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サントリー時代に対戦。永友洋司、神戸製鋼・平尾誠二さんの思い出語る。【ラグビー旬な一問一答】

向風見也ラグビーライター
明治大学時代も、日本選手権で平尾さんら神戸製鋼と対戦。(写真:山田真市/アフロ)

日本代表の司令塔や監督を務め、所属する神戸製鋼の主軸として7年連続での日本一を達成した平尾誠二さんが、10月20日、亡くなった。かねて重病とされていた。53歳だった。

「ミスターラグビー」と謳われる平尾さんのニュースは、楕円球界に衝撃を与えた。22、23日におこなわれた日本最高峰ラグビートップリーグ第8節の試合会場では、半旗が掲げられた。

現在はトップリーグのキヤノンで監督を務める永友洋司も、この報せに大きく悲しんだ1人だ。現役時代はスクラムハーフとして、明治大学、サントリーでプレーした45歳だ。

1995年度の第48回全国社会人大会決勝トーナメント1回戦では、サントリーの一員として、平尾さんが選手兼ヘッドコーチだった神戸製鋼と対戦。サントリーに17―17と引き分けに終わったが、トライ数で上回ったためにサントリーが準決勝進出。ノーサイド直前に同点ペナルティーゴールを決めたのが永友だった。神戸製鋼の連覇記録を7で止めた瞬間だった。

22日、東京・町田市立陸上競技場でパナソニックに16―29で敗戦後、公式会見で思いを明かした。

以下、一問一答の一部(編集箇所あり)。

「ちょうど1年前、平尾さんとお話をさせていただきました。その頃は『痩せられましたね』とお声をおかけしたら『ダイエット中なんだよね』みたいなことを仰っていました…。キヤノンについても『いいチームになったな』と言っていただき、アドバイスもいただきました。神戸製鋼だけでなく、他のチームのレベルアップにつながる声をかけていただいたと思っています。このたびの哀しみのお知らせは残念です」

――同じ指導者として、平尾さんをどう見ていましたか。

「私自身は、平尾さんが代表監督になった時に候補合宿で声をかけていただきました。個を育てる力に長けた指導者だったと思っています。状況判断、ラグビーの考え方や観方について、素晴らしいコーチングをされていた」

――現役時代の思い出。

「私が9番(スクラムハーフ)、平尾さん12番(インサイドセンター)。お互いにボールをタッチすることの多いポジションで(せめぎ合った)。当時から自分なりに相手を分析をしていたんですが、平尾さんは分析通りとは全く違うプレーをしてきた印象が強いです。状況に応じてゲームを作られる…。勉強になりましたね」

ラグビーライター

1982年、富山県生まれ。成城大学文芸学部芸術学科卒。2006年に独立し、おもにラグビーのリポートやコラムを「ラグビーマガジン」「ラグビーリパブリック」「FRIDAY DIGITAL」などに寄稿。ラグビー技術本の構成やトークイベントの企画・司会もおこなう。著書に『ジャパンのために 日本ラグビー9人の肖像』(論創社)『サンウルブズの挑戦 スーパーラグビー――闘う狼たちの記録』(双葉社)。共著に『ラグビー・エクスプレス イングランド経由日本行き』(双葉社)など。

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