り入れるべきだ。
以前、
「入社式にオンラン参加したい」
と要求してきた新入社員の話を聞いた。新型コロナウイルス感染症の影響で、緊急事態宣言が出たころの話なら仕方がない。
しかし、コロナもずいぶんと落ち着いた時期だった。特殊な事情があるならともかく、その新入社員の言い分が、
「出社する理由がわからない」
だったため、説得してリアルの入社式に参加してもらったという。ただ、その後も
「新入社員研修もオンラインで参加したい」
「WEB教材で学ぶからいい」
と言いだした。同期入社の新人たちとLINEを交換し、新入社員20名のうち6名が、
「わざわざリアルで集まって、挨拶の仕方や、名刺交換、ビジネスマナーを学ぶなんて効率が悪すぎる」
と訴えてきたのだ。これには、研修を企画した人事部も頭を抱えた。
会社説明会も、採用面談も、入社手続きも、すべてオンラインで実施し、日ごろのコミュニケーションもLINEでやり取りしてきた。だから入社したとたんに、
「すべてリアル」
と言われると、
「タイパが悪すぎる」
と感じるのだろう。
■実は意味のある「無駄な時間」と「無駄な会話」
それでは、リアルコミュニケーションは、どんなときに必要なのか?
いろいろなケースがあるが、必ず知っておいてもらいたいことがある。それは、相手と関係ができない間は、少し「無駄」や「遊び」の時間があったほうがいい、ということだ。「無駄」や「遊び」のある、リアルコミュニケーションのほうが、お互いの距離が近くなるスピードははやい。
たとえば、お客様を訪問し、受付で挨拶してからミーティングルームに通されるまでの間は、一見「無駄な時間」だ。オンラインミーティングにすれば、そんな時間を省略できる。
しかし、その「無駄な時間」が有効なときもあるのだ。
エレベーターでばったり会った瞬間であったり、ミーティングルームへ一緒に歩いている最中は、お互い肩の力が抜けている。それぞれ隙を見せられる「間(ま)」なのである。
「今日は暑いですね」
「いや、本当に」
「私の娘が、ぼやいてました。あ、実は、私の娘が柔道部でして」
「柔道部ですか!」
「暑い日の稽古は、しんどいらしいのですよ」
「それはそれは」
こういうタイミングで交わす会話が、お互いの距離を縮めるものだ。「無駄な時間」がない限り「無駄な会話」ができないのである。
このような一見「無駄」「意味ない」と思われそうな時間にも、実は重要な意味があったりする。
要件がほとんど書かれていない、挨拶だけのメール、手紙も、昔と変わらず大事なのだ。どんなにIT技術やAIが進化しても、人間と人間との信頼関係は変わらず重要だ。いや、昔以上に大事になってきているとさえ感じる。だから「タイパ」を意識して切り捨ててはいけないこともあるのだ。