なぜテレワークをしている人は「長時間労働」になってしまうのか?
そもそもテレワークとは何か?
働き方改革の一環として、「テレワークの推進」があります。テレワークとは、「テレ=離れた場所」「ワーク=働く」を足した造語。インターネットを活用して、場所や時間にとらわれない柔軟な働き方を指しています。よく「テレワーク=在宅勤務」という表記を目にしますが、移動中や、カフェ、サテライトオフィスでの仕事も「テレワーク」と呼びます。
テレワークのメリットは、今さら解説する必要はないでしょう。柔軟な働き方、多様な働き方を推し進めるうえで欠かせないスタイルです。ただ、2017年に公表された総務省の「通信利用動向調査」によると、企業のテレワーク導入率は13.3%。国交省の「テレワーク人口実態調査」でテレワーカーの割合は7.7%と、数字を見るかぎりでは決して普及しているとは言いがたい。それどころかテレワークを導入している企業数が減っているという調査報告もあります。日本においてテレワークは、一部の特殊な業務にしか適用できないからでしょうか?
私は文化的な側面が大きいと考えています。
テレワーカーは長時間労働になる?
出張が多い私は、いつも移動中に仕事をしています。新幹線のなか、空港、ホテル、カフェ、自宅……。座るところがあればパソコンを開いて執筆をしたり、メールを書いたりします。駅のホームで立っているとき、顧客先にむかって歩いているときは電話。満員電車で立っているときでも、メモを書いたり、スマホでメールをチェックしたりします……。まさに、スーパーテレワーカーと言えるでしょう。
人材教育も、いまやテレワークの時代です。研修講師が収録した動画を、仕事の合間に視聴し、研修報告書を提出させる企業が増えています。私自身も、研修動画を作成し、クライアント企業へおさめていますし、反対に、私自身も動画で研修を受講します。
どこにいようが座っていたらパソコンを開く。立っているときは研修動画を視聴する。歩いていたら電話をする……という生活を送っていると、時間間隔がマヒします。朝から晩まで、どこからどこまで仕事なのか、わからなくなるのです。ただ、私は経営者であり、ビジネス書作家であり、コラムニストという側面があるので、このような働き方になって当然と言えるでしょう。
しかしながら、新幹線のなか、空港でのロビー、カフェ、ホテルの待合室など……。いたるところでパソコンを開いたり、スマホで電話をかけたりしているビジネスパーソンを見かけます。おそらく家に帰っても、ホテルに戻っても、同じように延々とやっているでしょう。特殊な仕事でもないはずなのに、なぜそんなに忙しいのだろうか。そんなにやることが多いのだろうかと、不思議に思います。
いずれにしても、テレワークというスタイルを、自分の働き方にインストールすると、間違いなく「長時間労働」になります。自宅でしか仕事をしない「在宅勤務」で、かなり自分を律することができれば、生産性の高い仕事ができます。しかし、そこまで自分を統制することは難しいでしょう。朝起きてからすぐメールをチェックしたり返信したり、移動している最中も上司や部下に電話で話したり、週末でも家で企画書や提案書を書いたりするようになれば、総労働時間はかなり多くなるはずです。
良いか悪いかの問題ではなく、これは一種の「クセ」。いつの間にかそれが「あたりまえ」になっていきます。
適度な緊張感が生産性を高めるという心理法則を「ヤーキーズ・ドットソンの法則」と言います。労働生産性という視点からみれば、この法則は無視できません。好きか嫌いかではなく、会社員らしい服装をし、決められた時間に、上司や同僚の目の届く場所で働くほうが、圧倒的に生産性は高くなるものです。
テレワーカーになった瞬間、退社時間という、誰もが知っている「締め切り」という概念を手放すことになる。このインパクトは計り知れないほど大きいと言えるでしょう。本来であれば1時間で終わる仕事を、なんとなく中途半端に終わらせ、「帰宅してからやればいい」「ホテルでまた続きをするか」「帰りの新幹線で挽回しよう」などと、ついつい思ってしまうものだからです。
この思考のクセをなくすには、自己管理を徹底すべきです。しかもテレワーカーは個人個人で働くスタイルが違いますから、他人の自己管理術が参考になりません。自分で管理手法を設計し、自分が自分のマネジャーとなって自己管理ツールを運用します。私なら、考えただけでも疲れてきます。したがって、特殊な事情でないかぎり、そのような面倒なことをしたくない人は、普通にオフィスに出勤して働いたほうがよいでしょう。
長いモノに巻かれる性格の人が多い日本人は、長いモノに巻かれて仕事をしたほうがいいのです。生産性が高くなり、労働時間も減ることでしょう。テレワーク制度を企業に導入することは、もちろん賛成です。しかし、万人向けではないことは確かです。