ノート(78) 強制捜査に向けた極秘の着手報告書までも 情報を求めるマスコミ対応の苦慮
~回顧編(3)
勾留27日目(続)
オープンリーチ
事件そのものはシンプルでも、一時代を築いた著名人が主役ということで、マスコミの関心も極めて高かった。これまでの事件と全く様相を異にしていたのは、芸能マスコミまでもが関係者の周辺を嗅ぎ回っていたことだ。
逮捕当日の朝刊は、一般紙からスポーツ紙に至るまで、全てが一面トップであり、特捜部としても初めての事態だった。捜査主任であり、かつ、音楽プロデューサーの取調べを担当しているのが僕だということも、マスコミには完全にバレていた。
ただ、僕のところには夜討ち朝駆けはなかった。確かに、若手検事の時代から、強制捜査着手前の盛り上がった時期になると、必ず官舎周辺で記者に直撃されたり、退庁時などに尾行されたり、夜食をとるために入った飲食店の前で待ち伏せされたりしていた。しかし、彼らとの接触など百害あって一利なし、というのが持論だった。
乗った電車から扉が閉まる直前に下りるなどし、彼らを巻いた時期もあった。最終的にたどり着いたのが、庁舎外ではイヤホンで両耳をふさいだ上でハードロックをガンガンに鳴らし、彼らが何を話してきても全く聞こえないようにし、完全に無視するというやり方だった。
こうした無愛想でマスコミ嫌いな僕の態度は、既に記者らに広く知れ渡っていた。その上、地検では、幹部、特に次席検事や特捜部長らが積極的にマスコミと対応し、情報発信をしており、わざわざ僕のところに来て無駄足を踏まなくても、それなりの記事が書けていたというわけだ。
記者は他社が横並びで報じたニュースを自社だけ報道できずに落としてしまう「特オチ」や、自社だけ取材を拒否される「出禁」を恐れる。検察幹部はこうした習性を利用し、上手くメディアをコントロールしていた。
幹部らが特に対応に気を使っていたのは、視聴者数や読者数が多く、社会に与える影響力も大きいNHK、読売新聞、朝日新聞の3社だった。産経新聞は黙っていても検察寄りだし、毎日新聞やフリージャーナリスト、週刊誌などは初めから眼中になかった。
着報まで漏れる
この詐欺事件では、着手当日、「着報」の内容が読売新聞にそのまま報じられ、検察内で大騒ぎになった。着手に向けた決裁の際に僕が幹部らに上げるとともに、捜査員や資料課の主要メンバーに配布し、事案説明などに使った着手報告書と呼ばれる極秘の書面だ。
記事を読むと、事件の詳しい経緯や関係者間の具体的な言葉のやり取りまでもが事細かに記載されていた。
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