「一生に一度は滞在してもらいたい」プロ目線で選ぶ今年のベストホテル(海外編)
今年のホテル取材で最も待ちこがれたのが、ラッフルズ シンガポール(以下ラッフルズ)のリニューアルオープンだった。2017年に改装のため休館。客室、レストラン、アーケードなど大々的にアップグレードを施し、新生ラッフルズとして再オープンしたのが今年8月。タイミングをみて9月末に訪れた。
スエズ運河開通による欧州からアジアへの航路の拡大、経済成長をみこしてペルシャ(現イラン)からシンガポールへ移り住んだ4人の若きサーキーズ兄弟が古いバンガローをゆずり受け、「ラッフルズ・ホテル」として開業したのが1887年9月のこと。開業当時の客室数はわずか10部屋だった。
1890年にバンガローの両脇に2階建ての建物などを増築。さらにパームコート・ウイングを増設してホテル規模を広げていった。客室はバスルーム、ベランダなどを備えシンガポールに滞在する賓客たちを魅了。1889年に現存する本館が完成。ネオ・ルネッサンス様式とコロニアルさを調和させた優美な姿だけでなくシンガポール初の電気照明、フランス料理レストランなど最高級の設備とサービスで上流階級の社交場として認知されていった。ちなみにラッフルズという名前はイギリスの植民地行政官であり「シンガポールの建設者」として知られるトーマス・ラッフルズ卿にちなんでつけられた。ホテル・アーケード中庭にラッフルズの胸像がある。
今回のラッフルズ シンガポールの改装は、「伝統の再構築」だと感じた。
歴史的建造物である本館外観をはじめ、客室、レストラン、パブリックエリアなど以前の美しい面影はしっかりと残され、クラシックエレガンスの粋が随所に宿るたたずまいは健全。長年のゲストたちを安堵させた。
客室は103から115部屋に増え、あらたに「レジデンススイート」「プロムナードスイート」「スタジオスイート」というカテゴリーが加わった。ラッフルズ名物ともいえる滞在著名人への敬意をこめてそれぞれの名前を冠した「パーソナルスイート」も名前はそのままに刷新された。
しかし、冒頭で紹介したシャンデリアなど、ところどころに繊細でソフィスティケートされた演出が施されていることに気づく。レジデンスオンリー(ラッフルズでは宿泊客をゲストではなくレジデンスと呼ぶ)の2、3階の壁に描かれたモダンアートなどもそのひとつ。化粧でいえばくすみが取れてワントーン透明感が上がったといったところだろうか。今までと変わらない、けれどどこか新鮮な魅力も感じる。それは長年にわたってラッフルズを愛してきた常連ゲストからのコメントにもポジティブに反映されているという。
「ご常連のみなさんからは今までどおりのラッフルズらしさがありつつ、新しい空間の魅力も生まれ、とてもいいと好意的なコメントをいただいています」とクリスチャン・ウェストベルト総支配人は語ってくれた。
「ベルマンからバトラーやフロント、レストランチームまで今まで変わらない顔ぶれでお迎えしていますし、建物の雰囲気などは改装前とほぼ変わりません。それでいて、新しさもある。クラシックだけれどはつらつとし、さまざまな人が行き交うホテルの魅力を最大限に表現した空間でもある。それはまさに「今」のシンガポールにふさわしいラッフルズの在り方だと思っています」
ウェストベルト総支配人の話を聞きながら、今年、同じように再開をしたThe Okura Tokyo(旧:ホテルオークラ東京)を思い出していた。オークラも「まるでデジャブ感」と誰かが評していたが、改装されてもなお、ロビー周辺には往年の雰囲気を色濃く残す演出が施されている。ラッフルズにしてもオークラにしても「何を残すべきか」を確実に見極めているのだと感じた。歴史ある名門ホテルが導き出した回答が同じであることがとても印象深い。
「何を残すべきか」を熟知しているラッフルズが、では、一大改装で「何を変えた」のだろうか。
それは大幅なレストラン施設の入れ替えとイメージの刷新だった。インタビュー中、最も驚いたのが有名なラッフルズ発祥のカクテル「シンガポールスリング」のレシピを変えたと言われたときだ。
シンガポールスリングは1915年、ラッフルズのバーテンダーだった嚴崇文(Ngiam Tong Boon)によって生み出された。ジンベースにパイナップルジュース、ライムジュース、キュラソー、ベネディクティンにグレナデンシロップを加え、チェリーリキュールで見た目も愛らしいバラ色のカクテルだ。
当時、女性が公共の場でアルコールをたしなむことはタブー視されていた。そこでバーテンダーが女性が飲んでも違和感のないジュースのような見た目のシンガポールスリングを発案。これが大ブームとなり今ではラッフルズの伝説的な名物になっている。その歴史あるレシピを今回、ガラリと変え、新しいシンガポールスリングを提案したというのだから大胆だ。
「その当時は砂糖を使うというのはとても贅沢なことでした。女性に向けたカクテルでもあり、シンガポールスリングが甘味が強いのはそういう背景があるからです。でも、時代は変わりました。今はより素材重視でオーガニックやサスティナブルなものが好まれています。だからレシピをリフレッシュさせる時期だと判断したのです」
新しいレシピではボタニカル系のクラフトジンを使用、よりスパイシーで複雑な風味を表現。また、バラ色にするために加えているザクロ果汁のグレナデンシロップも着色なしのオールナチュラルなタイプに変更している。カクテルの色がかなり変わったのはこのためだ。
シンガポールスリングを提供する「ロングバー」ではこの新しいバージョンを飲むことはもちろん、以前のオリジナルレシピのものも注文できるので飲み比べてみるのも楽しいだろう。
メインダイニングとして登場したのは、「ラ・ダム・ドゥ・ピック」。世界的な女性トップシェフで、計7つのミシュラン星を獲得したアンヌ・ソフィー・ピックのアジア初のレストランとして話題をさらっている。繊細で複雑な香りと味を得意とする彼女が、シンガポールやアジアのエキゾチックな食材に触発されたクリエイティブなメニューが興味深い。
また、「BBB バイ・アラン・デュカス」は日本でも人気の高いミシュランスターシェフ、アラン・デュカスによるグリルレストラン。自身初となる「シェア&グリル」をコンセプトにしたカジュアルなダイニング施設で、家族連れやグループでにぎわっている。
ホテルの施設であるアーケードにも新しいレストランが登場した。「イー・バイ・ジェレミー・レオン」はモダン中国料理の第一人者とされるジェレミー・レオンが監修。コンテンポラリーなデザイン空間とひねりの効いた斬新な中国料理を提供する。
このように、今回最も大きく変化をしたのがレストラン&バーだった。そこには新しいマーケット層をねらうホテルの戦略が透けてみえる。
ラッフルズ シンガポールの重要な顧客は高級ホテルを日常使いする地元シンガポールの富裕層だ。ご婦人がたのお茶会から家族での食事、さらに大人数のウェディングやパーティなど、ホテルにとって欠かせない重要なマーケットだといえる。そのマーケットを見据えた先に狙うべきは次世代。未来の重要な顧客になってくれる次世代を取り込むことはラッフルズに限らず世界中の高級ホテルが実践するセオリー。今までは祖父母や両親と来ていたホテルに、彼氏・彼女、あるいは同世代の友人や同僚たちと来てもらうために彼ら好みの最先端なレストランやバーを設けるのは極めて有効だ。「変えないもの」と「変えるべきもの」の采配、バランスの妙は、ホテル側がきちんとラッフルズというブランドを理解しているからこそできるものだと感心する。
ちなみに宿泊マーケットのNo.1は英国、No.2は意外にも日本だ。クラシックエレガンス、名門ホテルという存在は上質なサービスや空間を評価する日本人にきっちり訴求するということがわかる。日本人スタッフはゲストリレーションなど7名(2019年9月取材当時)と充実、日本人向けのサービスは手厚い。2014年からは日本を代表するクラシックホテルのひとつ、東京ステーションホテルと連携し同ホテルのスタッフ研修を受け入れている。
一流の品格とラグジュアリーさ。そして未来を見据えたビジネスマインドのバランス感覚を発揮した今回の改装。変わらない細やかなサービスと共にラッフルズ シンガポールの真価をみた思いだった。一度は滞在してもらいたい、そう思う2019年ベストホテルだと思っている。