20名の兵士を用いても倒せなかった、ツァボの人食いライオン
野生動物が人間を襲撃する事件はしばしば起こっており、時として動物の犠牲になる人間もいます。
その中でもツァボの人食いライオンが起こした襲撃事件では、多くの人が犠牲になったのです。
この記事では青年将校と死闘を繰り広げたツァボの人食いライオンについて紹介していきます。
20名の兵士を用いても倒せなかったライオン
12月3日、20人のインド兵を率いた警察長官のファーカーがツァボに到着します。
噂が広まり、兵たちはキャンプ近くの木に配置され、パターソンが作った罠も使用されることになりました。
おとりとして2名のインド兵が罠に入り、ライオンが来るのを待ったのです。
夜9時頃、罠のドアが落ち、パターソンはライオンを捕らえたと思ったが、結果は惨敗です。
動揺したインド兵は発砲できず、ようやく撃った弾も無茶苦茶で、ライオンは逃走しました。
ファーカーやインド兵たちは撤退し、パターソンは孤立したまま、ツァボに残ることになりました。
パターソンの失策
12月9日、パターソンは「シンバ!シンバ!(ライオンだ!)」という叫びで目を覚まされました。
パターソンは急いで連発銃を手にし、案内役のスワヒリ人とともにライオンのいる場所へ向かったものの、スワヒリ人の立てた音でライオンは逃走してしまいます。
焦るパターソンは、労働者たちに太鼓やブリキ缶を鳴らさせてライオンを追い詰めました。
パターソンは至近距離で狙いを定めたものの、引き金を引いた銃が不発だったのです。
度重なる失敗にパターソンは意気消沈し、インド人たちに至ってはこのライオンが「悪霊」だと信じ始めました。