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平安京さんぽシリーズ⑨ 豊臣秀吉の変革を今に伝える「旧五条通」を歩く(前編)

山村純也京都の魅力を発信する「らくたび」代表
松原通(旧五条通)沿いにある六道珍皇寺 (※以下の写真も全て筆者が撮影)

 現在の五条通は平安京の「六条坊門小路」にあたる。天下を統一した豊臣秀吉によって、秀吉創建の方広寺へ向かう利便性を図って建造された大橋が「五条大橋」と命名されたことにより、「六条坊門小路」は「五条通」と名を変えて拡張された。

 よって平安京の五条大路は名前を取られたことによって「松原通」と改名し、現在に至っている。現在も東端は清水寺へと続いているように、平安時代から清水寺や六道珍皇寺、六波羅蜜寺への参詣路として賑わいを保ってきた。

 今回の旧五条通(現在の松原通)の散策は、観音信仰の中心となった清水寺からスタートしよう。清水寺は奈良の子嶋(こじま)寺にいた延鎮(えんちん)上人が、観音様にお祀りする相応しい場所を探していたところ、清らかな水が沸き出でるこの地にたどり着き、十一面観音を祀ったのが起こりだ。

 その後、延鎮上人が、鹿狩りに来ていた坂上田村麻呂に対して殺生を戒めたのをきっかけに帰依を受け、田村麻呂の寄進によって本堂が建立された。奈良の興福寺に属したため、「南都北嶺(なんとほくれい)の争い」では北嶺側の比叡山延暦寺と対立し、度々戦乱による被害を受ける。江戸時代に入ると、徳川家光によって諸堂が整えられ、現在の形となった。

 清水寺から清水道を下って西へ向かい、東大路を越えると六道珍皇寺が見えてくる。こちらはお盆の前に先祖の霊を迎える「六道まいり」(8月7日~10日)で信仰を集める寺院だ。京都三無常の一つ、鳥辺野(とりべの)の入口に位置し、平安時代、嵯峨天皇に仕えた小野篁(おののたかむら)は、こちらに残る井戸からあの世へ向かい、閻魔大王に仕えたと伝えられている。近年には「黄泉がえりの井戸」も発見され、特別拝観時には見学できるようになった。

六道珍皇寺の迎え鐘。火灯窓の下に出た綱を引いて鐘を鳴らす
六道珍皇寺の迎え鐘。火灯窓の下に出た綱を引いて鐘を鳴らす

 寺院前から西へ下ると、あの世とこの世の境目とされるこの地域に伝わる「幽霊子育て飴」を、みなとや幽霊子育飴本舗で購入できる。また向かい側の西福寺では、六道まいりの時期に、地獄絵や檀林皇后九相図が掲げられる。

六道の辻に建つ西福寺。六道まいりでは地獄絵の絵解きも行われる
六道の辻に建つ西福寺。六道まいりでは地獄絵の絵解きも行われる

 さらに西側は京都五花街のひとつである宮川町エリアとなる。春の歌舞会は「京おどり」と呼ばれ、4月の第一土曜日から第三日曜日まで開催されている。宮川町の由来は、町の西側を流れる鴨川の水を、祇園祭の神輿洗(毎年7月10日と7月28日)で使用することから、この町の付近に限って「鴨川」を「宮川」と呼ぶことから名がついた。

 鴨川にかかる松原橋はかつての五条大橋で、清水寺参詣に使用されたことから「清水寺橋」とも呼ばれ、清水寺が橋の修理費用を賄うために橋銭を徴収したことから、「勧進橋」とも呼ばれていた。

現在の五条大橋から松原橋の眺め
現在の五条大橋から松原橋の眺め

 次回は洛中の旧五条通(松原通)をご紹介したい。

京都の魅力を発信する「らくたび」代表

1973年、京都生まれ。立命館大学在学中にプロの観光ガイドとして京都・奈良を案内。卒業後は大手旅行会社に勤務。2006年4月、京都観光を総合的にプロデュースする「(株)らくたび」を創立。以後、ツアープロデューサー、ツアー講師として活躍。2007年3月に「らくたび文庫」を創刊。現在、NHK文化センター、大阪シティーアカデミー、ウェーブ産経、サンケイリビング新聞社の講師、京都商工会議所の京都検定講師も務める。著書・執筆に『幕末 龍馬の京都案内』、『京都・国宝の美』、『見る 歩く 学ぶ 京都御所』(コトコト)など。京都検定1級取得。

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